その3
「――いやあ、負けたのう」
グルッグズは全身を、縄でぐるぐる巻きにされている。
それでも彼は、快活に笑った。
彼の容貌は、魁偉――いや、怪異のひとことに尽きる。だが俺は、いい顔をしていると何となく思った。憑き物がとれたかのような爽やかさを感じさせる。そんな貌になっていた。
「若いの――教えてくれ」
「何をだ?」
「どうやってワシのすくい蹴りを見破った」
「ほう、あの技はすくい蹴りというのか」
「うむ。ワシの姿は隠形で見えなかったはず。なのに、お前はあのすくい蹴りをかわすどころか、逆に使ってきた。ワシはこれまで、そのような相手と巡り合ったことがない。どうやったのだ?」
「言葉で伝えるのは難しいが……」
俺はやや、たどたどしく説明した。
最初、俺は顎に膝を食らったと思った。――俺ならばそうするからだ。だが、膝を顎の高さまで突き上げるなら、跳ぶか、軸脚を延ばさなければならない。
そうすると、組み合っている俺には伝わる。
腕が引っ張られる形になるからだ。
よほどの身長差がない限りは、不自然さでバレる。
膝ではない。
となると蹴りしかないではないか。
しかし、がっしり互いに両腕を組み合った状態で、顎先へ蹴りなど出せるものなのか。そういう疑問はあった。だが、例えばバレリーナなら、脚をきれいに折りたたみ、すっと垂直に足を延ばすことができる。
やってみたら、不格好ながら、できたというわけだ。
しかし、すくい蹴りか。空手やキック、ムエタイにはない発想の蹴りだ。俺たちの蹴りは、一撃の技の破壊力を出そうと、全身のバネを使って打ちこむ。
そのために前蹴りであり、回し蹴りがある。
このすくい蹴りというのは、その発想がない。
相手の不意を衝けばよいという蹴りだ。
どちらかといえば古流の発想に近い。
この技は初見であれば、ほぼ、よけることはできないだろう。だが俺は、先にジュラギがこの技を食らうのを見た。――さらには、この技を身に受けもした。
普通ならば、あそこで喉首を掻っ切られて終わりだ。対戦相手さえ殺せば、この技の正体を識る者も消えるという寸法なのだろう。
動画で相手の研究ができる、現代では通用すまい。
だが、この異世界では、ほぼ敵なしの技ではないか。
「グルッグズ、お前の師は誰だ?」
「レダンという。もうこの世におらぬがな」
「このような技を使える者が、魔女狩りにはたくさんいるのか?」
するとグルッグズは呵々大笑し、
「おらぬ、おらぬよ。この霹靂流忍法。遣えるものはみなくたばった。あとは取るに足らぬ出来損ないだらけよ」
「忍法だと――? すると、お前の師は忍者か?」
「忍者? 我らをそう呼ぶとは、お前はカミカクシか、若いの」
「――まあ、そうだ。お前らの師匠は、カミカクシではないのか」
「わが師レダンはカミカクシではない。その大師もそうではなかった。開祖のみがそうであったと聞く」
「一子相伝の忍術というやつか」
「我らは代々、霹靂流を受け継いできたものの、術のすべては口伝。開祖のことすらも詳らかではないのだ。ただ、開祖の名はトピ・コーヤマと申されたとか」
「飛び甲山――? ふうん」
アコラの町のミトズンは、200年ぶりのカミカクシが俺たちだという話をしていた。となれば、200年以上昔には、カミカクシは割といたわけだ。
歴史にはあまりくわしくない俺だが、戦国とかの世には、忍者は実在したと聞いている。そういった時代にもカミカクシに遭った者はいるだろう――そのなかに忍者がいたとしてもおかしくはない。
この異世界には、俺たちの世界では、とっくに失伝している徒手空拳の技が遺されている可能性は高い。
「すると、魔女狩りの最大戦力は、お前ということでいいのか、グルッグズよ」
「むろんだ。ワシ以上の使い手はおらぬ」
悪びれもせず、むしろ誇るようにグルッグズは言った。
「そもそも、魔女狩りなどという連中は、異端なる存在だと聞いた。お前ほどの男が、なぜそんな連中に雇われているんだ」
その問いを発した途端、さっきまで溌剌としていたグルッグズの顔が、急にしぼんだように見えたのは、俺の気のせいだっただろうか。
「昔話だよ、若いの――」
