101忘却の百合
六道家から帰宅する途中の車の中。
桃子は流れていく景色なんか見ていなくて、何を見ているかといえば手にした水色だった。
イヴに借りたそれを、桃子は身に着けることが出来ず懐に仕舞い込んでいた。
手の中にあるイヴの抜け殻。
(六道……またわたくしをコケにして……)
想いながら、少しだけ反省もする。
我を通そうとして、さすがにやりすぎてしまったなぁと思う。
手の中の水色を見つめる。
隣に座るメイドが同じように水色を見る。
(お嬢様……お借りしたのを身に着けていない……ということは、い、今のお嬢様はっっっ!?!?!?)
手にした水色。
イヴの水色。柔軟剤のいい香りとイヴの匂いが残る水色。
「豚」
「は、はい!?」
「息が荒くて五月蠅いわ」
「で、ですが!!!!」
「?」
履いてないんですか、とは聞けない。
わざわざそんなことを聞いてしまえば、お嬢様に恥をかかせるのは分かりきったことである。
己はお嬢様に使えるメイド。恥をかかすようなことなどあってはいけない。
いつ何時でもお嬢様に仕え、奉仕し、第一に守らなければならない存在である。
「お嬢様、履いてないんですか?」
だが、豚の性には勝てなかった。
だって言えば確実にぶたれるだろうし。
スパァン!!!!
「あぁッ!」
「よくもまぁなんの躊躇いもなくそんなことを言えるわね!!!!」
車内なので、尻の代わりに乳を引っぱたく。
大きな乳が右へ左に豪快に揺れると、桃子は余計にイラついてくる。
何故ならば、桃子もまた持たざるものだからである。
豪快に揺れる乳が妬ましく、また苛立ちを増加させる。
スパァン!!!
「ありがとうございます!!!!」
「うるさい!!! この淫乱雌豚メイドが!!!!」
「ありがとうございます!!! ありがとうございます!!!」
八つ当たりするように何度も何度もメイドを叩く。
叩けば叩くほど、メイドは歓喜の声をあげる。
桃子は今、履いてはいなかった。
◇ ◇ ◇
「凛、ちょっと付き合ってくれない?」
「え♡♡♡?!!??!??!??!」
「予定あった?」
いきなり告白されたと思い、凛はその目にハートを浮かばせたが、そういう意味ではないと思うとちょっとだけしょんぼり。
「うぅん♡♡♡ ないない♡ あるわけないよ♡」
「じゃぁ、ちょっと付き合って」
「イーちゃんとならどこまでもイクよ♡♡♡」
イヴに誘われるまま、凛は放課後二人で少しばかり足を延ばした。
バスに乗りこみ、電車に揺られ、遠く遠く。
夕日に染まる空を見ながら、イヴは何故だか切なそうな顔をしていた。
これからまるで死んでしまうような――死期でも感じているような表情にはいつもの温度がない。
「イーちゃんどうしたの?」
「おん、いやちょっとな……」
切なそうな顔は訳を話してくれない。
なんだか心がモヤモヤしてしまう。いつもとは違うイヴに凛は恋ではないドキドキがしている。
「イーちゃん、お手々握っていい?」
「うん、いいよ」
イヴの手を握る。
イヴは握り返してこない。
(イーちゃんどうしたんだろう。何かあったのかな……)
手を握りイヴに密着して寄り添う。
たぶん何かがあったのだろうが、イヴはその理由を言わない。
それが悲しい。
でも、そんな切ないときに自分を選んでくれたことを嬉しく思ってしまう。
降りたことのない駅で降りる。
凛ははじめて降りる駅であったが、イヴはその駅のことを知ったように迷わず進んでいく。
「イーちゃん、ここ来たことあるの?」
「あるけど、ないよ」
「?」
やっぱり今日のイヴは少しばかり変だと思う。
普段なら――こんなおかしなことなんて言わないのに。
顔をみればやっぱり切ない顔が張り付いたままで、どうしたってその表情は剥がれそうにない。
イヴの手を握ったまま、イヴが行きたい場所へと行く。
あまり栄えている町ではなく、本当にちょっとした住宅街だ。
道路にも車は少なく、町は静かなものである。
「昔さ」
「うん」
「この辺に住んでたんだ」
「そうなんだ」
「あのアパートあるだろ。あそこの一階の角部屋」
「イーちゃん独り暮らししてたの?」
「うん。ずっと前にね」
まだイヴは16歳。
それなのにずっと昔に独り暮らしとはどういうことだろうか。
でも、何故なんて聞いてもイヴは答えてくれないんだろうなと思う。
だから、代わりに凛は黙ってイヴの手を握る。
