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その2

 大観衆の熱狂をよそに――

 アリーナの表面に撒かれている砂塵の上に、ただならぬ緊張感が澱のように漂っていた。俺はさぞかし、親からはぐれた子供のような、頼りない表情を浮かべていたに違いない。

 俺の隣に佇立していた男が、そのような顔つきで俺を見たからだ。それぞれが、それぞれに視線をさまよわせていた。

 さきほど王から発せられた言葉は、幻聴でない。

 何故なら、念を押すように、進行係の男が国王の脇から、先ほど王が発した言葉を一言一句たがわずに繰り返したからだ。

 最後に、こう加えることも忘れない。


「――王は、熱戦をご期待されておられる」


 もはや、否やはない。もともと俺たちは闘いに来たのだ。

 まさかこのような、プロレスのバトルロイヤルのような形で仕合をやらされるとは夢にも思わなかったが、こうなれば他に道はない。

 

「やったろうじゃねえか――っ!!」


 誰かの悲鳴に似た怒声がアリーナに響いた。

 それが合図となって、俺たちは互いに殺し合いを開始した。すでに、そこかしこで砂塵が舞い、打撃音がこだましている。アリーナの歓声が、より太さを増した。

 16人の男どもが繰り広げる、同時進行の殺し合いは、さぞかし面白い見世物だろう。俺としては、皮肉を口にする余裕もなかった。

 

 まるで関係のない見知らぬ男の突きや、あるいは跳び蹴りが、俺の周囲を疾り、かすめていく。アリーナが広いとはいえ、闘いの間合いは多種多様だ。

 短い間合いを好むインファイターもいれば、敵から広めに距離をとるアウトファイターもいる。戦闘の大部分を、間合いが支配しているといっても過言ではない。

 

 リングでは、あの四角いスペースに見合った戦術がある。いかにコーナーへ相手を押し込むかがカギとなってくるのだ。八角形のオクタゴンでは、サークリングという技術がものをいう。

 戦いに使用する技術が、まるで違ったものになるのだ。 

 この広いアリーナ、足元は砂、そして敵はひとりではない。

 何もかも手探りの闘いのど真ん中で、俺は漂流していた。


 俺は見知らぬ男が放ったへなちょこな旋風脚ふうの蹴りを、巻き込まれぬように身をひねってかわすと、対戦相手のグアランを探して目線を泳がせた。

 やつの姿が……ない?

 いや―—

 ぞわぞわと皮膚の粟立つ感覚があった。

 俺は反射的に、礼をするように頭を下げる。

 その頭上を、グアランの蹴りが駆け抜けていった。

 

 背中から不意打ちか。上等じゃねえか、野郎――

 俺が反射的に裏拳を背後へ放った瞬間だった。

 

「うわあっ」


 情けない悲鳴がこだまし、俺は寸でのところで拳を静止させた。相手が違う。こいつはグアランではない。ひょろっとしたのっぽの青年が、青ざめた顔で俺の顔を見つめている。

 今の蹴りは、こいつか――?

 いや違う。あの蹴りには、間違いなく殺気が宿っていた。

 俺を倒すつもりで放った蹴りなのは間違いない。

 ならば、奴はどこだ。

 

 俺は不気味な空気を感じ、背後を見た。

 そこには壁のような背中があった。相撲取りのような肥った漢が、もうひとりの巨漢と激しく身体をぶつけ合っているところであった。

 巻き込まれまいと、身をかわすいともまもあらばこそ。

 

 またしても、殺気のこもった突きが飛んできた。

 そいつは、俺の顔をかすめ、後方へと飛んで行った。

 この機を逃してはなるものか。俺はカウンター気味に、得意の回転肘打ち(ソーク・クラブ)を炸裂させていた。

 顎先を狙った肘は、ややそれて相手の側頭部へと炸裂した。食らった男は朽木が倒れるように横転した。


「あーあ、やっちまったな……」


 人影から、グアランの声がした。

 俺はあらためて倒れた奴の顔を見た。さっきのひょろりとしたのっぽの青年が、眼を白黒させてダウンしていた。おれは違う人間を倒してしまったのだ。


「す、すまない——」


 俺は素直に謝罪を口にし、男を立たせた。のっぽの男はふらふらした足取りながらも、何とか戦列に復帰できたようだ。


「対戦相手と関係がない相手への攻撃は、減点の対象になります――」


 進行係が容赦ないアナウンスを告げる。

 なんてこった。こいつはマイナスか。

 その隙にも、容赦なくグアランの打撃が俺に襲い掛かる。

 俺はなかば呆然とその声を聴いていたので、さすがに華麗にかわすというわけにはいかなかった。両腕でガードはしたが、少し効かされた。

 

