129イヴの終わり
下田旅行最終日、綾香の提案で近くにある洞窟へと行こうと一行は洞窟内へ足を踏み入れていた。
舗装はされているが狭い空間。天井は高いが見上げれば金網が張られて、落石が起きないようにガードされている。
染み出した水に岩肌が濡れている。
舗装はされているが平坦な道ではない。濡れた道にサンダル。
時折水に滑りそうで、洞窟内をゆっくりと奥へと進む。
洞窟内を奥へ奥へと進むと、やがて蛇や竜を象った石造が数多く見られた。
綾香によれば、その石造は海の守り神であるそうだ。
『グオオ――……』
奥へ進むにつれて、音声の演出が洞窟内に響く。
洞窟の最奥は赤く照らされていて、策の向こうには巨大な竜の石像。
薄暗く赤い照らされた洞窟内に、巨大な竜。その竜が吠えているように見せる演出が響く。
「神様って本当にいんのかな?」
手にしていたライトで竜の顔を照らす。
少しだけ口を開いた竜はイツメンたちを見下ろすと、怒ったような声をあげる。
「どうなんだろうね♡ でも……いるかもしれないね♡
イーちゃんはあったことある?♡」
あるわけないだろ、と言いたいところではあるが、イヴは一度死んでいる。
勿論それは前世のことではあるが、死んで間もなく人間の女としての生を受けた。
奇跡のような御業。こんなこと神が出来ぬなら誰が出来るのだろう。
イヴは死んだ後のことを思い出そうとするが、まるでそこだけが切り取られたかのように思い出せない。
「いる……のかなぁ? でも、こんなでっけー竜みたいな神様もいるかもな」
隣にいた綾香が拝んでいる。
(イヴと幸せになりますように、イヴと幸せになりますように、イヴと幸せになりますように。
あと乳が今からでもデカくなりますように。無理なら来世で巨乳になりますように。
巨乳になりますように、巨乳になりますように)
心なしか、竜の顔が引きつってみえる。
演出であるはずの音声もちょっとだけ弱弱しい。
綾香につられて他のメンバーも海の神様に祈りをささげる。
具体的にどのようなご利益があるのかは分からないが、それでも願いが叶えられたならいいなと。
(作家になってイーちゃんと幸せな家庭を築けますように♡)
凛が祈る。
(ここにいるみんなとこれからもいられますように)
千鶴が祈る。
(吃音が治せますように。あと乳が減りますように。あと皆とずっといれますように)
美里が祈る。
(イヴさんに躾けられる日がきますように。イヴさんのペットとして暮らせる日がきますように)
ユリカが祈る。
(六道がわたくしのことを見直して偉大なる先輩とみてきますように。わたくしに惚れますように。
あとここにいる皆さまの願いが叶いますように)
桃子が祈る。
そして、イヴも。
でも、すぐには祈らずにイヴは竜を見上げる。
(神様はいたのか? 閻魔様はいたのか?
こんな竜は見た記憶はねーけどな……)
瞳を閉じて、祈る。
(皆と楽しく過ごせますように。楽しすぎて幸せすぎる日々を過ごせますように)
瞳を開く。
「もどっか」
来た道を戻る。
なんとなく気になって先頭を歩いていたイヴが振り返る。
赤く照らされた竜の口から白い霧が吐き出されている。
まるで本当に呼吸をしているかのように見えるそれは、一定の間隔で霧を吐き出している。
「イヴ、前見て歩かないと危ないよ」
「あぁ、そうだなぁっとぉ!!」
千鶴に注意された瞬間、イヴは濡れた道に足を滑らせる。
壁に手をかけようとするが、当然壁も濡れている。伸ばした手は水に滑ってイヴの身体は横に回転しながら地面へと打ち付けられる。
ごちん。
変にバランスを崩したせいで頭からいくイヴ。
「イヴ! 大丈夫!」
「イヴ!」
「イーちゃん!」
倒れたイヴに駆け寄る。
幸いながら頭部や身体からの出血はないものの、イヴは頭を押さえると身体を小刻みに震わせている。
『イヴ』
頭に声が響く。
『〇〇』
知らぬ声が、知らぬ名を呼ぶ。
『イヴ』
耳になれた声たちが名を呼ぶ。
『〇〇』
知らぬ声が、知らぬ名を。
『イヴ』
『〇〇』
頭に知らない映像が流れる。
釣り竿。男の子たち。学ラン。鏡に映る知らない顔。
脳内映像が足早に切り替わる。
竜の白い息。
教室の隅っこで読書。
竜の口。
いつもの学校、会話をしないクラスメイトたち。
竜の目。
隅っこの席で今日も一人。
鏡に映る地味な顔。長いスカート。
竜の言葉。
洗面台で髪を染めるイヴ。
スカートを折りたたんで短くするイヴ。
