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縫い針娘スン  作者: 柳沢哲
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森から産まれた娘

 森の奥には一人の老婆が住んでいた。話し相手もなく、動物や木と話をして暮らし、時々町にきてはほんの少し売り買いするだけで、すぐに森に帰っていく。町の人々は老婆を魔女ではないかと噂し、森の奥には誰も近づかなかった。

 冬も終わりに近づいた日、老婆の家に一人の女が訪ねてきた。痩せこけた女で、綺麗な黒い目をしていた。町の娘ではなかった。 髪はまっすぐで黒いのに、白金のような光を放つ不思議な色をしている。青白く血の気の失せた顔で息はか細く、女の顔には死相が漂っていた。命が終わりかけていることに気づいた老婆は、彼女を寝台に横たわらせた。女は薄い声で言った。

「お願いです、私が死んだら森の奥に捨ててください。」

 女は首から下げていた小さく細い袋を、老婆に握らせた。

 震える手を握り、老婆は女の手から袋を受け取った。

 老婆はまだ若い女を不憫に思った。そして、彼女が息を引き取ると森に亡骸を埋めた。彼女の荷物はパンの欠片と粗末な衣一枚、靴は泥だらけで穴が開いていた。老婆に託した袋の中には、銀色の縫い針が入っていた。

 老婆はそれを一緒に埋葬しなかった。いつか、この女を捜して誰か来た時のために。 けれど誰も来ず、町でも女を探している話を聞かない。

 春が来て雪は溶け、森には生物の声と花の香りが満ち始めた。女を捜している者はこなかった。老婆は花を摘んでくると女の墓に供えた。季節が過ぎ、老婆はいつも女の墓を飾った。冬になり飾る花がなくなると干した木の実を供えた。 何年も老婆はそうやって墓を飾った。老婆には、ほんの一晩しか会わなかった女が、我が子のように愛しく思えていた。十年ほど経っても老婆は変わらず、女の墓を見舞っていた。 ある年、葉も花も艶々した生気で満ちていた。今までこんなに活気に満ちた森は見たことがない。誰もが豊作を期待した。だが、実がならなかった。町の作物も不作で、住人全員が困り果てた。老婆の畑も同じで、どこかに栄養が移ってしまったように、作物はほとんどならなかった。 実りがほとんどないまま秋になり、森中の花が枯れてしまった。老婆は供えるものこそないが,雪でも払おうと娘の墓に向かった。 墓の周りは雪で覆われ、かろうじてたてた墓標が見える。雲が去り陽が差し込み始めたが、雪は溶けずに残っていた。老婆は足を止めた。

 一面の白い森の中、淡い赤みを帯びた色が眼に入った。 一輪の花が咲いていた。ふわりと甘い匂いのする可憐な花だった。雪の中、花は艶やかな花弁を誇らしげに開き、すっと背筋をのばすように生えていた。老婆がこの森に住み二十年にはなるが、こんなことは初めてだった。

  ふと、花の根元に何かいた。黒っぽく小さな何かは、野ネズミかリスほどの大きさだった。老婆が近づいてよくよく見ると、それは小さな娘だった。

 ぱっちりとした黒い眼の、縫い針ほどの大きさの娘。髪はあの女と同じ、不思議な黒色をしている。目も同じ黒い色だが、輝くような艶がある。赤みのさした頬と丸みを帯びた手足をし、老婆が指先を伸ばすと手を伸ばして握り返した。

  老婆は娘にスンと名づけた。

 言葉のおぼつかない娘だったが、一ヶ月もたつと老婆の話す言葉を覚えた。老婆は娘を森に連れて行き、口笛を吹いて森の動物達を呼んだ。動物達は娘を怪しがっていたが、一番最初に近づいたのは野ネズミだった。やがて鳥、ウサギ、鹿、熊と大きな動物達も娘を受け入れていった。 毎日娘は森に出て、ネズミ達のように木に登り、木の実を集めて日暮れ前には老婆のもとへ戻ってきた。

「スン、お前は小さいからいくつか、役立つことを教えておこう。」

 老婆は机の上に裁縫箱を置き、ほつれたカーテンも隣に置いた。

「針よ針。踊っておくれ。糸は布を繋ぎ合わせておくれ。」

 老婆が歌って手を叩くと、裁縫箱が開き針と糸が飛び出した。ふわりと布が揺れ、ぴょんぴょんはねる針に糸が絡み、あっという間に布のほつれは繕われてしまった。

 娘はじっとそれを見ていた。老婆がぽんぽんっと手を叩くと、道具は元の場所に戻った。

「いいかい、物には持ち主や作ったものの命がこもっているんだよ。それがしっかり解れば、触れなくても仕事をしてくれるんだよ。」

 娘は老婆の言っていることがわかるのか、小さな頭を大きくうなづかせた。

 ある日老婆は娘を家に残して町へ買い物にでかけた。薪と乾し葡萄を少し売って、小麦や砂糖を買った。実りが芳しくないせいか、町の眼は老婆を怪しがっていた。彼らの中で漠然とした不安が、老婆を魔女と思い込むことで形になっていくのが分かった。老婆はいつもより早く町を出た。

 家が見え、スンはまだ森にいるのだろうかと思いながら戸をあけると、台所でとんとんと音がしていた。

「水よ水、お鍋に半分入っておくれ。豆は一握り、鍋に入っておくれ。」

 愛らしい歌声がした。小さな娘が台所の上で踊っていた。水が宙を舞って鍋に入り、暖炉の薪には火がともる。豆が跳ねるように鍋に入り、娘は塩の入った箱を指差して踊る。塩がぱらぱらと鍋の中に飛び込んでいった。

 老婆は驚いて見ていた。調理器具が踊り、皿が行進しながら机の上に並ぶ。昼に焼いたパンが皿の上に並ぶと、夕食のしたくはすっかり整ってしまっていた。

 スンは老婆に気付いてにっこり笑った。老婆はまな板の隣に立っている娘に手を伸ばし、掌に乗せると頬ずりした。

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