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その1

 それから俺は、この奇妙な樹の下での生活を、五日ほどつづけることとなった。動体視力を回復するという薬を、ヴェルダにこしらえてもらわなくなてはならないからだ。

 俺はアクマヤナギの粉末さえ渡せば、さっさと完成すると思っていた。実際はそんな簡単なもんじゃないというのが、ヴェルダの弁だ。これに黒蝙蝠の羽根やら、炎トカゲの骨やらを鍋でグツグツに溶かしこんで、火を絶やさず五日間、煮こみ続けなくてはならないそうだ。


 やれやれだ。俺としては、長くお留守にしている定宿にとっとと帰って、メイの美味い料理を口いっぱいに頬張りたいところだが、そうは問屋が卸さないというわけだ。

 ここの食事は周辺の森で採れた木の実や野草が主で、あとはそのへんに棲んでいる獣などを獲るしかない。

 メルンは単なる魔法だけの女というわけではなく、薬草の見分け方も詳しかった。この俺はといえば、薬草の知識などないに等しい。序盤のクエストでさんざんお世話になったムイムイ草ぐらいしか識らないので、そのあたりは大変勉強になった。

 

 それにしてもだ。意外とこういう暮らしも大変なんだということが、身に染みてわかった。俺は向こうの世界にいたころは、田舎のスローライフ的なものに、ちょっとした憧れがあった。

 だが、そいつは現実を見ていないものの、他愛無い痴夢(ちむ)にすぎないということがわかってきた。毎日のメシを確保するということが、どれだけ大変か。その時間だけで一日の大半を消費してしまう。

 まあ、このふたりは魔法というずるができるので、その点は一般の人々の苦労よりはだいぶんマシというものだろうが――。


 その間、筋肉を衰えさせないためのトレーニング、空手の基礎練習などは怠らずに続けている。こういうのは一日でもサボると、後々支障がでちまうものだ。

 たとえ眼がよくなったとしても、肉体がついてこれないと駄目だ。

 心・技・体。常に磨いておかなくてはならない。

 俺の場合、そいつを10年間も怠っていたのだから、なおさらだ。


 早朝に眼を醒まし、食い物を探して山をうろつき、肉体を鍛え上げ――そうして五日という時間はあっという間に過ぎた。

 そういえば、俺はメルンの無表情について、だいぶわかるようになってきたな。最初はただ、ぼーっとしているだけの娘だと思っていたが、感情表現が下手なだけで、実はかなりいろんな感情を皮膚の下に秘めているということがわかってきた。


 まあ、これだけ長い事一緒に行動していたらな。

 俺が逗留していた五日間は、たいそう愉しそうだったとヴェルダが口にしたときには、まあ、まんざらでもない気分だった。 

 師弟ふたりきりというのは、やはり寂しいものだろう。俺がいることで、その無聊が多少慰められたというなら、なによりというものさ。

 

『ずいぶんと待たせちまったね、これが約束の薬さ』


「――思ったより、小さいんだな」


 俺はヴェルダから手渡されたそれを、しげしげと眺めた。

 様々な物体を投入して、鍋いっぱいに煮込んでいた不気味な液体。俺はあれを全部飲み干すのかと、うんざりした気分でいたのだが、仕上がってみれば、そいつはどろりとしたペースト状になって、コップのようなサイズの陶器のなかに収まっている。

 思ったより臭気は強くない。これならなんとか飲めそうだ。

 

『言っておくけど、ひと呑みにしちゃいけないよ。毎日こまめに小さじ一杯分、水にでも混ぜて呑みな』


「一気に回復する、というわけではないんだな」


『そうそう便利なものなど、この世にないさ』


「魔法使いなんて便利な存在に言われると、いまひとつ説得力に欠けるな」


『魔法もね、あんたが思うほど万能じゃないよ。所詮は人の身から生み出されるものだからね』


「おのずと、限界があるということか」


『あんただって、無限にカラテの技を繰り出せるわけじゃないだろう? そういうものさ。人の肉体というのは、所詮器にすぎないからね。それぞれ、大小の差があるにせよさ』


「器に入るものだけしか、出せはしないと――?』


『なんだ、わかってるじゃないか』


 そういえば、メルンのやつも出せる呪文の数が決まっていると言っていたな。実際、それでピンチの状態に陥ったこともあった。あのときは、勇敢なひとりの男の活躍もあり、窮地を逃れることができた。 

