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その7

 バーダックは長テーブルから、背のついた木製の椅子を一脚引きずりだした。彼はその上にガニ股でまたがるや、まるで馬を御するような格好で、カタカタと床を鳴らして近寄ってくる。じつに諧謔(ユーモア)のある男だと、おれは思った。

 

「――その前に、一杯おごってくれよ、アンちゃん」


 バーダックは酒を無心してきた。俺は小首を傾げ、


「ここはすべて無料だと聞いていたが」


「それは次へと勝ち進んだ選手とその身内だけさ。負けちまった俺にはもう、その特権はないのさ。だからオゴってくれ、アンちゃん」


「なるほどな、そういうことなら仕方ない」


 俺はバーダックのためにエールを一杯注文した。

 テーブルに置かれた杯を、彼は嬉しそうに傾けると、


「――んで、訊きたいことってのはなんだい」


「あんたがその技術をどこで教わったかについてだ。あんたの使った技は異質だ。ボクシングに加えて肘、さらには関節技と多岐にわたる。ひとりの師匠について学んだようには見えなかった」


「その通りだな――。俺の師匠は、察しの通りバラバラさ。フランデル王国と違って、ゼーヴァ帝国には、徒手空拳の流派がいくつもある。その技を実戦で使ってみて、ああ、こいつは使えるなって技だけを取捨選択していった結果、俺のような中途半端の塊のような男が出来上がったというわけさ」


「実戦で使うということは、あんたは傭兵なのか?」


 彼はニヤっと笑うと、人差し指をチッチッと左右にふり、次に杯のなかを指さした。中身はカラだ。続きが聞きたければもう一杯ということらしい。やれやれ、俺は苦笑し、追加の酒を給仕に頼みながら、次の言葉を待った。


「そう、俺っちはもともと帝国を主戦場にしていた傭兵でね。おいしい仕事があれば、どこへでも骨惜しみなく渡り歩くフリーランスさ。フランデル王国へ移ってきたのはつい最近でな。うまそうなトーナメントだと思ったが、フランデルにもアンちゃんみたいな強い奴がいるとは計算外だったぜ」


「ここにはアキレスという男がいるだろう。あいつはどうなんだ?」


「ああ。あいつも、今ではフランデル最強の男と呼び声が高いが、かつてはゼーヴァ帝国を中心に活躍していた傭兵だったと聞いているぜ。やつも俺と同じく帝国からの移籍組だな」


「ふうむ」


 俺は少し考えこんだ。帝国からの移籍組が増えたということは、帝国での傭兵稼業がうまくいかないから、こっちへ渡ってきたということではないか。そう思案したのだ。


「――そこんとこは、どうなんだ?」


 俺が水を向けると、バーダックは頷き、


「アンちゃんの推測通りだよ。いまや帝国はふたつの派閥に分かれ、冷戦状態の真っただ中さ。炎の将軍の二つ名で知られるヴルワーン卿と、氷の将軍ソウゲツ卿との対立――。帝国はいま両派閥にわかれて、一触即発の雰囲気だな」


 ソウゲツ卿――神田蒼月か。

 意外な名前の登場に、俺は少し動揺した。

 ソルダも、すこし眼を見開いてこちらを見ている。そういえばアコラの町で、ダラムルス団長の口から、そういう話を耳にしていたな。


 俺は、あの男のすべてを識っているわけではない。徒手空拳では天才的なきらめきを持ったあいつも、他の分野では凡人という可能性だってある。

 だが、俺にはなぜか、ある予感があった。あいつはどの分野においても、けた違いの才能を持った人間ではないかという。これは予感というよりは、確信に近いものかもしれない。

 

