その6
「それでは、師匠のベスト4を祝いまして――」
ソルダが音頭をとり、俺たちは杯を高く掲げる。
『乾杯!』
4つの杯が合わさる音色が連鎖して響きわたった。すっかり喉の渇き切っていた俺は、すぐに手元の杯を空にしてしまった。
ここは『栄光の担い手』の一階――。
その一角に設置されている酒場だ。
本当ならば、こんな近場ではなく、違う酒場に向かうところだったのだ。だが、俺たちの外出に気付いた店側の人間が、慌ててそれを制止してきた。
いま市井の酒場に向かうのは、どれだけ危険な行為かということを、彼はくどくどと述べ立てた。つまるところ、俺の顔はあまりにも一夜にして有名になりすぎてしまった、と彼はこういうのだ。
「あなたを祝福する目的に訪れる市民たるや、枚挙に暇がありますまい。彼らの応対をしていたら、とてもではないが酒などゆっくり飲んではいられません。いや、それどころか、あなたを倒して自らの強さを証明したいという荒くれ者も多数現れるでしょう。幸い、わが『栄光の担い手』酒場はセキュリティも万全です。ごゆっくり食事を楽しむこともできるでしょう――」
そう、熱心にくどかれたのだ。
俺は背後をかえりみた。寝ぼすけ魔女のメルンはともかくとして、年少の子供がいるのだ。俺としてはあんまりリスキーな判断はできない。
選択の余地はなかったというわけだ。だが、この酒場は本当に広いし、サービスもいい。俺の杯がカラになるや否や、すぐさまトレイにボトルを乗せた給仕が迅速に、しかし優雅に近寄ってくる。
酒場の広さは、俺がこれまで訪れたどの酒場よりも広いし、照明も室内だというのに、真昼のように明るかった。天井のあちこちに数え切れぬほどの魔岩が埋めこまれていると、メルンが指摘した。ここと比較すれば、まったく、『太陽と真珠亭』や、アコラの町のギルド酒場などは洞窟の内部と変わらない。
広い海のような大理石の床には丸テーブルのみならず、長いテーブルがいくつか置かれている。それらの中央にある円形の浮島。そこは一段高いステージになっており、客は四方から無料のショウを楽しむことができるというわけだ。
子供達には目の毒なショウが待っていたらどうしようかと思ったが、さすがにまだ時間が早いのか、ステージには誰も上がっていない。
ステージへと続く階段には、顔のいい吟遊詩人が腰を降ろし、注文を待っているのか、ときおり手元のハープを小さく鳴らして、己の存在をアピールしている。
俺の足は自然と、丸テーブルのほうに向いていた。
酒の種類も意外と豊富だった。エールや葡萄酒なら、アコラの町でも呑める。ここには蜂蜜酒や、もっと強い酒もあるという。子供には果実を水で割った飲み物があるし、まったく、飲んべえにはたまらない場所だろうな。
各テーブルには光の魔岩がキャンドル代わりにきらめき、テーブル上の料理をぬくもりある暖色で照らし出している。
メニューも、貧相な豆のスープや黒パンといった定番の料理は記載されてもいない。ぱっと見では聞いたこともないような名前の料理がずらずらと並び、俺の頭を混乱させてくる。
めんどうになった俺は、お勧めで頼むと、すっかり給仕に丸投げしてしまった。
それが失敗だったろうか。出されたのは、大きな鳥の丸焼きや、アコラでは見たこともない魚料理がずらずらと並び、テーブル上で皿の渋滞を起こしている。
この光景は、さすがに俺の顔色なからしめた。
俺は次々と忙しそうに皿を運ぶ給仕の袖をひっぱり、
「おい、俺の懐にも限度というものがあるぜ」
と苦情を申し出た。
意外にも、全部がタダという驚きの答えが返ってきた。
「ここまで勝ち進んだ選手に対する特権です。どうぞ心行くまでお楽しみ下さい。さらに、もう少し夜が更ければ――」
「ああ、そういうのはいい」
聞くことを聞き出して安堵すると、ようやく俺は食事にとりかかる余裕ができた。魚料理はアコラでは珍しい食べ物だ。新鮮な食材は、まず港町から真っすぐにこの王都ダーリエルへと運び込まれ、そこから各町村へと分散して運搬される。
アコラの町へ運び込まれるまでには、どうしても日数がかさむ。そのためには腐敗防止の魔法を唱える必要があるが、魔法が絡むと、その費用は膨大なものになる。そのへんの一般庶民の口には入らないというわけだ。
俺は焼き魚にハシを落とした。
この店はなんと、フォークとナイフのほかに、ハシでメシが食えるのだ。カミカクシが存在する王都らしい気配りだ。
この魚は見たこともないが、俺たちの世界のサバに似ている。
それを豪快に丸焼きにし、粗塩を振っているようだ。ハシはいともたやすく表皮を突き破り、たっぷり脂の乗った肉厚の身が顔を出す。俺はたまらず、それを一気に口に頬張る。