 あいつはもう、いない。

 奴の愛用の槍は、俺の部屋の片隅で、無言の光を放つのみだ。


『さて、帰りはバイコーンに送らせようかね。ただし、ちょっと離れた位置に降ろさせることにするよ。アコラの町にあれを入れたら、たちまち討伐の対象になっちまうからね』


「それは賢明な判断だな」


「わたしも、ついていくよ」


 メルンが当然のように言うと、珍しくヴェルダが厳めしい顔つきで首を振った。


『あんたはしばらく、ここにいるんだ』


「え、どうして――?」


 メルンは意外そうな瞳を、師にまっすぐに向ける。


『あんたの魔法、ちょっと派手にやりすぎたようだね。もう町のギルドじゃ、かなりの噂になっているよ。凄まじい威力の雷撃を放つ魔法使いが、在野にいるってね』


 さあっとメルンの顔から血の気が引いた。


『そういう旨味のある噂は広がるもんさ。すでに王都から、諸侯から、あんたを抱えたがってる連中がスカウトを派遣しているよ。いまギルドに顔を出すのは、自殺行為ってものさ』


「それはいや――」


 さすがのメルンも、そういう連中には弱いようだ。

 彼女はすがるような目でおれを見つめた。だが、それをどうにかする手立ては俺にはない。無言でかぶりを振る俺を見て、彼女はとうとう観念したようだ。


「行くのは諦める――いまは」


「まあ、仕方のないことだな」


「ひとつ、お願いがある――」


「――聞いてやる。なんだ?」


「浮気しないでね」


「くだらないことを言うな。そもそも付き合ってもいねえ」


 やれやれ、最後までペースを乱してくるやつだ。

 しかしこれで、俺はひとりになった。若干の寂寥感はあるが、久しぶりに自由を手に入れたような気分でもある。

 俺はちょっとした浮かれ気分だった。帰りのバイコーンの乗馬のきつさも、さほど苦にならないほどに。宿に帰れば、懐かしい顔が待っている。――もちろん、美味い飯もな。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 俺の靴底は、久しぶりに堅い石造りの路を噛んでいる。

 アコラの町の雑踏が、妙に心地よいものに感じてしまう。まるで故郷に帰ってきたかのように、俺の胸は弾んでいる。すこしばかり留守にしていたといっても、せいぜいが一ヶ月ちょっとだ。

 それでも、慣れた場所というものはいいもんだ。

 俺はつまらない寄り道をすることもなく、まっすぐに『太陽と真珠亭』へと足を向けている。周囲の店と比べて控えめで、それでいてぴかぴかに磨き上げられた店先は、ここの親父さんの心意気を現しているかのようだ。

 俺は意気揚々と、扉を開いた。

 カウンターの向こうには、懐かしい親父さんの凶悪なツラと、看板娘のメイの姿があった。


「――よう、相変わらず、不景気な店だな」


 おれはできるだけ自然に、その言葉をほうり投げた。いきなりの皮肉に、メイは食って掛かるかと思ったが、そうではなかった。彼女は心底安堵したように、ほっと吐息を漏らしたのだ。

 

「ボガード、よかった、生きてたのね」


「縁起でもねえな、死んだと思っていたのか」


「これだけ長いこと宿を空けるなら、ちゃんと事情を説明しなさいよ。心配するこっちの身にもなって」


「いや、俺もこんなに長い事留守にするつもりはなかったんだ。――だが、それで心配をかけたというなら、すまない」


「いいのよ。元気そうで安心したわ。――あ、それより、あなたにお客が来てるわよ。それも、随分前から」


「――客? 誰だ、それは」


「ホラ、噂をすれば――」


「メイさん、各部屋のお掃除、終わりまし――」


 二階につづく階段から、元気よく駆け下りてきた少年がいる。彼は、俺の顔を見るや、はっと動きを止めた。――誰だ、この子供は。

 どこかで見た記憶があるが、思い出せない。


「お久し振りです、ボガード師匠」


「はあ、師匠――だと?」


「――ハイ、ボガード師匠の1の弟子、ソルダ・スランです。ここで働かせてもらって、ずっとお帰りをお待ちしていた次第です。今日から宜しくお願いします」


 ここで、過去の記憶と少年の顔がようやく一致した。

 彼は侍従として、俺としばらくの間、行動を共にした少年だ。

 

 つまりは、神田蒼月の差し金か――

 俺は、自らの表情がこわばっていくのを、止めることはできなかった。

 

遅くなりましたが、新章突入です。

次話は金曜日を予定しています。

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