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104豚の喜び

(お嬢様の様子がおかしい……)


 帰宅してから桃子は壁に貼られたイヴの写真を眺めるとため息ばかりついていた。

あの時――始業時間だというのに、桃子はイヴを呼び出すと誰も入らぬようにメイドを追い出していた。

中で何があったのか、メイドは知らない。


「はぁ……」


(またため息……)


 制服姿のまま、桃子は出された紅茶にも口をつけずに写真を眺め続けている。

湯気があがっていた紅茶も、今はただぬるい紅茶となっている。


 眺めつつ、時折手首を眺める。

別に傷があるわけでもない。なんの変わりもない手首を見つめると、桃子は己の手首を掴む。


「お嬢様、どうなされたのですか?」


「……なんでもないの」


(何かあるから――今のお嬢様はそんなに悩ましいはず)


 このような表情は見たことがなかった。

いつもわがままで、強がりで、そのくせ甘えん坊で、何か失言があれば眉を吊り上げて怒る桃子だ。

今のその姿といったら――。

まるで……。


「お嬢様」


 意を決したようにメイドは桃子の横に立つと自ら尻を差し出す。


「お嬢様、何かあるのでしたら悩むのはお身体に毒です。どうぞわたくしのお尻でうっぷんを晴らしてください」


「……」


 悩める顔がメイドの尻を見る。


 ぺちん。


「!?」


 まるで痛みなどない。まるで赤子が触れたかのような手つき。

そこに怒りなど感じられない。相手を痛めつけようとする意志など感じられない。

ただ、尻に触れただけ。


「お、お嬢様……何故ですか!」


 いつもだったら。もっと力強く、感情任せに引っぱたくのに。


「ごめんなさい。今はそういう気分じゃないの」


 思わず血の気が引いてしまう。

引っぱたかないだけでなく、桃子が『ごめんなさい』なんていうのは初めてのことである。

高飛車な桃子が謝るなど――これまでならば考えられなかった。

変り果ててしまった桃子に、メイドは唇を震えさせるとその場で腰が抜けてしまう。


「ねぇ、メイド」


「は、はい……」


「あなたドMよね?」


「もちろんでございます!!!! お嬢様に叩かれるのこと至高!!!!

お嬢様にいじられ、けなされ、言葉で踏みつけられるほどの幸せは他にありません!!!」


「そう……ねぇ、メイド」


「はい……」


「試しにわたくしを言葉責めしてみてくださる?」


 血が温度を失っていくようだった。

桃子が。まさか、何故、どうして。

そんな発言。そんなことをいうなんて、まるで――。


(豚になられてしまったのですか!!!!!!)


 涙が零れる。

今まであれほどせめてくれたお嬢様が、今まであれほど引っぱたいて喜びを与えてくれた桃子が。

今はメイドと同じ豚になりさがってしまっている。


「わ、わたくしにはお嬢様を責めることなどとても――」


 桃子も床に腰を下ろし、メイドに顔を合わせる。


「言って」


「出来ません」


「言って」


「わたくしには出来ません」


「言ってくれたら、ぶってあげるわ」


「この高飛車、傲慢、金髪、まな板幼児体系の親の七光り幼女!!!!!

いつまでうじうじしているんですか!!! この恋愛初心者!!!! そんなんだから周りにちゃんと友達も出来ないんですよ!!!

毎日毎日後輩の写真なんかみて夢中になって、この奥手!!!!

そんなうじうじしてないで、さっさといつも通り引っぱたいてください!!!

そのちっちゃなお手々でわたくしの尻を引っぱたいてください!!!

それがお嬢様のお仕事であるのに、お仕事をしないとは何事ですか!!!!!

この金髪縦ロール!!!! Aカップ!!!! 幼児体系!!! 親の七光り!!!!」



 暗い顔をした桃子が無言で立ち上がると、メイドを立たせる。

壁に手をつかせて尻を突き出させると、その尻目掛けて思い切り――。



 ズパァァァン!!!!



 見よう見マネのタイキックである。

しかしながら、そのフットワークは完璧であり、確実な威力がメイドの尻に炸裂している。


「あああああああああああああああああありがとうございましゅううううううう!!!!!!!!!」


 痛すぎる感覚が尻を支配する。

両手で尻を抑えながら、その場に転げまわるが、表情は痛みとは正反対に喜びに満ち溢れている。


「ありがとう。でも……何も感じないわ」


「この金髪縦ロール幼児体系!!! 七光り!!!」


 ピシャン!


「ありがとうございましゅぅ!!!」


「はぁ……」


 のたうち回るメイドにため息をついて、また椅子に腰かける。


(メイドに言われても何も感じないわ……はぁ、わたくしのお耳はもう六道の声しか受け付けなくなってしまいましたの)


 写真を見る。


 笑った唇はリップをしているのか艶々ぷるぷるである。

まるでモデルのようにも見えてしまうそれ。あの唇から、また責めてもらえないだろうかと耳が求める。


 手首をさすれば、掴まれた感覚を思い出す。

両手ともを押さえつけられて、覆いかぶさってきて。

あまりにドキドキしすぎて、イヴにも鼓動が聞こえてしまうのではないかと思えた。

心臓の鼓動が速すぎて、爆発するのではないかと思えた。


『桃子可愛い』


「後輩のくせに、年下のくせに、庶民のくせに……わたくしのことをあんなに辱めて……」


 拘束されて、自由を効けなくさせて、逃げ道をなくさせておいて。


「あんな言葉――卑怯ですわ。卑怯すぎますわ」


 思い出しただけで耳が孕みそうだ。

赤くなりすぎた耳には命がやどってしまったように、ドクドクと音がする。


(お嬢様……もしや……)


 両耳を抑えて赤くなっている桃子。

でも、その表情は今までにないくらいに乙女である。

恋する乙女そのものである。


「ねぇ、メイド」


「は、はい……」


「叩かれるって……責められるってどんな気持ち?」


(や、やめてください……お嬢様からそんなお言葉聞きたくない!!!!)


 泣きそうな顔を桃子に向ける。

もし桃子が豚になってしまったら、もし桃子が自分と同じ属性になってしまったら。


(わたくしたちの関係が終わってしまいます……!)


 叩かれなくなったら、桃子が自分と同じ豚になってしまったら。

そんなの耐えられるものではない。女王様を失った豚など、ただの豚である。

ぶたれない豚に、価値はない。


「ねぇ、どうなの?」


 悔し涙がこみ上げる。

 悲しみの涙がこみ上げる。


「ねぇ」


「……ぐっ」


「メイド、おしえて」


(そんな優しく、そんな乙女な顔で答えを求めないでください!)


「ねぇ、お願い」


 そっとメイドの両頬に触れる。

その手は優しくてやわらかくて、痛みなんか無い。

ただ答えを求める、ただ答え合わせをする、恋する乙女ぶたである。


「わたくしは……わたくしは……」


 震える唇で、答えを導く。


「はい」


「わたくしは……お嬢様に責められると、嬉しくて――嬉しくて。

わたくしの人生に色がついたように感じます」


「そう、そうなのね」


「はい――」


 桃子は写真を見る。


「きっと今、わたくしは――」


「ぐぅぅ……」


「黄金色をしていますわ」


「ぐううう、うわああああああああああああああん!!!!」


 メイドの泣き声が、桃子の部屋いっぱいに響いた。



ポイントおなしゃす!!!!!!!!!!!!!!

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