実にうまい。
特に工夫もされていないが、それがまたいい。素材そのものの味がよいのだろう。俺が焼き魚に舌鼓を打っていると、ソルダのふう、という吐息が聴こえてきた。
「どうした、ソルダ。口に合わないのか?」
「いえ、そういうわけでは。ただ――」
「ただ、どうした?」
「はい。師弟水入らずで祝いたかったなと……」
なるほどな。俺も最初はそのつもりだったさ。
しかし、俺の正面で、鶏肉の丸焼きをナイフで切り分け、上機嫌で頬張っている少女、エルセラ。まさか彼女が、俺についていくと言い出すとは思わなかった。
「いいものが見れたのだから、ちゃんとお礼しなさい」
と、突然言い出したのだから、俺はおどろいた。
「金はとらないんじゃなかったのか?」
「お金はね。食事は別。飢えた恩人のお腹を満たすのも、真の闘士の役目じゃない?」
「ほう、闘士には、そんな役目もあるとは識らなかった」
という、俺の精いっぱいの皮肉も通じず、彼女はここまでついてきたというわけだ。無論、セキュリティの厳しいこの店のことだ。俺が本気で拒絶すれば、エルセラは入り口で追い返されただろう。しかし道すがら、俺はエルセラを味方につけておいた方が、何かと得だと考えはじめていた。
円形闘技場の内情にくわしい彼女は、対戦相手を視るために最もいいポジションがわかるし、その場所を確保するコネもある。
闘士は観客席で仕合を見る権利もあるということだが、遠いし、他の観客に取り囲まれると思うとゾッとしない。
「手が止まってるよ、ボガード」
のんびりとした口調で、メルンが注意する。
俺は無言で、ふたたびサバっぽい魚にハシを落とす。
まったくこの寝ぼすけ魔女ときたら、俺が闘い終えて帰ってくるまで、ずっと寝こけていたというのだから感心する。とはいえ、闘技場なんて人の坩堝のような場所に彼女を連れてくるわけにもいかなかったので、それは仕方ないことかもしれない。
「それにしても……」
果実水に顔を落としたまま、ソルダがつぶやく。
「それにしても、どうした?」
「強かったですね、アキレスさん」
「そうだな」
言葉が、硬さをともなって口から転げ落ちた。
強いという一言では片づけられぬほどの、圧勝劇だった。
熱狂していた観客が、思わず静まってしまうほどの、鋭利な関節技。まるで剣を一閃させたかのような切れ味だった。
「し、し、勝者、アキレス殿――」
進行係すら、舌をもつれさせて叫んだほどだ。
おそらくあの仕合時間は、1分もなかった。先ほどの仕合も同様だったろう。
あの瞬間、俺はいつの間にか、汗をびっしりと浮かべていたようだ。
奴が仕掛けた技、今ならはっきりとわかる。
――飛びつき腕十字。
柔道の技だが、現在の柔道ルールでは、使用が禁止されている技だ。現在の柔道家ではなく、旧い時代の柔道家から学んだと考えるべきかもしれない。
しかし、俺の脳裏では、もうひとつの可能性が頭をもたげていた。あれは、数年前のこと――。日本で見た、とあるサンビストの動きによく似ていたのだ。
旧ソビエト連邦で開発された格闘技、それがサンボだ。
しかし仮に、アキレスの学んだ格闘技がサンボだとして、問題がある。サンボはスポーツサンボ、コマンドサンボと分かれている。
スポーツサンボなら、打撃技はない。
コマンドサンボなら、打撃技も含まれるのだ。
奴はどっちの使い手だろうか。とにもかくにも、一瞬すぎて、なんの対策も思いつかない。どうやってあいつに勝てばいいか、見当がつかないのだ。
この世界に来て、俺は多少、うぬぼれていたようだ。
徒手空拳なら、俺はこの異世界では最強の部類に入ると思っていた。神の子――神田蒼月以外の人間に負けるはずがない。そう信じていた。
ところがどうだ。アキレスはおろか、その手前のバーダックにすら、不覚をとりそうになったではないか。
とたんに酒の味がしなくなった。先ほどまで、あれほどうまかった魚の味も消えてしまった。まるで味覚が切り取られたかのようだ。
「――よう、どうしたい。シケた顔してんな、アンちゃん」
陽気な声をかけられ、俺はゆっくりとそちらを見た。
「お前は——?」
茶目っ気たっぷりに、片目でウインクしてきたその男――。先ほどまで、俺と円形闘技場で死闘をくりひろげていた相手、バーダックだった。
「勝利の美酒ってのはな、もっと楽しく呑むものさ」
「ちょうどよかった。お前に訊きたいことがあったんだ」
「そう思ってな、アイサツにきたってわけさ、兄ちゃん」
『トーナメント開始』その6をお届けします。
次話は翌月曜日を予定しております。




