その4
「こ、『氷の将軍』だと――?」
「そうだ、どうした? そんなに狼狽して」
狼狽するしかない。俺の記憶が正しければ、そいつは神田蒼月のふたつ名だったはずだ。そいつがなぜ、ダラムルス団長の口から発せられたのか。
「――いや。最近、反射が悪くてな。むせやすい年頃なんだ」
とりあえず俺はそう答えた。
これにはレミリアのみならず、ロームも疑いの眼を向けてきた。いささか隠し事が多くなっているな、このおれは。
いっそのこと、彼らを信頼し、すべて打ち明けるのも手かもしれない。だが、そうするとあの窮地を救ってくれた、メルンの名前を出さざるを得ない。
それは嫌だった。
俺の舌がよく回って、その場しのぎの言葉が次々と泉のように湧き出すなら、語ってもいいかもしれない。しかし、俺にはそんな才覚はない。――結果、黙ってたほうがましってわけだ。
ダラムルスは何も言わない。
透徹した眼差しで俺を見つめると、「そうか」とだけ短く応え、
「まあいいさ。――氷の将軍とは、帝国側のカミカクシだ。こいつが他のカミカクシと違うのは、この世界に落ちてから、ほんのわずかな期間で将軍の地位まで昇りつめたという点だ。この男が、反戦派の首魁と目されている」
そうか、あいつが反戦派を率いてるのか。
俺は、蒼月が徒手空拳において、無類の強さを持っていることは識っている。だが、やつの政治的な手腕とか、この世界での目的だとかは何も識らない。
俺は最後に蒼月が投げていった言葉を思い返していた。
『あなたは、近い将来、結局は帝国に来ることとなります――』
やつは確信に満ちた眼でそう言った。
蒼月のこの行動が、俺が将来的に帝国に向かうことへと繋がるのだろうか。
わからない。あいつの考えは何もわからない。
わからないといえば、この団長の情報通なところもそうだ。ゼーヴァ帝国とフランデル王国の、裏の政治的なやりとりを、一介の傭兵風情がほいほいと識りえるとは思えない。
「――疑問なのだが、団長はなぜ、そんな細かな情報が入手できるんだ。王宮に『白い狼』の斥候でも潜んでいるのかい?」
「まあ、当たらずとも遠からずというところだな。『白い狼』を頼りとしているのは、なにもマルローヌ伯だけではないということさ」
なるほど。高位な身分の誰かが――あるいは複数人――団に情報を提供してくれているというわけか。考えてみりゃ、俺は『白い狼』へ入団して日も浅い。それほど団の内部事情に通じているわけではない。ことによると、思いのほかフランデルと太いパイプで繋がっているのかもしれないな。
「――で、俺をわざわざこのテーブルに呼んだのは、それだけじゃないんだろう?」
「ほう、わかるか」
「それくらいはな。――仕事か?」
「そうだ。お前さんにはやってもらいたい依頼がある。だからお前さんが自分で仕事を選ぶ前に、こうして呼び止めさせてもらったわけさ」
「その、氷の将軍絡みで、なにか依頼があるのか」
「直接、そうした依頼が提示されているわけじゃない。これは、ギルドを通した仕事ではないんだ。だが、『白い狼』にとっては重要な仕事だ」
「ずいぶんと、勿体ぶるんだな」
「事はそれだけ重大ということさ、オールドルーキー」
ロームは、俺を懐かしいふたつ名で呼んだ。いまや、その通り名で俺を呼ぶやつはいない。俺がこの世界に落ちてきて、右も左もわからぬ時期につけられたあだ名だ。
あれからかなりの歳月が、さまざまな出来事が、風のように頭上を経過したような気がするが――実際はまだ一年も経過してないというのだから、驚きだ。
「俺が果たすべき役割というのを教えてもらおうか。――ただし、ペテンは抜きでな」
俺はできるだけ沈着に聞こえるように、そう言った。
また後出しジャンケンで、煮え湯を呑まされては堪らない。
「お前もだいぶ、傭兵らしい顔つきになったじゃないか、ボガード」
「世辞はいい」
「わかった。話そう――お前は、王都ダーリエルへ往ったことはあるか」
「残念ながら、まだだ」
この世界に落ちた最初に、その機会はあった。
だが俺は、自分の知識のなさを理由に、それを蹴った。俺だけが、他人に教えられる技術など、なにひとつ持っていなかったからだ。
あのとき一緒だった、ほかのカミカクシたちはどういう地位に就いているのかは気になるが――まあ、どうでもいいという気持ちもある。
誰だって、自分の道を歩くのに精いっぱいだ。ひとつ道を踏み外せば、底の見えぬ暗黒が待っている。他人の人生を、深く気にかけている奴なんて、本当はいやしないのさ。
「それでは、お前には王都へと向かってもらう」
「理由は聞かせてもらえないのか」
「いや、これは順番が逆だったな。最初に理由を聞かねば納得はすまい。お前さんに王都へと向かってほしい理由はひとつだ。――我が『白い狼』を代表して、お前さんに、ある大会に出場してもらいたい」
「俺が『白い狼』代表だと――?」
ダラムルスの、想像を超えた科白に、俺はおどろいた。
「そいつは順番が違うんじゃないのか。正直、剣の腕は、俺はロームやレミリアに劣っている。代表がつとまるとは思えねえ」
「もちろんだ。これが剣の腕を競う大会なら、一も二もなくロームに任せるところだ。ところが、今回の大会は、お前さんの得意分野でね――」
「まさか――?」
「そのまさかだ。今度、王都で徒手空拳の大会が行われる。参加条件はひとつ、武器も防具も持ち込まない事。互いの五体のみを武器に闘うのさ。ルールはあってないようなものだ。下手をすれば、死ぬかもしれんぞ」
茶目っ気たっぷりに、ダラムルスは片目を瞑ってみせた。
この男、脅したいのか、参加してほしいのか、どっちなんだ。
「そいつは、どのぐらいの規模なんだ」
俺は気を取り直して、尋ねた。
「おそらくはフランデル王国全土から、名うての猛者が集まるだろう。いってみれば、素手でフランデル最強を決める闘いになる――」
「そいつは、おもしろいな」
ダラムルスの目が、見開かれている。――驚きで。
俺の口許が、いつの間にか緩んでいるのがわかる。
俺の内部から、燃えるような熱いものが、せり出してきているのがわかる。
獰猛な牙をもって――
おれは、空手の世界大会にすべてを賭けていた。
その志は、なかばにして断ち切られた。ところがどうだ。運命の神とやらは、この異世界で、その夢の続きをせよと言っているのだ。
こいつに乗らない手はない。
俺は拳を握り、両腕を交差させ、ゆっくりと左右へ引いた。
静かに「押忍――」と、つぶやく。
心を落ち着かせる、儀式だ。
「出させてもらおう。その大会に――」
「お前の双肩に『白い狼』の名誉もかかっているぞ」
念を押すように、ロームが告げる。
だが今更、そんな言葉に臆する俺じゃない。
「遠慮せず、いくらでも賭けてくれ。倍にして返してやるよ――」
『押しかけ弟子』その4をお届けします。
次話は翌月曜を予定しております。