 あの男の目的は何か。たかが一介の傭兵である俺には、とても把握できそうにない。暴力ではなく、政治的にゼーヴァ帝国を牛耳ろうと考えているのだろうか。

――それをいま考えても、無駄な事だ。そんなことより、訊くべきことがある。


「しかし、それで傭兵の仕事が減少するってのも妙な話だな。仮に帝国が内乱状態へ突入するなら、傭兵の仕事は増えるんじゃないのか?」


「内乱がおっぱじまりゃな。しかし、今は完全な冷戦状態だ。帝王、ディアグル三世も健在だしな。実際に矛を交えての戦に発展しない以上、仕事にゃならねえ」


「面白そうな話をしてるね、オレも混ぜてくれないかい」


 バーダックの背後に陰が差した。

 ふと視線を移すと、褐色の肌をした女が立っている。

 筋骨隆々、こちらを見下ろす目線の高さは、俺が立った状態とほぼ変わらないぐらいだろう。そんな体格の女性は、俺が識るかぎりひとりしかいない。姉のレミリアそっくりの風貌をした女闘士、ラーミアだった。闘いは終ったというのにも関わらず、汗臭い仕合着のままである。


「オレにも一杯おごってくれ、コネ野郎」


「――絡むなよ。お前はまだ、敗北を喫したわけじゃないんだろう? 自分で勝手に注文すればいいさ」


「へえ、それぐらいはお勉強してくれていたってことかい」


「まあな」


 といっても、それは偶然のことだった。俺がちょうど、円形闘技場を去ろうとしていた時に、彼女の名前がコールされたのが耳に入ったのだ。女性の身であの連戦を勝ち抜くとは、思ったより彼女の実力は高いのかもしれないな。


「アンちゃん、意外とモテるんだな」


 バーダックがメルン、ラーミアと目線を移し、最後に俺の顔を見つめた。俺は自分の頬に苦いものが浮かんでいるのを自覚しながら、


「まあな。だが、あんたの考えているほど色気のある話じゃないさ」


「まあ、その通りだね。この男とオレはちいっと特殊な関係でね」


「で、何の用だ。俺とお前と闘うのは、まだ先の話だろう」


「そういう訳にもいかなくなってね」


「どういうことだ?」


「あんたは順調に勝ち進めば、次にはあのアキレスに当たるだろう?」


「まあ、順調に行けばな」


 とはいえ、勝負に絶対はない。勝負は水物だ。どんなことが起こるか、誰もわからない。

 アキレスと対戦する前に不覚を取る可能性だってある。無論、そうならないように全力を尽くすつもりだが――。


「それじゃ、困るんだよ」


「なにが困るんだ」


「あんたは、オレが徹底的に痛めつけて、ぶっ潰さなくちゃならないんだ。それなのに、その手前でリタイアなんて、赦せるわけがないじゃないか」


「まだ、敗けると決まったわけじゃない」


「勝てるとも思えないけどね。だからさ、オレはいいんだよ」


「なにがいいんだ――?」


「こんなまだるっこしいトーナメントなんて脇にうっちゃってさ、ここでオレと踊ろうじゃないかって言ってるのさ」


「仕合以外での喧嘩は、ご法度のはずだ」


「オレには関係ないね」


 俺は座ったまま、ラーミアの表情を観察した。

 まず、闘い終わったというのに、闘士の服装のままやってきたというのも異質である。そして、彼女のどことなく狂気を秘めた眼差しは、最初に出会った時のような澄んだ黒瞳ではない。まるでミルクを流しこんだかのようにどんよりと濁った光をたたえて、こちらへと注がれている。

 こういう手合いはたまにいる。

 心の裡に、深刻な狂気を秘めている人間というのが。そういう手合いは、いともたやすく理性の壁を破壊するものだ。

 

「子供がまだ、喰っている途中なんだがな」


「関係ないよ、そんなことはね」


 俺はゆっくりと、隙を見せないように立ち上がった。

 その手前に、ぬっと大きな壁が立ちふさがった。バーダックだ。

 

「ネエちゃん。この男との勝負は、俺が先約なんだ。もし、ここで闘ろうって話なら、俺っちが相手になるぜ――」


「一度負けた人間は、引っ込んでな」


「仕合外での喧嘩なら、関係ねえな」


 両者の間に、眼に見えぬ閃光が疾っている。ファイティングポーズこそ互いに取っていないものの、すでに、眼で互いの動きを牽制し合う、仕掛けは開始されているようだった。

 ぎゅっと俺にすがりつく、頼りない握力を感じた。脇にソルダが立っている。俺はこの騒動に巻き込まれぬよう、少年を背中にかばいつつ――どう動くのが最善(ベスト)なのか――模索していた。


『トーナメント開始』その7をお届けします。

次話は木曜を予定しております。

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