目覚め
「……さい……起きなさい……私の可愛いチーギュや……」
暖かさに包まれた俺を、誰かが優しく揺すっている。
「ほら、今日はチーギュが16歳になる誕生日なのですよ」
「はい?」
眩しさに目が慣れると、俺は木製のベッドで寝ていた。
おっとりした優しい声の主はエプロンのような服を着た女性で、やはり巨乳だった。
「すいません、チーギュって?」
「ふふっ、何言ってるの。チーギュはあなたよ? いい加減起きなさいな」
言われるがままに、のそりと体を起こす。
視界の端に映る自分の髪は銀色で、それが雪野萌の体でこの世界に転生したという事実を教えてくれた。
「さっ、朝ごはんにしましょ。下りてらっしゃい」
「……はい」
俺は曖昧に返事をした。
これまでの15年間、このチーギュと呼ばれた女子はこの世界でどんな人生を送ってきたんだろう。
そして今日、その人も死んだ。
あろうことか「俺」みたいな人格で上書きされてしまった。
……謝ろう。知らない人だけど、誰かの親なんだ。
「ふぇ……じゃ、じゃあ本当に何も覚えてないのね!? 今までのこと!」
「そうなんです。いや申し訳ないです。すいません」
「予言の通りだわっ!!」
食卓で向かい合っていた「チーギュの母親」らしき女性は、ガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。
「へ? 予言?」
「そう! あなたの名付け親でもあるブラウン長老がね、『この子は神に選ばれし者。16歳になった時、新たなる生を受けるのじゃ』って言ってた! のじゃ! ねーそう言えば『のじゃ』って語尾めっちゃ可愛くないのじゃ?」
「あー……まぁそうっすね」
母親なのに顔の皺一つないっていう美女 (巨乳)がはしゃぐ姿は、そりゃまあ可愛いよ。ただ、愛する娘の記憶がブッ飛んじゃったのはいいのか?
あと俺にチーギュとかいうふざけた名前付けた奴。さっき虹色のタバコ吸ってたあいつだろ絶対。
……あれ? じゃあこの世界に俺は「どんな形で」紛れ込んだんだ?
チーギュという人は「15年前から存在していた」。俺は「今日、新たなる生を受けた」。
その両方が成立するなら、「雪野の精神」がこの世界に飛ばされてきてから「少なくとも15年が経過している」ことになる。いや100年とか1000年かも。
何にしても、窓から見える景色はとてもゲームのような「箱庭の世界」なんかじゃなさそうだ。
終わりの見えない人探しに、早速だが俺は心折れつつあった。
「あの……お母様」
「きゃあ! チーギュが『ママ』呼びじゃなくなってるぅー!! 何だかくすぐったいわぁ。うふふふ」
「いや、俺……わ、ワタシの記憶がなくなってしまって、新しい誰かになったということは、昨日までのチーギュはもう存在しないってことなんです。寂しいとか、悲しいってお気持ちはございませんか?」
俺が尋ねると、母の表情が変わった。
静かに俺を見つめ、ゆっくりと口を開く。
「母さんはね。あなたの時代と違って学校には行ってないから、言葉は足りないかもしれませんけど……」
束ねた長い髪の乱れをそっと撫で下ろし、スカートの裾を直して、そっと木の椅子に腰掛けた。
「どんなに変わっても、あなたは私の子です。あなたが母さんを忘れちゃっても、偉くなっても、いつか誰かを愛するようになっても! だから、わたしの心配なんて要らないわ」
母は凛として背筋を伸ばし、言い終えると食卓に置いてある焼き物のコップをつまみ上げ、ゆっくりと口にする。
「……旅に、出るんでしょう? それがこの世界のためなのか、あなた自身のためなのかは、母さんにはわからないけれどね。さあ胸を張って。今は、その先にあるものだけを見ていなさい」
ふざけすぎた世界のなかで、少なくともこの眼前の女性にだけは認めたい気持ちになった。
俺と同じように「人の心」が存在することを。
母は強しッッ!!