単身者用のアパートからさらに歩き、近くのコンビニへと入る。
「あ」
「?」
「いや、なんでもない」
イヴが声をあげた理由も分からない。
イヴが見ていたのはコンビニの店員である。
白髪交じりのおばちゃんが愛想よく客を出迎える声をあげているだけだ。
適当にプロテインとジュース、お菓子を選び、レジへと持っていくイヴ。
「あら、あなた見ない顔ね」
レジのおばちゃんがそんなことを言う。
「昔はここよく来ていたんですよ。……旦那さん元気ですか?」
「あら、旦那のこと知ってるの? 相変わらずよ。夜勤やってるから今の時間はいないのよ」
「知ってます」
「そう? 昔ってどれくらい前にここに来ていたの?」
ビニール袋に商品を詰め込み、会計を済ませる。
おばちゃんの問いかけに、イヴは答えなかった。
凛を連れて、今度は駅の反対側にある大きな公園へと足を向けた。
飛行機が展示されている大きな公園。野外ステージなんかもあり、もう少ししたらこの公園はライブ客でにぎわうとイヴは話していた。
ベンチに腰掛けると、イヴは公園を懐かし気に見ている。
でも、その表情はやっぱり切ない。
「ありがとな、凛」
「いいよ。イーちゃんが行きたい場所なら、凛どこだって一緒に行くよ」
「今日の俺おかしかったろ?」
「ちょっとだけね」
買ってきたお菓子をポリポリ。
凛もジュースをゴクリ。
「たぶん――こんなこと言ったらバカにされるだろうし、信じてもらえないと思うんだけどさ」
「なぁに?」
「俺、前世の記憶あるんだよね」
「え?」
「前世は男でさ。この辺に住んでたんだ。前世が男だったから、女になった今でも自分のこと俺って言っちゃうんだ」
「……」
「イカれてるよな」
「うぅん……そんなことないよ」
凛が手を握る。
イヴが手を握り返す。
「だからさ、ちょっと見てみたくなったんだ。昔見ていた景色を」
「どうだった?」
「……変わらないものもあったし、変わっていたものもあった」
「そっか」
「一番変わったのは俺だろうけど」
「……」
夕日が、少し傾く。
イヴの肩に、凛が頭を乗せる。
「原点回帰ってのかな。ちょっと……急に色々見て回りたくなったんだ」
「うん。いいよ。イーちゃんが見たいものがあるなら、凛一緒にいるよ」
「ありがとう」
前世の記憶があるなんて――ネットやテレビの胡散臭い情報でしか見たことがなかった。
イヴはそんな胡散臭いようなことを口にするが、イヴが嘘を言っているなんて思えない。
その目も、その口も、その空気も。女子高生のそれじゃなかったから。
「凛ね」
「うん」
「前に、イーちゃんのこと好きって言っちゃったでしょ」
「うん」
「イーちゃん可愛くて綺麗なのに男勝りなところあるから、そういうところが魅力なの」
「うん」
「今のお話聞いて、だからイーちゃんは魅力的なんだなぁって分かった気がする」
「そっか」
「うふふふ♡ この景色を前世のイーちゃんは見ていたんだね」
「うん」
前世のイヴはどんな人だったのだろうと想像する。
こんな性格をしているのだ。きっと根のある素晴らしい人物だったのではないだろうかと考える。
「でも……」
「ん?」
「いや、なんでもない。そろそろ行こう」
「うん」
手が離れる。
イヴが歩き出す。
その背中は切なく小さい。
「イーちゃん」
「ん?」
振り返るイヴに凛は抱き着く。
「イーちゃんに前世の記憶があったって、前は男だったからって、そんなのは関係ないから。凛はイーちゃんが好き」
「ありがとう」
「好き。ずっと好き。大好きなの」
「うん、嬉しいよ、凛」
まだ『付き合って』なんて言えない。
きっと『答え』はないから。
「イーちゃん。前世の記憶があるってこと言わないであげるから」
「?」
「イーちゃんからキスして。キスしてくれたら、凛、今日のこと誰にも言わない。
キスしてくれたらこのことはお墓まで持っていくから」
きっとイヴは今日のことを言いふらしたところで変わらないって分かってる。
イヴもきっとキスなんかしなくなって、凛が言わないことくらい分かってる。
「だから、お願い」
「凛……目閉じろ」
「うん」
夕日に、二つのシルエットが重なっていた。
ポイントおなしゃす!
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