その10
「あー、静かにしてほしい……」
私、メルン・スイーダは、下着姿のままでつぶやいた。
私たちの定宿ともいうべき、『栄光の担い手』は、とにかくうるさいほどの量の魔岩が埋め込まれ、絶え間なく光を放っている。正直、繊細ともいえる私の肌には合わない。
開け放っておいた窓からは、遠慮がちな陽の光と、透き通った涼風が私の髪を撫でていく。昨日の熱気はどこへやら。この日、太陽は恥ずかし気に雲間から顔を出すばかりだ。
「そろそろのはず」
私は誰もいない部屋でひとりごちると、そっと窓辺へと近寄った。それが合図だったかのように、白い鳥がふわりと空から舞い降りる。
「ちゃんと役目は済ませた?」
私の造った白い鳥は、クエと一声鳴いて、どうだとばかりに足許に結びつけられた紙切れを誇示してきた。われながらいい出来だ。誰もいない部屋で、私はガッツポーズをひとつ。
魔女創造術は、偉大なるヴェルダから教えを受けた、ごく一部の魔女しか使えない魔法なのだ。当然、男性であるジュラギなんかには使えない。ざまをみろ。
鳥がクエともう一声鳴いて、私の注意を喚起した。
そうだった。私の思考はいつも脱線する。だから、他人からは「何を考えているのかわからない」とか、「特別な力を持った魔法使いは普通の人間とは違うものが見えている」とかいわれてしまっているのだが、そんなことはない。わが師ヴェルダはすごく理知的な人だし、ジュラギは黒い服さえ着てればそれでいい男だし、ラーラ姉さんはちょっと違うか。あんまりしゃべらないけど、気持ちは通じ合っている。
「でも、勝手に出て行っちゃったしな……」
いや、あれは誤解だったのだ。ラーラ姉さんは美しいが、昔から美意識がちょっとヘンなのだ。だからジュラギなんて黒づくめの男性に惚れて、家を出て行ってしまったのだ。
あれは私もヴェルダ師匠も大いに傷ついた。
いや、師は全部オミトオシだったみたいだから、私だけがひとり勝手に傷ついたのか。それはそれで複雑なものがある。
「クエックエッ!」
鳥がしきりと鳴いている。そうだった。
私は注意されないと、すぐに意識が散漫になってしまう。私はあわてて、鳥の細い足首に、器用に結びつけられた紙切れを解いていく。
紙きれを広げると、その小さな紙片いっぱいに、上空から俯瞰して、丁寧に書き記した地図が描かれている。この王都の一部を切り取ったものだろう。
地図の一部――黒丸で記されている場所が、ソルダ少年が囚われている場所に違いない。
「でかしたぞ、鳥」
私がそういうと、鳥はうんうんと頷き、役目を終えたとばかりにひとこえ鳴いて、その身を宙へと溶かした。私が込めておいた魔力量の限界がきてしまったのだ。
これで位置はわかった。あとは奪還するのみだ。
しかし、無事に位置を把握できてよかった。戦闘の真っ最中であろうボガードには、大見得を切って「バショガワカッタ」なんて告げてしまったが、実際はまだだったのだ。もしこれで位置が把握できなかったら、うそをついたことになる。その場合、私の顔面に、あのまるっこい堅そうな拳がめりこんでいたことだろう。
いや、ああ見えてボガードは女性にやさしいのだ。暴力的なふるまいはするまい。うん。それにしても、彼の周りにはいつも女性の影がちらつくが、誰か意中の人がいるようには見えない。そもそもずっとそばにいる私に一向に魅了されないのはなぜなのか、そこがわからない。
「……おっと、急がなきゃ」
こうしてはいられない。私は村娘のような地味な服装を身にまとい、その上に、やぼったい帽子で顔を隠し、さいごに小さな杖を背中にしのばせて部屋を出た。見栄えだけはやたら派手だが、魔法術は遅れてるこの王都は、私にとって居心地のいい場所とはいえない。こそこそしないと捕まってしまう。
悪いことしてないのに、悪いことしてる気分になる。
まったく損だよ、魔女ってやつは。
そんなことを考えつつ、鍵はフロントに預けて。私はこのうるさい宿から目的地へと足を向ける。あっと、そういえば、ひとつだけ懸念があった。
「ねえ、フロントのひと」
「はい、何かご伝言でも?」
「小鳥はクエッて鳴くものかな?」
「はあ――?」
どうやら、眼をまんまるにして聞いてくるフロントの人も、明確な答えは持っていないようだった。ならばこれ以上の会話は無用。私は「あ、もういいです」と一声置いて、宿の大きな扉をくぐりぬけた。
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地図を頼りに、私は王都を歩く。
といっても、この町に来るのは初めてなのだから、私がこの地図に記された位置までまっすぐに向かえると思うなら、それは大間違いだとおもう。
迷いに迷ったあげく、私がとった行動は、人に地図を見せて、場所を聞くというものだった。不幸中のさいわいというべきか、私の格好が田舎から出てきた村娘そのものだったものだから、わりかしみんな親切に場所を教えてくれた。
描かれている場所は、スラムというべき、かなり荒れた地域だった。王都にすらスラムはある。格差とはどこでも生まれるものだなあ。私が漠然とそんなことを考えていたら、そのたたずまいがよほど不安だったのか、途中までついていこうか、なんていってくれる男性もいた。もちろん、それは丁寧にご辞退もうしあげた。お互い不幸な結果しか生まないのがわかっているからだ。