「聞かせてくれ」
「ある老人に、かわいい孫娘がいたとしよう。その孫が病弱な生まれで、薬師にも、治療師にも見放されるぐらい儚い生命力の持ち主だったら、お前ならどうするだろうな、若いの――?」
「――――」
「老人は、何としても孫を助けようとした。すると、ある連中が、『我らならば、その孫を助けることができる』と申し出てきた。老人はふたつ返事で応える。『ワシができることなら、なんでもする』とな――」
「それが魔女狩りか」
「そういうことかもな」
「それで孫娘は、助かったのか?」
グルッグズは、しぼんだ顔のまま、首を振った。
「騙されたというわけか。それなのに、どうしてそんな奴らの言いなりになっているんだ」
「考えるのをやめたからだよ、若いの」
俺はそのとき、グルッグズの目尻に、光るものを見た。
「若いの、その技術、どれほど鍛錬してきた」
「どれほど、とは――?」
「ワシを倒すほどの技量だ。一朝一夕では身につくまい。何年も、何年も、技術を磨き続けた日々があったはずだ」
自然と俺の瞳は、グルッグズから離れ、壁面へと注がれていた。不格好に砕かれた、黒曜石の壁に――
俺はいま、37歳だ。7歳から空手をやらされた。
巨大な挫折を味わい、10年ほど空手から離れた。
大雑把に差し引いたとしても、およそ20年近くの歳月を、空手に捧げてきた。その鍛錬の日々は、俺の今日に繋がっている。この異世界で、幾たびも俺の命を救ってくれている。
「わかるだろう、若いの。技術だけだ。技術に没頭する日々だけが、哀しみから救ってくれる。術の研鑽のみが、苦しみから解放してくれるのだ」
その言葉には、確かに真実が含まれている。
だが、どこか虚ろに響くのはなぜだろう。
おそらくは――
「あんたのやってることは、連中と同じだよ」
「どういうことだ?」
「あんたは、最初は騙されて一味に加わったのかもしれない。――だが今はその嘘で、自分自身をも騙している。もう孫は還ってこない。だが、あんたは心の何処かでそれを拒絶しているのさ」
「ち、違う、そんなことはない」
「ずいぶんと狼狽えているじゃないか」
「――若造に、なにがわかる!」
「いい加減に、妥協してみたらどうなんだ」
「誰と――?」
「現実だよ。あんたのさっきの顔、いい笑顔だった」
「むう」
「もう、前を向いて歩くときじゃないのか、グルッグズ」
「お説教か。ワシはここで死ぬのじゃろう」
『そうだ、魔女狩りの誰ひとりとして、許すつもりはない。この場所を識ったからには、猶更だ』
不格好な装甲に身を包んだジュラギが、口を挟んできた。相変わらず、空気の読めない男だ。俺は無言のまま、老人の身体を縛り付けているロープを解いていく。
『おい、貴様、なにをしている。勝手なふるまいはよせ』
「若いの、どういうつもりだ――?」
グルッグズも、不審そうだ。
どの顔も一様に、不審さを露わにして俺を見ている。
だが俺は、決めたんだ。
「グルッグズよ、お前はここで、俺に斬られて死んだんだ。そうだろう――?」
「な、なにを言う、若いの」
「次の人生は、誰にも縛られずに生きてみたらどうだ」
「――――?」
「もう一度、活きなおしてみちゃどうだって、言ってるんだ」
「だが、ワシはもう――」
「過ぎてしまった歳月は戻らない。辛い過去から目を背けていた自分は、消すことはできない」
俺は胸の一部に痛みを感じた。気が付くと俺自身の手が、革鎧の上から、己の胸の部分をつかんでいるじゃないか。
――強く。
まるで自分に言い聞かせるように、俺は続けた。
「だが歩みを止めるのも人なら、また歩き出すのも人だ」
「若いの……」
「あんたもまた、歩き出す自由があるんだよ」
俺はちょっと笑ってみた。
ぎこちない笑みかもしれないが、笑みは笑みだ。
「若いの、名を聞かせてくださらんか」
「海道簿賀土だ」
「カイドー・ボガド、いい名だ――」
次の瞬間、グルッグズは、俺の予想もつかない行動に出た。
なにかに突き動かされるように、その場に平伏したのだ。
「ボガド殿。ワシを、あなたの弟子にしてくれぬか」
『剣は鞘に』その3をお届けします。
次話は木曜日を予定しております。




