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縫い針娘スン  作者: 柳沢哲
6/13

針の贈り主

 ふわふわとした温かい毛布にくるまって、スンは朝日の匂いをかいだ。こんなに安心して眼が覚めるのは久しぶりだ。ふかふかの寝床から出てくると、すぐそばに針がきちんとそろえてあった。

 スンは眼が覚めるとここがどこだか一瞬解らなかった。たくさんの見慣れない裁縫道具。スープの良い匂い。服を丁寧に包装しているクナが見えて、やっと自分がどこにいるか思い出した。

「おはようお嬢さん。お湯がちょうどあるんだ。顔を洗うかい。」

 小皿にお湯が入っていたのでスンは顔を洗った。さっぱりしていると、クナがテーブルに食べ物を運んだ。

「さぁ飯を食ってくれ。何もありゃしないが、先生の好きだったものを用意してみた。」

 黒パンとハチミツと果物があった。お皿の上にどっさり乗せられて、スンには文字通り食べ物の山が見える。クナが温かいお茶を入れてくれたので、ティースプーンですくいながら飲んだ。

 クナは忙しそうに準備をしていた。昨日みたいにしわくちゃではなく、真っ白でぴんっとはったシャツを着ている。無精ひげもすっきり剃られていて、昨日みた時よりずっと若く見えた。

 スンはクナの様子をうかがっていた。クナが突然、自分を捕まえようとはしないか、檻に放りこんだりしないか、ちらりちらりとクナを見ていると、クナが笑った。

「朝から騒々しくてすまない。今日はバンデラさんの所に行くんだ。うちのご贔屓さんで先生の仕事を気に入ってくださっていたんだ。」

 クナは昨日から、ずっとお母さんのことばかり言っている。

 クナにとって本当に、お母さんは大切な人だったんだ。スンは、なぜかわからないけれど嬉しかった。

「お嬢さんも一緒に来るといい。あそこのご主人は先生と特に仲が良かったんだ。」

 スンは黒パンをほおばりながら、嬉しそうに話すクナを見た。

「私人には会いたくない。恐いわ。」

「お嬢さん、バンデラさんはちっとも恐い人じゃない。バンデラさんがあんまりうちの先生を贔屓してくれるから、他の仕立て屋に陰口叩かれるほどだったんだ。お嬢さんの針だって、先生の仕事を特別気に入ってくださってお代とは別に下さったんだ。」

 スンは脇に置いてある自分の針を見た。クナは取り上げたりせず、自分のそばにずっと針を置いていてくれたのだ。

 クナはスンの前に座って、べたっと机に頭を乗せて、スンと目を合わせた。

「いいか、お嬢さん。そりゃ世の中嫌なやつもいる。俺だって、先生に会うまではその一人だったさ。けどな、バンデラさんは本当に良い人だ。金持ちは嫌な奴が多いが、バンデラさんは良い人だ。先生が生きてないのは残念かもしれないけれど、あんたがこんなすごい服を作ったって知ったら喜ぶさ。」

 スンはクナが支配人のように自分を騙そうとしているのでは、と思った。彼が子供のように目を輝かせ、さっきから笑顔で話しているのに、そんな気持ちが胸に湧き上がった。

 スンはチョビを見た。チョビは食事を終え、髭の周りを舐めて言った。

「本当さ、バンデラの旦那様は良い人だよ。チビだったわしの頭を来る度に撫でてくださった。」

 チョビまで言うのだから、信じてもいいのかもしれない。スンはクナを信じて会いに行くことに決めた。

 なぜだか、お母さんの話をもっと聞いてみたい気持ちが強かった。

 食事を終えると店を閉め、クナはドレスの箱を馬車に乗せ、スンをポケットにしまいバンデラさんの家に向かった。街の中はスンが思っている以上に広くて、大きな店だらけで、薄暗い道の中にみすぼらしい格好の人達が見えた。

 クナのポケットからは、すれ違う馬の手綱がよく見えた。ふたのついたポケットなので、大きく頭を出さなければ誰もスンには気付かなかった。新品の、朱色のものや藍色の綺麗な手綱だったら立派な馬車。少し錆びた、けれど重そうなものは金物屋や大勢の人が乗った乗合馬車。クナの馬車のように錆びてロープでつないであるものは老人が乗っている荷運びようのものだった。

