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その2

 倉庫は真の暗闇というわけじゃなかった。

 どこからか、光が漏れている。私の目からは、まるで天空から光の柱が立っているかのよう。古い建物だ。天井の一部が割れて、穴が開いているのだ。

 差しこむ光は、黄昏色。

 この日の夕暮れは、とても気だるげで、見知らぬ他人のようによそよそしかった。それは見知らぬ土地で見る風景だから、そう感じるのだろうか。


 でっかい、岩をも貫きそうな拳が視界を占領しかけたとき、私は思わず眼をつむってしまった。どう考えても痛いからだ。痛いのはいやだ。

 女性だから、痛いのは平気だろうと妙な笑顔で言ってくる男性もいるが、なにをいっているのか正直よくわからない。女は木石じゃないし、殴られれば血も出るし、痛いものは痛い。

 

 ここでボガードがヒーローよろしく、『俺の女に手を出すな!』なんて言って駆けつけてくれたら、どんなにいいだろう。でも、彼は今頃アリーナの砂塵に両足をつけて、闘いに身を投じているはずだ。背中に羽根が生えていない限り、この窮地に間に合うはずがない。

 あーあ。私はツイていない女だ。


 つまらない人生だった。こういう事態が起こることを師ヴェルダから示唆されていたにも関わらず、私はこんなことになっている。ダメだな。人を殺す覚悟ができなかったから、メルン・スイーダはいなくなる。ボガードは私がここで殺されたら、泣いてくれるだろうか。それとも、こなごなになった私の顔をみて笑うかな。

 ちょっと哀しい気持ちになって、涙が出そうになる。

 それにしても、拳が落ちてくる速度が思ったより遅い。


 私は思い切って、閉じていた瞳を開いた。

 すると妙なことになっていた。さっき、拳を振り下ろしてきたラーミアの位置は、仰向けになった私から右のほうだった。――それが、いまは左にいる。

 しかも仰向けに転がって、私と同じように天井を見つめている。私の愛らしい顔を潰すのが惜しくなって、やめてくれたのだろうか。

 いや、それにしても仰向けはおかしい。

 

「ふざけやがって……。妙な手妻を使いやがったか」


 私は何もしていないのだが、返事はしなかった。実はまだ胃が苦しい。すらすら返事ができるほど回復はしてなかったのだ。

 

「上等だよ、このクソ魔女が!」


 ラーミアはすっくと立ちあがり、怒りの形相で私を見下ろしている。さっきのおふざけは何だったのかよくわからないが、どうも赦してくれたわけではないらしい。この筋肉女は、まだ身動きとれぬ私に向かい、再び拳を振り下ろしてきた。

 私は、今度は瞳を閉じなかった。

 おかげで、何が起こったか、その一部始終を見ることができた。


 ラーミアは、まるで見えない糸で操られるかのように、私の頭上をぐるんと飛び越え、背中から落下していった。今度は彼女は仰向けにはならなかった。少々不格好ながらも、お尻の方から落下して、ダメージを最小限にとどめたようだ。

 そして振り返り、叫ぶ。


「なんだ、眼に見えねえが、誰かいるな!」


 よくよく叫ぶのが好きなヒトだ。おのれが誘拐犯であるというジカクはないんだろうか。そう思っていた矢先、暗闇から染み出すように、ひとりの黒装束の男が姿をあらわした。この不気味な面構えの老人には、ミオボエがある。

 老人は邪悪な笑みとともにこう告げた。


「――霹靂流(へきれきりゅう)の忍び、グルッグズ推参」


「何者だ、てめえ――」


「それはこっちの科白(セリフ)だな、若いの」


「なにい?」


「卑劣にも、我がダチの弟子をかどわかし、さらにか弱い娘を虐待する。何の権限があってそのような無法をする、若いの」


「ダチ――? ふん、またあのコネ野郎の関係者か」


「若の悪口を云う者には、容赦せぬぞ」


「その科白(セリフ)、ヘドをつけて返してやるぜ」


 双方の眼から火花が散っているようだった。

 ところで私はというと、まだかろうじて上半身を起こした状態だった。別にモノグサだからこうしてるわけじゃない。ようやく、まともに言葉が出るほどまでに回復したのだ。


「がんばって」


 ようやく、それだけ絞り出した。そうそう、いまのうちにソルダを助けにいかなくちゃ。そう思っていたら、倉庫の奥から、こちらへ駆けてくる足音がする。見ると、その人物は当のソルダ本人だった。グルッグズが戒めを解いてくれたのだろう。

 

「大丈夫ですか、メルンさん」


「ウン、とても大丈夫」


 ホントはまだ痛いのだが、ソルダ少年に余計な心配はかけたくなかった。だって、この子も頬を赤く腫らしていたからだ。この少年のことだ。さらわれるとき果敢に抵抗して、あのサディスト女にひっぱたかれたのだろう。

