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その7

 視界が揺れる。森林が左右に分かれ、馬蹄のひびきが振動となって俺のケツを痛めつける。

 俺たちはふたたび馬上にあった。

 例のバイコーンに跨っているのだ。

 メルンの技術は、あんまり乗馬に詳しくない俺の目にも、すばらしいものには見えなかった。だがバイコーンはまるで、眼に見えぬ道標があるかのような、迷いない足取りで駆ける。


 もう漆黒の城は、とうの昔に背後へと消え去っている。

 あそこに逗留した期間は、思ったよりも長くなっちまった。2週間ほどは滞在しただろうか。単なるおつかいと思ってたが、まったく、面倒なことばかりが立て続けに起こったものだ。

 人狼との闘い、魔女狩りとの闘い。そして漆黒の魔法使いの躾ときたものだ。俺の身体のどこを切っても溜息しか出やしねえ。

 

 おっかなびっくり、メルンの細腰に手を回し、ケツを痛めつけられ続けながらも、俺は左右の景色に眼を配ることは忘れなかった。

 道はバイコーンが決定している。

 俺ができることは何一つない。 

 にも関わらず、俺がそんな行動をとっているのは、妙な感じがしたからだ。帰る方向が、なんとなく違っているのではないかと思えたのだ。


 メルンに尋ねたかったが、やめた。疾駆する馬の上で間抜けに舌を噛み切るような真似はしたくなかったからだ。

 やがて俺の疑問に回答が与えられた。

 バイコーンがゆっくりと歩みを止め、静止したのだ。どうやら、ここから先が俺の両足の出番のようだ。ゴリゴリに凝った背筋をほぐし、俺は地に降り立った。 

 頼りなげに周囲を見渡すと、視界が悪い。 


 月光はちらちらと巨きな樹の天蓋に遮られ、たまにしか俺の足元を照らしてはくれない。メルンが明りの呪文を唱えると、ようやく自分の置かれた状況が理解できた。

 俺は、見通しの悪い森林地帯のど真ん中にいるのだ。

 まさかこのバイコーンが、下ろす場所を間違ったのかと思い、俺は背後で座り込んでいる馬もどきへ視線を走らせる。

 

「大丈夫だよ、ここだから」


 メルンが俺の問いを先読みしたかのように答える。

 まったく師弟ともども、勝手に人の行動を先読みするもんじゃねえ。そう言ってやりたかったが、残念ながら、長時間の乗馬は、俺からそんな元気を十二分に奪っていた。

 

「ついてきて――」


 メルンがすたすたと歩き始める。

 俺としては嫌も応もない。彼女の持つ杖の頭部分の灯が、唯一の頼りなのだから。

 歩きながら固くなった体をほぐしていくと、彼女の脚はとまり、また進み、爪先は左右に細かく揺れた。てっきり魔女狩りでも警戒しているのかと思い、周囲の気配を探ったが、そういうことでないようだ。


「こっちじゃなかった」


 ぼそりとメルンが、そうつぶやいたからだ。 

 彼女がここの地理にさほど精通していないせいだということが、俺にも理解できた。バイコーンはすでに役目は終えたということなのか、姿はどこにもない。

 俺たちはやがて、巨大な樹の根元へと到着した。

 すでに大きな樹は見慣れた俺にも、その樹は特に馬鹿でかくみえる。他との違いは一目瞭然だった。樹径は何メートルあるのだろう。十人ぐらいの大人が両腕を広げて取り囲めば、この樹の太さになるのかもしれないが、正確なことはわからない。

 

 驚いたことに、メルンはこの樹をノックしはじめた。

 もっと驚いたことは、その樹が、


『――開いているよ』


 と、返事をしたことだろうか。

 よく見ると、この巨大樹にはアーチ状の扉がついている。いや、樹の一部を切断し、そのまま扉として活用しているのだろうか。

 どうやらここは、ヴェルダの新たな住まいと考えてよさそうだ。まったく、実に魔法使いらしい、トンチキな住まいじゃねえか。


 取っ手らしきものは何もなかったが、扉は勝手に外へ向かって開かれた。俺は首をつっこんで内部を覗くが、中にはなにもなかった。

 樹木は円筒形状くりぬかれていたが、ほぼ内部は空洞であり、人の気配はない。俺はまるで巨塔の内部にいるような錯覚にとらわれていた。


「ヴェルダはどこにいるんだ?」


 おれの漠然とした問いに、メルンは指先で応えた。


「ここ」


 指先は下を向いている。

 木造りの床の中央に、木製のハッチがあった。取っ手を引くと、ハッチはやすやすと開いた。暗い穴が下に続いており、これまた木製のはしごが下の空間へ向かって伸びている。


「なんだこりゃ」


「いいから、入って」


 俺はメルンにせかされて、暗いはしごを下っていく。はしごを下っていくに従い、周辺の様子は明瞭になっていく。下に大きな光源があるのだ。

 やがて足先が床に触れたと思ったとき、信じられない光景が目に飛び込んできた。

 俺の目の前に、見慣れた部屋があった。

 