 スンは白い立派な建物を見つけた。頑丈な門がついている。塔の様なものが屋根についていて、鐘が鳴っていた。

「あれはなに? どうしてあんなに大きな音を鳴らすの? 」

「教会さ。正午の鐘だよ。」

 スンはポケットにもぐりこんだ。耳どころか、頭までガンガンと痛い。

 やがて馬車は喧騒から離れ、大きなお屋敷ばかりの場所に向かった。立派な鉄の門がついた屋敷の前で止まり、門番にクナは声をかけた。

「セリマの店のもんだよ。旦那様の注文の品ができたんできた。」

 門番達は顔を見合わせた。

「お前の店は従業員がほとんど休んでいただろう。ドレスができたわけがない。」

 門番達は強い口調で言った。クナは、門の向こうに他の仕立て屋の馬車があることに気付いた。

「おい、うちは昔からバンデラさんに信頼されて服を作り続けてきたんだ。見てみろ。服が出来てなければ追い返すなりなんりすればいいさ。」

 クナは門番達に負けじと強い口調で言った。馬車から降りた。門番たちのきれいな厚手の上着が目の前にあった。スンはなるべく深く彼のポケットにもぐりこんだ。

 門番達は少し躊躇いながら、クナが服を出すのを待っていた。

「どうだ、あんた達の眼から見ても、これはバンデラさんに見せられるほどのもんじゃないっていうのか? だったら他の屋敷に売りにいく。」

 門番達は青ざめて叫んだ。

「待ってくれ、悪かった。すぐに門を開けるから、旦那様に渡してくれ。」

門番達は慌てて門を開ける。クナはふんっと鼻息を吐いて門を屋敷の中に進ませた。

 スンはクナのポケットから門の中を見た。緑が多い。きれいに丸く刈られた木と白い石でできた象が並んでいる。水が噴出している場所もあった。スンはぽかんとそれを見ていた。球のように丸い木。変なところから噴出している水、とても不思議な庭だ。 クナが箱を抱えて屋敷に入ると。同じ服を着た女の人達がいた。皆きれいに髪の毛を束ねて、同じような顔をしている。背の高いりっぱな上着の男の人が出てきたとき、彼女達がさっと道を開けた。偉い人なんだなと、スンは思った。

