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その2

「……ん、誰だ……?」

 

 俺は人の気配を感じて、ベッドから身を起こした。

 すでに陽は昇っているが、俺はいつもの時刻に起きれなかった。どうやら肉体は、連日の過酷な激務に参っていたようだ。

 久しぶりの定宿である『太陽と真珠亭』に還ったことで、心身ともにすっかり安堵してしまったところもあるだろう。俺は寝ぼけ眼ながらも、反射的にベッドの傍らにある剣へと手を延ばした。

 

「あ、おはようございます、ボガードさん」


「……誰だ?」


「僕です、一番弟子のソルダ・スランです」


「俺に弟子はいない。そこで何をしてる?」


「お部屋の掃除をしております」


「誰がそんなことを頼んだ――」


 俺の声は、ちょっと険があるな。我ながらそう思った。

 それも仕方のないことだ。このソルダ・スランという少年は、かつてフォルトワ・リバロという男の侍従をつとめていた少年なのだ。フォルトワは、あの神田蒼月(かんだそうげつ)の弟子ということが、今ではわかっている。

 決して気を許していい相手ではない。


「まあまあ、もうちょっとで終わりますから」


 少年の声は、そんなことはおかまいなしに朗らかだ。鍵を掛けていたにも関わらず、平気で俺の部屋に入ってこれるのは、メイか親父さんかが、この少年に合いカギを渡しているのだろう。

 つまりこのソルダという少年は、俺のいない間に、そこまでふたりの信頼を勝ち得ているということになる。状況的に不利だなと、俺は思った。

 このままなし崩しに、弟子入りを許す流れだけは避けなくてはならない。俺は仏頂面で、彼のきびきびと動く姿を眺めている。慣れているらしく、俺が自分でするより手際がいい。

 

「お掃除の邪魔ですので、この槍、少し動かしますね」


「止めろ――っ!!」


 俺の喉から、思わず、大きな声がほとばしっていた。

 ソルダの身体がすくんだ。電流が走ったように、出した手を引っ込める。

 この少年にとっては、ごく普通の槍にしか見えないだろう。

 だが、俺にとってはそうじゃない。

 槍に命を懸けたひとりの男が、死の間際に俺に託した、大切な槍なのだ。その価値も識らぬ人間に、勝手に触られたくはない。


 ソルダ少年は、怯えたような目で俺を見ている。俺はできるだけ平静に聞こえるように、今度は静かな声で告げた。


「そいつに、触るな。わかるか――?」


「は、はい……」


「ならいい。以後、気を付けてくれ」


 気まずい沈黙が俺の部屋に漂った。

 掃除が終わるや、少年は一揖(いちゆう)して部屋を出て行った。かなりの急ぎ足で。

 ひょっとしたら、泣かせちまったかもしれねえな。

 ちょっと大人げなかったんじゃないか、ボガード。頭のどこかからそんな声が聞こえる。いや、仕方なかっただろう――? そんなささやき声も聞こえる。

 俺がそんな自分の良心の呵責と闘っていたときだ。沓音荒く、部屋に入ってきた人物がある。


「ちょっと、コラ、ボガード!!」


 俺に対してこんな言葉遣いをする女性はひとりしかいない。むろん、メイだ。


「なんだ。藪から棒に」


「なんだじゃないでしょ、あんた、あの子に何をしたの? 涙目で走り去っていくのを見たわよ」


 やれやれだ。彼女はソルダ少年を泣かせた俺に対し、激しい義憤を燃やしている。こいつを説得するのは難しそうだ。だから俺は、はなから説得を諦めて、こういった。


「あの少年が、この槍を勝手に触ろうとした。――だから俺は怒った。それだけだ」


「そんな古びた槍に、どれだけの価値があるっていうのよ」


「どれだけの価値もないだろうな」


「だったら――」


「だが、俺にとっては、何にも代えられぬ大切なものだ。地上に一本しかない槍なんだ。だから無断で触れる奴は赦さない。それだけだ――」


 それからのメイの剣幕は見ものだった。俺に対し、あらん限りの罵声を浴びせかけてきたが、俺はそれ以上は反論することなく、無言で部屋を後にした。感情的になった女性と口論をして、勝負になるはずがない。それだけは経験上、心得ている。さっさと退散したほうがマシというものさ。

 

 俺は憂鬱な気分で、宿を出て傭兵ギルドへと向かった。

 それにしても、だ。せっかく長い旅路から帰ってみれば、押しかけ弟子に、メイの怒りか。しばらく宿に帰るのは止めておいたほうがよさそうだ。

 俺は思わず太い吐息を漏らして、ギルドの扉をくぐった。


 ここの賑わいは相変わらずだ。どすのきいた笑い声、男たちの酒臭い唄が、それぞれの丸テーブルから流れてくる。無骨な足が、床でリズムを刻む。酒の入った杯が宙でぶつかりあい、音楽的なまでの騒音を奏でている。

 ここは変わらねえな。年中いつでも宴会だ。

 そう俺が感慨にふけっているときだった。


「ボガードさん、お久し振りです」


 不意に眼前に美女が出現したので、俺はおどろいた。よくよく見れば、いつも受付に収まっているエルフの女性ではないか。


――名を、何と言っただろうか。


「お忘れですか、ソーニャ・アルファラオンです」


「そうだった、すまない、ソーニャ」


「本当ですよ、ボガードさんの世界はどうだったか知りませんが、こちらの世界で女性の名を忘れるのは、かなりの失礼にあたりますからね」

 

 彼女はわざとふくれっ面をしてみせ、俺をたしなめた。 

 いいや、名を忘れるなんて、あちらの世界でも当然失礼さ。俺は素直にそういうべきだったかもしれないが、一日に何度も女の子に怒られるのは御免だった。


「そうか、以後気を付ける」とだけ、告げる。


「そうです、気を付けてください」


「――で、わざわざ受付からここまで出迎えてくれたんだ。何か、俺に話があるのだろう?」


 俺が水を向けると、彼女は「そうそう」と手を叩き、


「実はボガードさんにお知らせがあるのです。ボガードさんのランクは上がっています。現在はランク6となっておりますので、依頼を受ける際にはお気を付けください」


「……どういうことだ? 俺はこの一ヶ月というもの、まともに依頼を受けていないんだぜ」


 不可解なことだった。以前、俺は一気にランクが上がったことがあったが、あれはあくまで特例だったはずだ。様々な依頼をこなし、細かい成功を積み重ね――その功績により、ランクというものは上がるものじゃないのか。

 

「それはですね――」


 ソーニャ嬢が、説明をしてくれようとした矢先だった。


「待った、そこから先は、俺が説明しよう」


 ひとりの巨漢が、丸テーブルの一つから立ち上がった。

 短く刈り込んだ、金色の髪。万人を惹きつける、その笑み――懐かしささえ感じさせるその大男は、ゆっくりと俺の前へと歩み寄ってくる。


「久しぶりだな、ボガード」


「ああ、久しぶりだ――」


 この男こそ、俺の所属する傭兵団『白い牙』の団長、ダラムルスその人だった。


「立ち話もなんだ、そのへんで座って話をしようか」


 団長からの誘いに否やはない。

 俺は無言で頷き、彼の背中を追った。

 胸中に、多少の不安を抱えながら――。


非常に遅くなりました、すいません。

『押しかけ弟子』その2をお届けします。

次話は翌月曜を予定しております。

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― 新着の感想 ―
[一言] >女性の名を忘れるのは、かなりの失礼 >そうか、以後気を付ける 「自分の女でもないのに名を覚えてどうする」とか思ってそうだなあ
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