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縫い針娘スン  作者: 柳沢哲
11/13

銀の縫い針

 エーミアの用意した馬車はあまり揺れなくて、屋根と窓が付いていた。スンは窓から街を見た。たくさんの人がこっちを見ているけれど、スンに気付いた人はいない。不思議な出店がいっぱいあって、スンは窓に顔をくっつけってはっきり見ようとした。

 けれどすぐに飽きた。バンデラさんはどんな状態なのだろう。スンはそう思ってつらかった。

「私、とても我儘な娘だったの。」

 エーミアがぽつりと言った。

「あの日もそう。お父様が用意してくれたドレスが気に入らなくて、だだをこねていた。ついにははさみでドレスをびりびりに破いて、お父様も怒って、マフを困らせたことがあったの。」

 スンが興味をひかれてエーミアを見つめた。エーミアはそれに気づいてくすっと笑った。昔の我儘な自分がおかしかったせいもあった。

「マフを助けてくれたのはセリマさん。私がやぶいたドレスをきれいに仕立て直して、素敵に作り直してくれたの。わたしはそのドレスが気に入って、お父様と仲直りしたわ。セリマさんは、私のお姉さんで刺繍の先生だったの。誰にもいえないことを相談したりしたわ。私が遠くの学校に行く時も、たくさん服を仕立ててくれた。私より素敵な服を持ってる子はいなかったわ。」

 エーミアは悲しそうに笑った。

「スンのお母さんはとっても素敵な人。私の大切なお姉さんだったのよ。」

 スンはにこっと笑った。

「クナも、そう言ってた。お母さんのこと、すごい、すごいって。私、クナにも心配かけちゃった。」

「そうね。お店にのぞいて安心させてあげなきゃね。」

 エーミアが言った時、馬車が停まった。窓の外を見ると、そこには焼け焦げた家の跡があった。スンは目をぱちくりさせた。

「焼けてる。セリマさんのお店が焼けてる。」

 エーミアが言ったのでスンは驚いた。

「ここなの? ここ、お母さんのお店なの? 」

 エーミアは一番に馬車から降りると、話し込んでいる女性達に話しかけた。彼女達はエーミアのりっぱな身なりに驚いたが、好奇心に駆られてすぐに話した。

「なんでも、ルルッシュの店の者が火をつけたんですって。死人やけが人はでてないですよ。セリマの店のものは皆別の場所に移って仕事をしてます。」

 エーミアはさっそくそこに向かった。スンは胸がドキドキした。誰も怪我をしてない、と言われても不安だった。クナが大怪我をしていたら、指や手を怪我していたら、大変なことになる。

 すぐにセリマの店についた。中では慌しく人々が働いていた。一生懸命なので、扉が開いたことにも気付かない。皆機械を使って縫っている。クナの姿はない。店のものは顔なじみだったので、エーミアに気付いて感激した。