「こんにちは、マフさん。約束どおりドレスを持ってきました。」

 男の人は苦い顔をした。

「お前の店の話は聞いている。大変だったそうだな。」

「マフさん。それより実際できたものを見てくれ。バンデラさんは俺にも先生にも特別なお客様だ。みっともない真似は絶対にしない。」

 クナの眼はまっすぐだった。媚びたり、ずる賢そうな様子は微塵も無い。スンはどれだけクナが頑張ったか知っている。今だって、クナの眼の下には深いくまができているのだ。

 男の人は別の部屋にクナを案内した。クナは早速その人にドレスを見せた。

「マフさん、バンデラさんは本当に俺が仕事をやりとげられないと思ったのか? 」

 クナは自分の店の信頼が損なわれているかもしれないと思った。彼にとって店の名を損なうことは、セリマが冒涜されるのと同じだった。

 男の人はしばらくドレスを眺めた後、驚いた顔をしてからほっとしたような顔をして、もうしわけなさそうにクナに謝った。

「いや、私達が勝手に決めたのだ。実は、旦那様は最近すっかりお体の調子が良くない。できるならお手を煩わせるわけにはいかんと思ったのだ。」

銀縁眼鏡の端を上げ、安心したように微笑んだ。

「お前の仕事の素晴らしさを忘れていたようだ……なんせ、服を作るのなんか久しぶりだからな。お嬢様が久しぶりに戻って来るんだ。」

 男の人は少し待つようにと言って部屋を出た。クナは一人でドレスを丁寧にしまいながらポケットのふたを開けた。

「ハラハラさせてごめんな。お嬢さん、いつもはこんなんじゃないんだ。」

 スンは部屋の中をぐるりと見渡した。大きな窓に頑丈な机、カーテンは厚手で花の刺繍がしてあった。

「あの人は執事のマフさん。仕事には先生と同じくらい厳しいんだ。」

「なんだか、安心してたわ。」

 スンはぎゅっと結ばれていた執事の口の端が、ふわっと柔らかくなったのがよく見えた。

「クナのドレスを見て安心していたわ。」

「お嬢さんのさ。スカートの部分の折り目なんか、まるで花みたいで白一色とは思えないくらい華やかになってる。」

 クナも緊張していたのだろう。さっきまでの眼差しはすっかり消えている。

「先生と一緒に作ったみたいで、誇らしいや。」

クナが嬉しそうに言った。

 やがて執事が戻ってきて、クナはまた別の部屋に連れて行かれた。そこには、上品そうな男の人とクナより立派な服を着た男の人がいた。上品そうな男の人は、椅子に座ってひざ掛けをしていた。明るい茶色の髪で、眼も同じ明るい色。肌は青いくらいに白く少しやつれている。男はクナを見た瞬間、大げさに目を丸くした。

「おや、セリマの店のクナじゃないか。何をしにきたんだ? 」

「ルルッシュの店の親方こそ。俺は勿論バンデラさんに服を見せに来たんだ。」

クナは上品そうな男の人に向き直ると頭を下げた。スンは落ちないよう、一生懸命ポケットにしがみついた。

「ご注文どおり、品物を仕上げました。」

「今ジドからお前の話を聞いていた。店の者がいなくて大変だったようだな。」

 後ろで男はふんっと鼻で笑った。感じが悪い人だ、とスンは思った。

 上品そうな男の人は、ふわっと穏やかな笑顔を浮かべた。おばあちゃんみたいな、優しそうな顔だ。

 この人がバンデラさんだ、とスンは気付いた。

「ええ、ですが頼まれた仕事は仕上げました。」

「嘘を言うな。昨日まで服は一着も仕上がっていなかったというじゃないか。」

 クナはジドと呼ばれた男を睨んだ。

「残念だが、あんたのその話は嘘さ。汚いほかの店のやつに真似されたくないから完成品は置かないようにしてるんだ。」

 机の上には服があった。それがどけられ、クナの持ってきた箱が置かれた。

 出てきた物に誰もが息を呑んだ。 真っ白な薄い布を重ねたドレスだった。形を変えたり縫い目をつけたりして、白い花がたくさんも重なったような形をし、星のような柔らかい光を放っている。机の上に置かれた鮮やかな服の色に見劣りしない華やかさがある。胸元には刺繍された花弁の多い花が重なり、花で作ったようなドレスだった。

 ジドは眼をまん丸にして、青ざめた。バンデラさんはドレスを手にとってしげしげと見つめた。スンが仕上げた白いドレスを手に取り、触り心地を確かめるように撫でた。

「素晴らしい……セリマが仕立てたような立派なドレスだ……。」

うっとりと、バンデラさんは言った。

「そんな、馬鹿な。」

 ジドがクナに嫌な笑い方をした。

「どうせ一昼夜で片付けたんだろ。縫い目が弱くてすぐにほどけてしまうんじゃないのか? そんなものをこの大切な時に持ってくるなんて……。」

「そう思うなら生地を伸ばさない程度に引っ張ってくれよ。」

  スンはドキっとした。クナは自信ありげに言うけれど、スンには自信はない。

 ジドは腕のところを伸ばしたり、付いているフリルを引っ張ったりしたが、縫い目はきちんとしていた。クナは昨晩、スンが眠ってしまったあとちゃんと調べていた。図案よりずっと素晴らしい、縫い目のきちんとしたドレスだととっくに知っている。