 こういうことをする人は、赦しちゃいけないな。

 そう思いつつ視線を移すと、すでに闘いは始まっていた。


 ざっと土ぼこりが舞って、ラーミアが転がっていた。

 グルッグズの姿は、すでに私の眼にも見えない。彼が使っているのは、魔術ではなく、特殊な鍛錬によって生み出された体術によるものだからだ。


――隠形(オンギョウ)


 グルッグズの使う技術の総称である。

 どういう理屈なのか、この男の姿は闇に溶けて見えない。それは当然、あの乱暴者の筋肉女にも見えようはずがない。

 ラーミアが虚空に拳を繰り出すたび、おもしろいように彼女の身体は宙を舞った。傍から見れば、まるで彼女がひとりでくるくると受け身をとっているようでコッケイである。ざまをみろ。

 しかし、回数を重ねるたび、彼女は受け身のコツを見出したのか、立ち上がるタイミングは速くなっていく。それと対照的に、グルッグズの動きは悪くなっていっているようだ。

 

「どうしたい、ジジイ。息が上がっているようじゃないかい!」 


 対するグルッグズは無言だ。位置を悟られるわけにはいかないから、当然のこと。だけど、徒手空拳のワザをまったく識らない私にも、わかってることがふたつある。

 それは隠形ってのは、なんらかの呼吸法でなりたってるということ。息があがれば、隠形が使えないってこと。

 そしてその瞬間は、音もなく到来した。


 暗闇が分離するように、グルッグズの黒装束が闇から現れたのだ。奇声をあげて、ラーミアはグルッグズに躍りかかる。だが、この老人の持ってる技は、それだけじゃないよ。

 むろん、忠告なんてするギリはないから黙っている。

 ソルダ少年はどうしたかといえば、私の苦痛をやわらげようと、しきりと背中をさすってくれている。とても嬉しいけど、それよりも助けを呼んできてくれた方が、お姉さんは助かるな。

 

 グルッグズは殴りかかるラーミアのふところに入り込むと、がっちりと組み合った。両手と両手が絡みあい、力比べのような様相になる。一見、この攻防で有利なのは、パワーでまさるラーミアだ。

 だけどグルッグズには秘技がある。

 組み合った状態のまま、グルッグズは器用に片足を垂直に持ち上げ、ラーミアの顎を撃ち抜いた。かれ得意の、すくい蹴りという技術だ。

 蹴られたラーミアの顔が上を向いた瞬間、グルッグズはすかさず投げを放った。だが、ラーミアもさるもの。衝撃を顎先にもらいながらも、奇麗に受け身をとっている。

 

「なかなかの技を持ってるな、ジジイ」


「これは誉められたと思っていいのかな」 


「勘違いするんじゃないよ。――2度目はない。もうそいつは見切ったって言ってるんだよ」


 ラーミアが深く身体を沈めた。

 半身の姿勢になり、両拳をグルッグズへ向ける。

 例のように、左手は頭上から、右手は下から突き上げるような形で。まるで顎を開いたムアサドーのような、変な構えだった。

 グルッグズは下がった。その構えから、嫌なものを感じ取ったのだろうか。のがさじとばかり、じわりと前進するラーミアに対し、グルッグズは妙な行動をとった。

 

 なんと対戦相手に背を向けて、出口のほうへと向かっていくではないか。えっ、さすがのわたしも、この行動には面食らった。


「逃がしゃしないよ!」


 ラーミアが変な構えを解いて、ものすごい形相でグルッグズの背中を追う。グルッグズはこちらに背を向けたまま、倉庫の入り口あたりでうやうやしく片膝をつき、


「――若、お待ち申し上げておりました」


 と告げた。

 私にも、その姿が見えた。

 見間違えようもない、逞しい肉体を有した異世界人(カミカクシ)

 ボガードがやってきたのだ。


「ようやく、主役のお出ましかい!」

 

 ラーミアの声を無視するように、ボガードの眼がこちらへ向けられた。しまった。わたしときたら、汚物にまみれたくっさい格好で横になっているじゃないか。しかも顔を腫らしたソルダ少年に、背中をさすってもらっている。これは、あとでお説教コースかな。そう思ったけど、彼の怒りの矛先はこっちじゃなかったみたい。

 ボガードの視線は、ラーミアへと移っていた。


「……やってくれたな」


「さて、なんのことだい?」


 その言葉は余計だったと、わたしは思った。ボガードは、今まで見たこともないような、怒りに満ちた形相で、こうつぶやいた。


「お前だけは、赦しはしねえ……」 


『強敵乱舞』その2をお届けします。

次話は月曜日を予定しております。

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