 どこにでもある木造りの応接間――。

 長く大きなテーブルが中央を占め、その奥の椅子に老婆が腰を降ろしている。どこかで見た光景。

 その老婆は、こちらも見ずにこういった。


『そこで足底の泥は、よく落としてきなさいね』


 俺はまるで催眠状態に陥ったかのように、無言でその言葉にしたがった。呆然としていたのだ。何故ならこの部屋は、以前お邪魔した崖下に造られた部屋と、寸分たがわぬ造りだったからだ。

 ヴェルダといえば相変わらずだ。いつものように、忙しく指先を動かしている。どうせまた、よからぬ指示でも書き記しているに違いない。


『長旅、ご苦労だったね』


 ようやくヴェルダは顔をあげ、笑みをもって俺を迎えた。

 俺は無言で頷き、両脇にセットしてあった椅子のひとつに腰を下ろした。そこからつうっと、彼女の手元目掛けて、ひとつの革袋を机上に滑らせる。中身は言うまでもない、アクマヤナギの粉末だ。

 それを手に取ったヴェルダは、中身をあらためることすらせず、ひとつ頷いて懐に収めた。


『あの子らは、元気にしておいでだったかい』


「とってもな。あんたに逢いたがっていたぜ」


『そう仕向けてくれたのは、あんただろう。礼を言わせておくれ』


「ふん。俺は最初から、あんたの掌の上で踊っていたというわけか」


『どういうことだい?』


「そういうことだろう。俺はずっと考えていたのさ。アクマヤナギの粉末とやらを、俺に取りに行かせる必要性を、な」


『意外に考える男だね』


「まあ、ただ筋肉が詰まってるというわけじゃないさ。そもそも、単なるおつかいなら、そこのメルンに任せれば簡単だ。だがあんたは、俺にとって来いという。そこになんの意図もないと考えるのは間抜けだ」


『学習したじゃないか』


「茶化すなよ。実際、あんたには見えていたんだろう。俺が弟子の苦悩を解決するという未来を。勝手にすれ違って、勝手に苦悩する弟子を見かねて、俺を送り出したというわけだろう」


『まあ、実際はそこまで正確に見えていたわけじゃないさ。だけど、なんだろうね。あんたならどうにかしてくれるという期待はあったね』


「ひょっとして、あれか――」


『あれって、なんだい?』


「あんたには、あれも見えていたんじゃないのか。魔女狩りの男、グルッグズの苦悩を――?」


『それは買いかぶりというもんさ』


「……果たして、そうか?」


 俺はじろじろと、疑わし気に彼女を念入りに見つめてやった。彼女は無言で眼鏡を光らせているだけで、なんの感情も表していない。

 だが、堪えきれず、不意に品の良い笑みを浮かべた彼女は、


『あの男――グルッグズといったかい? 彼はよくやってくれているよ。もう、すでに2人、魔女狩りの刺客を返り討ちにしている』


「すべては、あんたの筋書き通りか」


『まさかね。計算しても、こううまくいくもんじゃないさ。

――だけど、やっぱりあんたには感謝だね。魔女狩りの刺客がすべていなくなれば、あの子たちも、あんな趣味の悪い城に留まる意味はなくなるってもんさ』

 

「やっぱり、そういうことじゃねえか」

 

 俺は憮然たる面持ちで、いつの間にか置かれていた目の前のティーカップをすすった。何の茶だか知らないが、香ばしい。

向かいの椅子に腰を下ろしたメルンは、先にティーカップを木製のソーサーに置くと、夢見るように部屋を見渡し、


「ここも、また賑やかになるね」


 と、つぶやいた。

 今まで、こいつは師匠とふたりきりで、この部屋で暮らしていたのだ。魔女狩りに怯えながら、居を転々として。3人の仲間に見捨てられたと思い込んで――

 

 俺は、すさんだ自分の過去を思い出した。 

 離婚した両親。借金で蒸発した親父。他に男をつくって、俺を捨てたおふくろ。空っぽの家には、俺だけが残された。

 独りぼっちの家には、無音の哀しみだけが――。

 

 まあ、たまには操られてやるのも悪くはねえさ。

 誰かの幸福につながるならな。

 メルンの微笑を見つめて、俺はそんな思いに駆られていた。


『剣は鞘に』その7をお届けします。

次話は翌月曜を予定しております。

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