その6
『――貴様には、世話になったな、ボガードよ』
黒衣の魔術師、ジュラギは、相変わらず黒曜石の玉座に腰を下ろしたまま、俺にそう告げた。
すでに謁見の間の四方の壁は、元のようにつやつやとした光沢を放ち、かすかな罅割れも見いだせない。いかなる魔法を使ったのか、それとも一流の職人でも雇っているのか。俺には判断するすべはない。
メルンは俺の横にいて、ゾンバイスは扉の横で、敵の侵入を防ぐ衛兵のように、静かに佇立している。どことなく、見慣れた構図だ。
いつもと同じ立ち位置に見えるが、そうではない。
変化があった。
ジュラギの傍には、ラーラが寄り添うように佇立している。
彼女はジュラギの拳の上に、そっと掌を重ねている。
ジュラギの眼光は、いつものように鋭いが、顔つきは違っていた。
これまでの彼は、常に切羽詰まったような表情を浮かべていた。まるで、いつか切れそうなタイトロープの上を歩いているような、ぴいんと張りつめていた緊張感――それが薄れている。
ジュラギは笑みさえ浮かべて、傍らのラーラを見やる。
それに応えるように、ラーラもまたジュラギを見る。
まったく、見るに堪えないアツアツぶりだ。
いつもなら、他所でやってくれという感想しか抱かない俺だが、今回は大目に見ることにした。せっかく雨が降り、地が固まったのだから。
「俺は世話した覚えはないがな」
『まあ、そういうな、お前にはいろいろと迷惑をかけてしまった。しかし、俺の真意を知られたからには仕方がない。どうだ――』
「どうだ、とは?」
『そのアクマヤナギを渡してさよならというわけではなく――このジュラギに雇われてみぬか』
「俺が、お前に雇われるのか?」
『そうだ、お前の本業は傭兵なのだろう? 実はこのジュラギ、魔法を遣うほかに、魔道具の開発も手掛けておるのだ。その収入で、それなりの給金は支払うことができる。少なくとも、吝嗇という言葉とは無縁な男であると思うぞ』
「そいつは識ってる。つい最近、その魔道具とやらを装着したお前と闘ったばかりだからな――」
『そうだったな、失言だ』
ジュラギはふっと微笑んだ。いい貌だ。
これまでの彼とは、明らかに雰囲気が違う。
いい意味で、余裕が感じられる笑みだ。
「ありがたい言葉だが、俺にはまだ、やるべきことがあるんでな」
『やるべきこと――?』
「お前がくれた、このアクマヤナギの粉で、俺は強くなる」
『その後では、いかぬのか』
「いかんのだ。俺はもっともっと強くならなくてはいけない。お前のところで雇われることは、安定を意味しているが、技術の向上とは無縁の環境になる」
『このジュラギの魔道具制作に協力してくれれば、それなりの強さを得ることができよう』
おれは、ふるふると首を振った。
「そういうことじゃない。俺はこの身ひとつで、強くならなくてはならないんだ」
ジュラギはしばらく俺の瞳を見つめていた。
俺も黙ったまま、やつの顔を見返した。
気まずい沈黙を打ち破ったのは、俺のほうからだ。
「俺は、お前から見ると、矮小な存在かもしれん」
『――――?』
「お前やメルンが、戦場でひとたび杖を振るえば、天災級の攻撃力を発揮することだろう。俺の拳で殺傷できるものは、たかが知れている」
『そう、おのれを卑下するものではない』
「卑下じゃないさ、歴とした事実というやつだ。だが、俺はそれでいいんだ。俺が魔法と張り合う必要はない。この五体で何が成せるか、それを試したい。俺は俺の限界に挑みたいんだ」
『――なるほど。それがお前の信念というわけなのだな』
「信念――そんないいもんじゃないさ。単なるこだわりだ」
『そうか、残念だな。お前の腕ならば、大いに役に立ってくれると思ったのだが。――ならば、再びこの3人で、魔女狩りどもの雇った刺客を始末していくしかあるまい』
「そのことだがな。ジュラギ――お前は一度、ヴェルダの元へ戻ってはどうだ?」
