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その9

 アリーナの地下にも風はある。それはどことない黴臭さをともなって俺の皮膚をなでる。刻々と時間は風のごとく過ぎ去っていく。小さな振動がする。それは上のアリーナからのようだ。俺の登場を待ちくたびれた観客が、足踏みをしているらしかった。


 俺は狼狽していた。しかも、その狼狽ぶりは誰でも理解できるほど明瞭だったのだろう。目の前の、子供ともいってもいい年頃の娘に、こう諭されたのだから。


「まずは落ち着いて、ボガード」


「こんな事態に、落ち着いていられるか」


「いいから。あなたはこれから、傾斜路を昇って闘いに赴くの」


「捕まった弟子を放っておいてか」


「だから最後まで聞きなさいっての。この手紙をよく見て。『少年は預かった』。だけど、ボガードになにをしてほしいのか、具体的な要求は書いてないわ」


「……そのとおりだ」


「つまり相手は、これからあなたに対する要求を告げてくるはずよ。かならず第二の使者が現れるはず。あたしはここで、それを待ってるから、ボガードは今できることをする、いい?」


「そうだな」


 俺は年下の子供に説教をされている気分になって、思わず俯いていた。まったく、歳を経ても、男は大したことはないな。子供でも女性のほうが、よほど肚が座っている。

 確かに現状は、俺の打つ手などはない。

 人さらいのラーミアが完全に主導権を握っている。それにしても、やつの意図はなんだろう、その疑問がある。もし、やつが俺にトーナメントで敗退してほしいなら簡単だ。この紙片にそう書けばいい。


「――ボガード選手!!」


 再度、進行係の怒声が響いた。もう限界だな。俺はエルセラに後を託し、傾斜路を昇った。周囲の視線が痛い。どうやら、かなり待たせちまったようだな。

 さすがに王だけはいらだった様子を微塵も見せず、相変わらずの貫禄で俺を見ている。俺はほかの3人の闘士の列に加わり、他の連中に倣い、手を後ろに組んで王の言葉を待った。


「よくぞ集まった、闘士たちよ――。若干の開始時刻の狂いが生じたが、まあ細かい罪は問わぬことにしよう。それでは、本日も熱戦を期待しておるぞ」


 どうやら、失格という事態にはならなかったようだ。続いての進行係のアナウンスで、俺は対戦相手のモーリー・ローダンと対峙することとなった。

 黒髪で肌が白い。身長はおれよりも少し高いぐらい。190はいかないが、それに近いぐらいの高さはありそうだ。ただ、筋肉の厚みは俺の方がある。ひょろ長いのっぽというイメージだ。

 彼は生粋のフランデルの闘士だと聞いている。どのような技術を有しているのかは分からないが、俺としてはあまり時間はかけたくない。


 仕合を始めよ、という進行係の声が響き渡り、2組の仕合が同時に開始された。先制攻撃を仕掛けてきたのはローダンだった。

 長い脚が俺の胴めがけ、毒蛇のように伸びてきた。

 右の前蹴りだが、リーチが長い。バックステップでかわすことができず、俺はその蹴りをガードして受けた。かなりの威力だ。俺は力を流すことができずに、後方へと押される。

 

 ローダンは間合いを詰めて、もう一度同じ攻撃を仕掛けてきた。馬鹿のひとつ覚えか。俺は蹴りをかわすと同時、踏み込んでカウンターの右ストレートを奴の顎先へと延ばした。

 瞬時、悪寒を感じた。これは、まずい。

 わずかに肉体の反応が遅れていた。工夫がないと思われた前蹴りは、ローダンの誘いだったのだ。やつは俺の反撃を見越して、左の膝蹴りを置いていたのだ。


 変形の二段蹴りを、俺は顎先にもろに食らっていた。

 直撃だ。

 俺は後方へと下がったが、視界が揺れている。

 膝が震えていうことを利かない。効いているのだ。

 

 やつは奇声をあげて、猛禽類のように俺へとびかかってきた。ふらつく俺の頭部を片手で鷲づかみにして、ジャンピングの膝蹴り、膝蹴り。俺はブロックするのが精いっぱいだ。

 観客の歓声が怒号のようにうねり、大気を揺らしている。

 ローダンの実力は、バーダックの足許にも及ばない。

 両者と闘った俺には、それがわかる。

 