 ジドはいよいよ真っ青になった。クナは誇らしげに言った。

「このドレス、腰の辺りでボリュームをつけてるんでおなかが膨らんでもそれが目立たないんです。」

「あぁ。素晴らしい。」

バンデラさんはドレスにうっとりしていた。そして、ジドを見て言った。

「悪いがそのドレスは持って帰ってくれ。必要ないみたいだ。」

 執事がジドを促す。クナのドレスを持ってきた使用人達は、ジドのドレスを持って部屋を出て行った。  誰もいなくなってしまうと、クナはバンデラさんを見て言った。

「バンデラさんには正直に言いたい。このドレスを考えたのは俺だけど、完成させたのは俺じゃないんだ。」

 バンデラさんの目が大きく見開かれた。

「俺は、友人の花嫁衣裳を作ってた。ドレスはほとんど他の皆にまかせっきりで、ジドの親方が言うとおり昨日まで出来てなかったんだ。」

「では誰が作ったというのだ? セリマの腕をそっくり受け継いだお前でなければ、とても作れないような代物だ。」

 クナはポケットの前に手を置いた。スンはゆっくりよじ登り、顔を出した。バンデラさんが驚いて口をぽっかり開けた。

 スンはクナの掌に乗って、バンデラさんの顔の前にやってきた。

「初めまして。」

 スンは背負った針を出して、両手で持ってバンデラさんに出した。

「私、スン。この針はお母さんが持っていたの。」

 バンデラさんの身体がぶるぶる震えていた。骨に皮が付いたような指を伸ばして、スンの手から針を受け取った。白い光を放つ針に、セリマと名前が彫られている。

「お前は、セリマなのか? 」

 スンはきょとんとした。

「私はスン。お母さんじゃないわ。」

 バンデラさんは手を伸ばした。スンはしばらくその平を見ていたが、ゆっくり移った。バンデラさんは目を近づけてスンを見た。スンはぱちっと瞬きをして、見上げた。

「セリマの娘……。そうなのか? 間違いないのか? 」

 スンは少しうつむいて言った。

 違う、と言われても仕方がないのかもしれない。自分の生まれ方は人間とは違う。けれどスンは理屈ではなく、やはり自分はセリマの娘だと思う。

「……すまない。そうだ、疑うことは愚かだ。お前はセリマに生き写しで……このドレスを作ったのがお前なら、お前はやはりセリマの娘だ。」

 バンデラさんは愛しげにスンを見た。

「お前は私の娘だ。」

 クナが驚いて口を押さえた。スンはきょとんとしてバンデラさんを見上げた。スンを見つめたバンデラさんの目に涙が滲んだ。クナが震えていた。

「彼女が身ごもっていたなど、知らなかった……。」

 スンはバンデラさんの頬に向かって手を伸ばした。そこへちょうど執事が帰ってきた。執事はバンデラさんが掌に乗せている小さなものを見て驚いた。

「もう何も心配はいらない。お前は私と一緒にここで暮らそう。」

突然の言葉にスンも驚いていた。

「あなたが私のお父さんなの? 」

「そうだ。」

バンデラさんの笑った目から涙が流れた。

「私こんなに小さいのに? 」

「お前が私の可愛い娘の一人には変わりない。セリマを不幸にしてしまった分も大切にする。」

 スンは困っていた。不思議と、嬉しい気持ちにはならない。スンはどうしていいかわからなくてうつむいた。それなのにクナは自分のことのように喜んでいた。屋敷を出るときも泣いてスンと指で握手した。

「お嬢さん、たまには店に来てくれよ。先生の知り合いたちにもお嬢さんのことを話したい。」

 スンは浮かない顔をしてクナを見た。

「私、どうしていいかわからない。ここにいたいと思わないの。」

「何言ってんだよ。お屋敷で暮らせるんだ。そんなに小さい身体だけど不自由しないですむんだ。良いことじゃないか。」

 クナは、スンが同じ大きさだったら抱きついていただろう。それくらい興奮していた。

「暮らしに慣れたら安心するさ。」

 クナの言葉に、スンはうなづいた。

 今までだって不安だったり怖かったりしたけれどなんとかなった。このお屋敷の暮らしも悪くないのかもしれない。少なくとも、お腹がすいたり疲れてふらふらするまで歩かなくてもいいだろう。

 けれど、スンにとって一番良い暮らしは最初の、おばあちゃんと一緒に森の中の暮らしだった。自由に散歩できる森、自分で見つけた野苺や黒スグリのジャムの味。おばあちゃんの子守唄や御伽噺。できるなら、あの生活に戻りたいと思う。それは贅沢なのだろうか。

 スンにはまだよく解らなかった。


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