『なぜだ。それではせっかくの罠が台無しだ。この漆黒の城は、あくまでわが師、ヴェルダの敵を始末するために用意したものだ』
「そうです、それこそ、私たちの努力のすべてが無意味になる」
不意に、扉の横に立っていた、ゾンバイスが口を挟んできた。
「近隣にある村に買い出しに出かけるとき、私は、わざと自分がヴェルダに仕えるものだという噂を広めました。魔道具を欲して買い求めに来る商人にも、同じことを吹き込みました。あたかもこの城とヴェルダが関係しているように思わせて。――すべては、この城に魔女狩りを引き寄せるためです」
「だが剣は、個として剣であるわけではないだろう。振るう人間がいてこその剣だ」
『何がいいたい?』
「剣は鞘に収まるべきだと言っているのさ」
『馬鹿な、今更なにを……』
ジュラギは両眼を閉じ、小さな声でつぶやく。
『……心の奥にどのような想いがあったにせよ、このジュラギは一言も告げず、師の元を離れたのだ。勝手に2人の部下を連れてな。ヴェルダは偉大なる魔法使いとはいえ、老齢だ。さぞかし、難儀されたことであろう……。そのことを思うと、とても戻るなどとは言えぬ』
「なぜ、真意を伝えなかった?」
『わが意を伝えれば、師は決して賛同しないことがわかっていたからだ。だから独断で動いた。赦されることではない』
「おれは、ヴェルダとは一度逢っただけだ。それほど親しいとは言えない。――だが、そこまで狭量な人物には見えなかったぞ」
『義理の問題だ。このジュラギ、そこまで厚顔無恥ではない』
「――そのことだけど」
さっきから、まったく無言で俺たちのやり取りを見つめていたメルンが、不意に口を開いた。ごそごそと、懐から何かを取り出している。
「これを、お師匠から預かってた」
そういって、ぎゅっとジュラギの手に、それを握らせた。
不審そうにジュラギは、渡された木の枝を見つめている。
「その棒きれは――?」
『このジュラギの最初の杖だ』
「魔法使いは、力が増大するごとに、徐々に大きな杖へと取り換えていくのです。まあ、見栄で大きい杖を持ち歩いている魔法使いもいますがね。そういう人間はたいてい、実戦でボロを出すことが多いです」
ゾンバイスが横から説明をしてくれた。
ジュラギは懐かしそうにその杖を掌で転がし、しばし無言で眺めている。昔の想い出にでも浸っているのだろう。
その細められた目が、不意に見開かれた。
『――思いだした。師はかつて、この杖をジュラギへ与えたときにこう言われた。“なにかに突き当たったときは、故郷に戻ってきな”と。そのときは、深く考えなかったが……』
「ですが、孤児である我々には――」
『そうだ、故郷はない。だが師はこうも言われた。“故郷とは、地域のみを差す言葉じゃない。還るべき家だよ”と――』
ぎりっという音がした。
ジュラギが何かに耐えるように、歯を食い縛っているのだ。
『“おまえたちの家は、あたしだ。家の扉は、いつでも開いているよ”――そのときは単に、魔法使いとしての心得のことだと思っていた。だが、そうか、そういう意味で……』
「私は、勝手に出て行ったあなたたちが許せなかった。裏切り者ってすら思ってた。でも、お師匠様はちがった。――常々、こう言っていたよ」
『なんと言っておったのだ?』
「あれは、私たちのために出て行ったのだから、怒っちゃだめだよって」
『む、ぐう……』
ジュラギは絶句し、つうっと両眼から涙を零した。
ついに堪えきれなくなったのだろう。
「剣は鞘に――ですか」
ラーラは、やさしくジュラギの背をさすりながら、その言葉を舌の上で転がすようにつぶやいた。
「とても良い言葉ですね」
「そんなに褒めないでくれ――」
俺は顔をしかめて、そう答えた。
「褒められると、赤面するタチでね――」
まったく、柄にもない言葉を吐くと、このざまさ。
大変お待たせしました。第6話、ようやく完成しました。
今回はいろいろあって申し訳ありません。
次話は木曜にお届けする予定です。