でも、どうして急にそんなことをしはじめたのか分からない。
『イヴ』
呼ぶ声がする。
そう、それがこの女子高生の名前。
『イヴ』
『イヴ』
『イヴ』
◇ ◇ ◇
意識が戻ったとき、最初に感じたのは波の音だった。
心地よすぎる波の音が、耳に入っては次の波を連れてくる。
後頭部に痛みを感じる。ずきずき。
目を開けば知らない天井があって、知らない顔――いや、おぼろげではあるが知った顔がある。
「イヴ、大丈夫?」
最初に口を開いたのはおかっぱ頭の少女である。
見たことはあるのに――名前は思い出せない。
「イーちゃん、平気? どこか痛いところない?」
こちらも見たことがあるが、名前は思い出せない。
サラサラの長いストレートヘア―に少しふっくらした少女。垂れ目で猫っぽい空気のある少女。
他にもピンク色の髪の少女、青い髪の少女、金髪縦ロールの少女、ツインテール少女&メイドさんがいっぱい。
保護者らしき年配女性と、何故か白人男性の顔。
矢継ぎ早に出される体調確認の言葉に、イヴは毛布をきゅっと握った。
「あ、あの……」
いつものイヴらしくない、しおれた顔と声。
「どうしたの、イヴ」
ピンクポニーテールの少女がゆっくりと、そして優しく尋ねる。
「あ、あの……こ、ここは……どこでしょう?」
「えっ」
その口ぶりはいつものイヴではない。美里のような不安げな声であった。
言葉を無くす。
イヴの目は不安げに一人一人を見上げるが、その目はまるで捨て犬のようだ。
「こ、ここは……あ、あの。私が六道イヴっていうのは分かるんですが……その……」
「……他のことが分からない?」
「はい……」
ピンクポニテの質問に、記憶喪失少女が答える。
「イヴ! あぁ、なんてこと! 私のことも忘れちゃったの!?
イヴの婚約者で将来二人でお嫁さんになろうねって言っていた綾香だよ!
もう両親とのご挨拶もすませて、これから二人結ばれるっていうときだったのに!
今は婚前旅行中だったんだよ! あぁ、なんてこと!」
ここぞとばかりに声を荒げる綾香。
まさかそんなことに――なっているとは思わず、イヴの目はますます混乱で点になってしまう。
「え、そ、そうだったんですか……? お、女の子同士なのに?」
「女の子同士でもありえるんだよ! イヴ、あなたは私のこんやく……」
スパコォン!!!
威勢のいい音が響く。
都合のいい記憶を植え付けようとする綾香の頭を、ユリカが拳で、凛がスリッパで引っぱたいた。
「いってぇ!!!!」
「何言ってんのおねーちゃん、イヴさん困らせることしてんじゃねーよ、クソが。ぶち殺すぞ」
「綾香ちゃん♡ 今はそういうこと言ってないでね♡ イーちゃんの心配が出来ないなら出てってくれる?♡」
「ご、ごめんなさい……」
しょんぼり綾香ちゃんは黙る。
「イーちゃん、今このおかっぱが言ったことは全部嘘だからね♡ 心配しないでね♡」
「そ、そうですか……良かった」
「良かった?! ねぇ、今良かったって言った!? あんなにたくさんイチャイチャしてきたじゃない!」
「おねーちゃん、次口開いたら殺すよ。ここで。今」
綾香ちゃん、二度目のお口チャックをする。
次無駄口を挟んだら本当にユリカに殺されそうなので、綾香は口を堅く一文字に結ぶ。
「イヴ、あなたさっき洞窟で転んだのよ。それも……覚えてない?」
千鶴の質問に、イヴは答えない。
気まずそうにシーツに視線を落とすと、手が拳を握っている。
「ごめんなさい……、あの……最後の記憶というか……映像は」
「ゆっくりでいいよ」
千鶴が拳に手のひらを重ねる。
「理由はわからないんだけど……金髪に染めるときの記憶で……そもそもなんで金髪にしたんだろう、あたし……」
イヴの『あたし』という一人称に、一同には衝撃が走る。
何故ならイヴの通常の一人称は『俺』である。なのに、今のは確実に自分のことを『あたし』といっていた。
「あたし、どうなっちゃったんですか……こんな……こんな……」
「大丈夫だよ。ね、私は千鶴。鈴木千鶴。あなたの友達だよ。今はみんなで夏休みの旅行にきていたの」
「そう……ですか」
そっと、その場から桃子が席を外す。
桃子は別荘から出ると、すぐさま控えていたメイドに指示を出す。
「豚、あたしが何を言いたいか分かる?」
「すぐに医者と帰還の準備を致します」
「そうよ、それでいいわ。すぐに」
「かしこまりました」
感想おなしゃす!
一言でもいいので!!!