 だがこの惨状はどうだ。いまの俺は、バーダック戦以上の苦戦を強いられているではないか。

 長身から放たれる跳び蹴りは、ガードの上からでも効く。俺はふらつきながらも、ガードは解かない。解いたら最後、俺の顔面がアリーナに接吻する羽目になるからだ。

 亀のように顔を引っこめ、固くガードした俺に業を煮やしたのか、ローダンは目標を変更し、がら空きの胴へと膝を入れてきた。

 モロに直撃した。鍛えぬいた腹筋も、さすがにこいつを耐えきることはできなかった。俺は身体をくの字に折り曲げて、思わず片膝をついた。

 

「野郎、くたばれ――」


 ローダンはひねりのない罵声とともに、膝を放つ。

 俺はふたたびガードでそれを受けたが、片膝をついた不安定な姿勢では、とても態勢を維持できない。俺はおもちゃのように後方へと飛ばされた。アリーナが広くて助かった。これがリングなら、逃げる場所がなくてタコ殴りにされているところだ。

 

 俺は仰向けの状態で、空を眺めていた。この日、雲多く、涼し気な風が俺の頬を撫でている。これで敗けるのか――。

 俺が漠然とそう考えていたときである。


『ナニヤッテンノ?』


 ふいに無機質な声が聞こえた。

 幻聴かと思ったが、無機質な声はもう一度、俺の耳をうった。


『ソルダノイバショ、ワカッタヨ』


 俺はその声に跳ね起きた。――誰だ?

 見渡すが、人の姿はない。ただ俺の肩に、一羽の白い鳥がとまっていた。よく見ると、それは本物の鳥ではなかった。その形は見るたびに形を変え、不安定で明瞭としない。鳥というには、あまりに冒涜的な姿といえた。


「メルンか――?」


『ソウダヨ、ダカラ、シンパイシナイデ』


「そうか……そうだな」


 俺の心の迷いが、ファイトに表れていた。だからこそ、それほどの強敵ではない相手に一方的に押され、食らうはずもない打撃を食らっている。

 俺の心が、闘いに向かっていなかったのだ。

 ちゃんと気持ちを造らないまま、闘いに臨んでしまったんだ。不覚だった。このまま負けていても、文句は言えない。俺もまだまだ、修行が足りないというところだろう。

 

『チャント、マジメニ、タタカウコト』


 鳥もどきは、最後にそう言い残して飛び立った。


「わかった――」


 その言葉が言い終わらぬうちである。

 ローダンの右の跳び膝蹴りが、俺の顔面に放たれていた。

 すごい跳躍力だが、すでに俺には心構えが出来ている。

 その膝を、俺はガードすることなく、前進した。

 自分の額スレスレをかすめる膝を見切った俺は、カウンターの正拳突きを放っていた。空中にある、やつのどてっ腹目掛けて。


 完全な無防備状態で決まったボディブローは、確実にやつの腹筋を貫いた。空中でゲロを吐き散らし、奴は着地ともに前方へと倒れこんだ。

――これでダメージは、ほぼ五分かな。

 俺はアリーナに額をこすりつけて、胃液を吐き散らす男の恢復を待った。負けを宣告されてもおかしくはないぐらいの時間が過ぎ、ようやくやつは立ち上がった。

 

「さあ、続きといこうか、ローダン」


「……ああ」


 その眼に、先ほどまでの殺気はない。

 胃の中身をアリーナにぶちまけて、戦闘意欲を失ったのか。

 

「負けを認めるなら、終わりにしよう」


「いいや、まだやれる」


 ローダンはきっぱりと言った。 

 そうだな、お互いここまで残った闘士なんだ。それなりの意地とプライドがあるだろう。俺もそうだしな。

 だから、遠慮はかえって失礼だろう。

 俺はずかずかとやつの前方から接近した。

 ローダンは長いリーチの前蹴りを放ってきた。俺はその蹴りを払いつつなおも前進し、左足を延ばした。軌道は、回し蹴りと前蹴りの中間。

 中足を、やつのレバー目掛けて突き刺す。

 三日月蹴りだ。

 

「ぐええっ」


 こいつを耐えきるのは、並の人間では無理だろう。 

 ローダンはふたたび前のめりに倒れ、痛みにゴロゴロと転げまわった。立ち上がる余裕はないようだ。この状況を見た進行役は、さすがに仕合続行不可能と判断したのだろう。


「――勝者、ボガード殿」


 宣告と同時に、ひときわ大きな歓声があがった。

 俺は残身を解いて、片腕を上げた。

 これほどまで、喜びが感じられない勝利も珍しい。

 しかし、気が散った状態で勝負を挑むのは、もうやめだ。きっとメルンが何とかしてくれるだろう。そう信じるしかない。

 

 俺は迷いを断ち切るように深く息を吐くと、Aブロック最後の対戦相手に向きなおった。


『トーナメント開始』その9をお届けします。

次話は木曜日を予定しています。

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