大河のうねりのような騒がしい人の波が途切れ、付近の建築物も徐々にみすぼらしいものに姿を変えていく。薄汚れた、埃っぽい民家の隙間から、光り輝く瞳がぎらぎらと輝いているように見える。
まるで、獲物を狙うムアサドーの群れのようだ。私はなんとなくそう考えた。
「姉ちゃん、道案内しようかい?」
ざらついた男たちの声がする。見るともなく見ると、痩せこけたアオオオカミのような3人の男どもが、行く手を遮るように立っている。
私は大きくタメイキをついた。こういうつまらないことで魔力を消費したくはないのだが、今は時間が惜しい。
「道はわかってるので、いらない」
「そうつれないこというなよ、姉ちゃん」
「釣れないのは魚と女。それじゃまた」
「待ちなっていってるだろうが!!」
男どもが本性を現して、拳をふりあげて私を威嚇する。
面倒だが、ちょっとした魔法をひとつ。
こっそりと背中に隠した初歩の杖を、そっと袖にしのばせる。それで道に落ちている石ころを拾うと、ぽんと相手に投げ渡した。リーダーっぽいアオオオカミは、不審そうにそれを手に取った。次の瞬間である。
その石は、たちどころに10倍の大きさになり、次の瞬間には20倍の大きさになる。男は石を持っていられずに、道に仰向けにひっくり返ってしまった。
魔女創造術の初歩だ。
「た、助けてくれえっ!!」
男は情けない声で救助をもとめる。
左右のアオオオカミは意味がわからず、ぽかんと男を眺めているだけだ。それもそのはず、石は大きくなどなっていない。あの男だけがそう錯覚しているだけなのだ。
初歩の魔術だから、簡単なものだ。時間が経過すれば術は解けるし、そもそも意思が強い人間にはかからない。子供だましの時間稼ぎだから、それでいいのだ。
そんなメンドクサイ事態に遭遇しつつも、私は目的の場所へとやってきた。
その場所は、いまにも倒壊しそうな大きな倉庫だった。かつてはたくさんの在庫を抱え、その荷を運搬する馬車が、絶え間なく往復したのだろう。地面にはいまなお古い記憶を語る老婆のような、ふかい轍が刻まれている。
戦いになるかもしれない。準備が必要だった。わたしはその刹那、棒立ちになり、口のなかで魔を練る。この時間に攻撃されれば命がない。前衛がいないので、今の私は必死だ。
それがすむと、私は暗く不気味な倉庫内に足を踏み入れ、できるかぎりの大声をふるまった。
「ここにいることはわかってるよ!」
返事はない。もう一度。
「あきらめて、人質を出しなさい!」
まちがってたら、さっさと帰ろう。
そう思った矢先――ちゃんと答えが返ってきた。
「……嬢ちゃん、よくこの場所がわかったね」
暗闇から、大柄の女性が吐き出された。
昨日会ったから覚えている。ラーミアという乱暴者だ。
「仕合はどうしたの?」
「そんなのはどうでもいいんだ。あの男さえブッ潰せれば、どうでもいい。オレには関係ない――」
「あなたも、代表に選ばれた。ちがう?」
「まあな。だが――」
「送り出してくれた人に、悪いと思わない?」
私の言葉がたいそうお気に召さなかったようで、彼女は盛大に舌打ちして、
「小娘が、知ったような口を――」
と、わたしに掴みかかろうとした。
ところがどっこい。私にも準備ができている。
私は裡に練っていた魔を開放するために、がばっと顔を上げた。袖から小さな初歩の杖を取り出すことも忘れない。
『怒りの火球!!』
杖から放たれた炎は、ラーミアを包んだ。
「うがああああああっ――!!」
服の灼ける、うんざりした臭気がただよう。
初歩の杖だから、それほどの破壊力はない。それでも狼一頭サイズなら丸焼きだろう。それに人間を殺すということに抵抗がある私は、しばらく戦闘不能になってくれればそれでいいと思っていたのだ。
それが裏目に出た。
彼女は何と呪文を耐えた。
さらに炎に包まれたままの拳で、私の腹部を貫いた。わたしの鍛えていない柔らかな腹筋は、まるっきり防御力がない。胃の奥まで打撃が浸透し、私は胃液を吐いてのたうち回った。
「ううううっ」
呼吸ができない。わたしは陸に上がった魚のように、ひたすら痙攣し、胃液を吐き散らすことしかできなかった。苦しい。意識が白濁化して、次の呪文どころじゃない。
ざばりと水音がする。どうやらラーミアがバケツの水を頭からかぶったようだ。まさか事前に怒りの火球を食らう用意があったとは思えない。自分で飲むためか、それともソルダのためか。いずれにせよ、確実なのは、ラーミアが薄皮一枚焼いただけで、ぴんぴんしているという事実だった。
「よくもやってくれたね、このアバズレが――」
ラーミアは怒りにひくついた表情で、仰向けの私の顔に、正拳を落としてきた。一撃で頭蓋骨がつぶれそうな、ごつい拳だった。
いやだなあ。つぶれたブサイクな死に顔を、ボガードには見られたくないな。拳が迫るあいだ、わたしはそんなことを考えていた。
『トーナメント開始』その10をお届けします。
今回は趣向を変えてメルン視点です。
次話は翌月曜を予定しております。