 二の腕に痛烈な衝撃が走る。

 こいつ、シューズに何か仕込んでやがるな――

 どこまでも、人を舐めた野郎だ。

 だが、これがこの男の手段なのだ。それにまんまとやられている、自分が腹立たしかった。自分の顔面を、思い切りブン殴ってやりたいぐらい、苛立っていた。

 そのときだった。


「師匠、負けないで――っ」


 その声が、たしかに俺の耳に届いた。

 大歓声でかき消されそうな、少年のか細い声は、幻聴ではなく、確かに俺の鼓膜まで響いた。どうやら俺は、ソルダに恥ずかしいところを見せちまったようだ。


 俺は闘いの最中にも関わらず、息吹をした。

 鼻から臍下丹田に酸素を溜め、口から「()っ」という声とともに息を盛大に吐き出す。その声量に驚いて、数人の戦士がこちらを見やったほどだ。

 撃つなら撃ってこいという心境だった。

 

 俺はなんのためにこの大会に参加しているのか。

 個人の名誉欲を満たすためか。

 そいつはどこか、違う気がする。

『白い牙』の名誉のためか。それもあるが、すべてではない。

 

 あくまで俺は、夢の続きを追うために、この大会に参加したのだ。

 あの時、神田蒼月という天才少年に出会わなければ、どんな未来があったのか。逃げて、自ら閉ざしてしまった未来——そのときの夢の続きを追っているのだ。

 

 あのとき失ったものを取り戻したい。

 これはあまりにも、ロマンチックな感情だろうか。

 しかし男は、どこまでもそういう愚かしい生き物ではないのか。


「落ち着けよ、海道簿賀土——」


 俺の心は、徐々に澄んできた。

 目の前の男の姑息な手段に、焦りすぎていたのだ。

 失うものはなにもない。

 ただ、俺はひたすら挑むだけだ。


 心が鎮まると、視線を配らずとも、あたりの様子がわかるようになってきた。まったく、どれほど俺は緊張していたんだろうな。 

 気配を感じ、俺はそいつを膝で防いだ。

 金的を狙った蹴りだった。

 無心で、その蹴りを追った。

 そこに見慣れた男の顔がある。俺は足払いで、その生きた障害物をとりはらった。ふたたび、朽木のように男が倒れる。今度は手を差し伸べることなく、俺はそいつの両眼を、殺気をこめて睨みつけてやった。


「ひいっ」


 男が情けない声をあげた。

 例の、あのひょろ長いのっぽの男だった。


「やはりグルか、この野郎――」


 俺がこの男に、攻撃を加えようというそぶりを見せたときである。

 背後から、蹴りが飛んできた。

 俺は肘と膝で挟むようにして、その蹴りを受けた。


「ぐげええええっっ」


「情けない声をあげるなよ、大将――」


 まだ、これからだっていうのにな。

 

「ま、まってくれ、降さ――」


 俺は最後まで、やつに口をひらかせはしなかった。

 袖を巻き付けるようにしてつかむと、正拳突きをお見舞いしてやった。

 烏兎(みけん)に一撃。

 人中(じんちゅう)に一撃。

 秘中(のどぼとけ)に一撃。

 水月(みぞおち)に一撃。


 ほぼ一瞬で四発の打撃を加えた後、俺は手を放してやった。ふらふらと、人かボロ雑巾かわからぬような態で、グアランは背中から黄砂へ沈んだ。


 だいぶ砂塵が薄れてきて、アリーナの全体像が見て取れる。立っている人間の数が、かなり少なくなってきている。すでにあちこちで、勝者と敗者が分かれているようだ。

 俺は残身をとりつつも、少し笑ってしまった。

 少年の歓喜の声が、どこかから聞こえた気がしたからだ。


「おかげで、いい準備運動になった。ありがとう」


 グアランに意識があるのかはわからない。

 いや、生きているのかすらもわからない。

 ただ一礼だけを置いて、俺はその場を後にした。 


遅くなりましたが、『トーナメント開始』その2です。

次話は、翌月曜を予定しております。

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