「まぁお嬢さん、きれいになられて。」

「親方、お嬢さんだよ。」

 クナが店の奥から出てきた。その顔はスンが初めて会った時よりもずっとひどかった。泣きはらした眼は赤くなり、クマが真っ青で、髭はぼさぼさに生えていた。

「お嬢さん……ああ、せわしなくてすみません。」

声も元気がない。

「ごめんなさい。忙しい時に訪ねたりして。」

エーミアは手提げカバンを持ってクナにそっと近づいた。

「あなたにどうしても、この子を会わせたくて。」

 そっと、カバンの中を開ける。クナはそれを見て驚いた。それから泣きそうな顔になった。

「ちらかっていて、すみません。奥へきてください。」

 奥にある部屋は片付いているとはいえないが、半分だけ何も無い机と椅子があった。エーミアが腰かけ、スンを出した。

「お嬢さん、本当にお嬢さんなんだな。」

 カバンの中からスンが出てきてにっこり笑った。

「お店の人が皆戻ってきたみたいね。」

「ああ、もうばっちりさ。お嬢さんありがとう、皆あんたのおかげだ。」

クナは机に身を乗り出して、スンの顔を覗きこみ、スンの手を潰してしまわないように指先で掌をそっと挟んだ。

「ああ、お嬢さんの手だ。お嬢さんは本当に俺の前にいるんだな。お嬢さんは、幻なんかじゃなかった。」

「ごめんなさい。何も言わずに行ってしまって。あなたは怪我してない? 」

 クナは首を横に振った。

「俺は大丈夫さ。少し用事ででかけて、ちょうど新しい店に引っ越すから荷物を全部出してたし……。」

 スンはチョビの姿を探した。

「チョビは? 」

「ここだよ、お嬢さん。」

 弱り切った声がし、よたよたと部屋の奥からチョビが出てきた。チョビの背中には包帯が巻かれていて、足取りもおぼつかなかった。

「よし、そうかそうか。お前もお嬢さんが好きなんだな。」

 クナがそっとチョビを抱き上げる。

「元気そうだな、お嬢さん。」

「どうしたの? その背中……。」

 チョビに駆け寄り、スンは悲しそうに見る。

「チョビが先生のドレスを出そうとして、怪我しちまったんだ。なんとか大したことないみたいなんだけど。」

 スンははっとした。

「お母さんのドレス……。」

 クナの顔がどっと疲れたような顔になった。

「ああ、なんとか出したけど、ほとんど焼けちまったんだ。もうぼろぼろで着れやしない。」

 エーミアも悲しそうな顔になった。

「すまないなぁ、お嬢さん。」

「そんなこと言わないで。」

 悲しそうなチョビを見て、スンは叫んだ。

「ドレスはドレスだもの。ドレスは抱きしめてくれないもの。温かくもないもの。チョビの方が大事よ。クナが、怪我してなくて、良かったもの。」

 スンは眼に涙をいっぱいためた。

「お母さんだって、ドレスが燃えて灰になったって、皆が笑ってくれるほうがいいもの。」

 クナの眼にじわっと涙がたまった。

「お嬢さん、あんた、本当に先生のお嬢さんだ。」

 クナが机に顔を伏した。

「先生は、どんなにいい服を作ったって執着しないんだ。自分が作ったものは、それを着る人のもんだって……その後は雑巾になろうが、なんになろうがかまわないって……でも、俺にはあのドレスが先生だったんだ……。」

 クナがぐいっと涙を拭いた。

「俺はもう先生なんか作らない。俺の先生はたった一人、あの人以外に誰も代わりなんかならない。俺は俺の認める服を作る。」

 スンは立ち上がったクナを見上げた。元気になって決意を固めるクナの姿は、見ているスンにも元気が沸いてくるほどだった。

「お嬢さん、寸法を測らせてくれ。お嬢さんのために俺は服を作りたい。」

「嬉しい。私、畑仕事をする服が欲しかったの。」

 クナがスンの身体を巻尺で計っている間、エーミアはチョビの頭を優しく撫でていた。


 少し寄り道をしてしまったが、屋敷についた。エーミアは誰にも告げずにスンを連れて行った。執事のマフにも言わなかった。マフは硬い表情で、エーミアをバンデラさんの部屋に案内した。

 バンデラさんは眠っていた。険しい表情だった。

 エーミアはそっとベッドのそばに座って、バンデラさんを見つめた。

「お医者様はなんて? 」

 首を横にふるマフを見て、エーミアはぎゅっと唇を噛んだ。

「私、つい先日ナヌリアス王子に会ったわ。」

マフが驚いた顔をした。

「第二王子は、たしか……。」

「立派な青年だったわ。」

 エーミアはバンデラさんの手を握った。

「彼は森で一人の愛らしい娘に出会ったと話してくれたわ。娘は彼の姿を恐れず、ずっとそばにいたと。恐ろしい姿になった自分に寄り添ってくれた娘のおかげで、自分の間違いに気づくことができたと、言っていたわ。」

 ぴくりと、バンデラさんの指が動く。エーミアはそっと顔を覗きこんだ。

「お父様、戻ってきましたわ。」

 バンデラさんの顔が、苦しそうに歪む。

「……セリマはどこに? 」

「お父様、セリマさんは亡くなったわ。」

 エーミアがそっとカバンの中から何かを取り出した。バンデラさんは目を細めて、震える指を伸ばした。

 真っ黒な髪に真っ黒な眼、リンゴのような頬をした、小さな娘。不安げに自分を見つめる顔。小さな手で伸ばされた指を握りかえす。

「許してくれ。私は、私は……。」

バンデラさんはガタガタ振るえ、眼に涙をためて言った。

「恐ろしいと思ってしまった。」

 彼の目から涙がこぼれた。

「家族のように愛すると誓ったのに、娘として迎えると言ったのに……恐ろしいと、拒絶してしまったのだ。」

「お父様? 何のこと? 」

 エーミアが顔を寄せる。バンデラさんは震えて、涙を流した。

「あの日、私はセリマと他愛のない話しをしていた。エーミアのためのドレスの話や、友人に贈る外套の話だ。すると、突然セリマがむせた……セリマは、真っ赤なザクロを吐いた。」

 ザクロの季節ではなかった。セリマの口から何度も吐き出されたザクロは、小柄なセリマの身体に収まる数ではなかった。甘酸っぱい匂いが立ちこめ、セリマは涙で濡れた眼で振り返った。

 真っ黒な、あまりにも真っ黒な眼は、人間の目ではなかった。

「私は、セリマに怯えた。セリマは、すぐさま立ち去った。そして二度と現れなかった。」

 消え入るような声で、バンデラさんは言った。

 スンは、深くうつむいたバンデラさんの顔に近づいた。そして、一生懸命手を伸ばした。震える手でバンデラさんはスンを抱きしめた。スンは何度も何度も頬ずりした。

 スンの顔がセリマと重なった。

 ふわりと花の匂いが、抱きしめるように身体を通り抜けた。目の奥に、見たこともない森が一瞬過ぎった。

 青々と茂る葉、コケに包まれた木の陰、黒々とした立派な木々の間、セリマが笑っていた。銀色の針を、両手に乗せて、輝いて消えた。

 はっと、掌を見た。

 スンが笑って見上げている。眼を潤ませて。

「お母さんが、お父さんのことがとっても好きだったから、私が生まれたの。お母さんがお父さんを大好きになった気持ちから、生まれたの。」

 バンデラさんはスンを優しく抱きしめた。握りつぶさないよう、一生懸命力を抑えながら抱きしめた泣いた。

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