その1
「魔女狩りだと――?」
その言葉に俺はひっかかった。
無学な俺でも、その言葉の持つ意味は識っている。西洋の歴史の後期ぐらいに起こった社会現象――というか集団ヒステリーのひとつだと、俺は記憶している。その混乱のさなか、『魔女』とされた連中が裁判にかけられ、無残に処刑されたりしたことだったはずだ。
俺はそこに、矛盾を感じていた。
この異世界では、魔法を使える存在はとても希少であり、教会と国家で奪い合うほどの状況であると、俺は聞かされていた。
こいつは、それを狩ろうというのだ。
「この世界も、一枚岩ではないのですよ」
俺の釈然としない面持ちを見かねてか、横からゾンバイスが助言してきた。
「魔法の偉大なる力を認め、手の内に置いておきたい国家などの勢力の他に、それを邪悪なるものだと忌避し、狩ろうとする異端なる存在もまた、いるんです」
「――特に、貴様のような邪悪な獣の落とし子は、深刻だな。念入りに、清めねばなるまい」
グルッグズのいう「清める」という意味がどのようなものか、考えたくもなかったが、ゾンバイスは考えてしまったようだ。その顔色が明確に蒼くなった。
「黙れ、邪悪なのはお前たちのほうだ」
ゾンバイスの表情が見る間に変わっていく。変化は緩やかではなく、劇的だった。ただの人間の怒りの形相から、頬に剛毛が発生し、それが顔全体――いや、身体全体を覆っていく。
めきめきと気味の悪い音が、謁見の間に響く。音とともに全身の骨格が変貌し、尻尾が生え、佇立した狼へと姿を変えていく。
やがて完全なる狼へと変貌したとき、彼は天へ向かって吠えた。抑えきれない怒りの感情が、噴火したような印象だった。
俺は、初めてこの男の変形を目の当たりにしたが、なかなかグロテスクな光景だった。これを見た人間が、邪悪なる存在だと決めつけても、仕方ないことかもしれない。
『ゾンバイス、片づけろ。骨も残さずな――』
ジュラギが命ずるまでもない。
すでにゾンバイスは一陣の風になっている。
両脚ではなく、四肢を駆使して獲物のグルッグズへと肉薄する。だが、寸前でその身は立ち止まった。そうせざるを得なかった。
また、グルッグズと名乗る男が、闇に溶けたのだ。
ゾンバイスは狼である。人間などよりはるかに嗅覚、聴力に優れている。その彼が、見失うのである。グルッグズは本当に人間なのか。狩る側の人間が、魔法を行使しているのではないか。
そう考えてしまうほど、やつの隠れ方は完璧だった。
『ゾンバイス、上だ――』
冷静に、ジュラギが指摘した。
その瞬間、俺の瞳にも、やつの姿がはっきりと見えた。まるで手品の種明かしのように、男の姿が空中に生じている。
全身黒づくめの男――グルッグズが、両脚を天に向けたさかさまの態勢で、ゾンバイスの頭部を蹴り砕こうとしている。
言葉に反応したゾンバイスは、すかさず後方へと飛び跳ねようとした。だがわずかに及ばず、男の爪先が、ゾンバイスの突き出た鼻先を削った。
悲痛なうめき声をもらして、ゾンバイスは距離をとる。
「惜しかったな。避けなければ、楽に天へと召されるハズだったのに」
グルッグズは音もなく地に降り立つと、にたりと不気味な笑みを浮かべた。その邪悪な笑みは、『太陽と真珠亭』の親父さんを思い浮かべずにはいられなかった。
「それにしても、解せんな」
『なにが、だ――?』
「このワシの隠形を見抜くとは、人間業ではない。その眼鏡に、仕込みでもあるのだろう。例えば――」
俺は反射的に、ジュラギのやつを見た。
言われれば、俺の方からは死角の位置に、片眼鏡が降りている。グリーンのモニターと言った方が、より正確だろうか。
『例えば――なんだ?』
「その片眼鏡で、ワシの体温でも視ておるのではないか――とな」
ジュラギのやつは、薄く笑って答えない。
ということは、そういうことなのだろう。
科学にはまるで疎い俺だが、そいつのことは、昔の映画で見た記憶がある。物体の表面温度を検出するという、サーモグラフィーというやつか。ジュラギの野郎は、このヘルメットを魔法学の結晶というが、俺の眼には、科学技術の結晶のようにしか見えない。
「ならば、飼い主の貴様から先に片づけた方がよさそうだ。飼い犬は、しょせん飼い犬だからな」
男は疾走の姿勢をとったとおもいきや、再び姿を消した。こうなると、当然ながらゾンバイスもグルッグズの位置を捕捉できない。
グルッグズの位置を把握しているのは、ジュラギだけということになる。そのジュラギは、脚のホバーのようなものを駆使して、部屋を縦横無尽に駆け回っている。
いや、違うと俺は思った。
発想が逆なんだ。
駆けまわっているわけではない。追いかけられているのだ。グルッグズに追いかけまわされているから、そうせざるを得なくなっているのだ。
しかし、俺の脚では、ジュラギを捕まえることはできなかった。やつとの打ち合いに発展したのは、あくまで奴が俺の技を盗もうとしたからだ。
見えないが、グルッグズのやつはたくみにジュラギの位置を捕捉し、攻撃を加えているようだ。直線での逃走ならば、追いつくことは難しいだろう。だが、謁見の間がどんなに広かろうが、所詮は部屋だ。壁がある。壁にぶつかる前に、ジュラギは左右どちらかに方向を変えざるを得ない。
その方向転換のために速度を落とした瞬間を狙われている。
グルッグズには、卓越した先読みの能力があるらしい。
それで、ジュラギの逃げる方向に先回りし、攻撃を仕掛けているのだ。俺の時とは違い、ジュラギは一方的にグルッグズの攻撃を受けているようだ。
『ぬううっ、この――』
ジュラギはついに暴走しはじめた。
四方八方に、例の砲撃を連射し始めた。
完全にブチキレちまったようだ。四方の壁から黒曜石の破片が散り、粉塵が舞った。そいつはラーラの数ミリ横にも着弾し、破片が彼女の美しい頬をかすめた。
それでも表情を変えないように努めるラーラは、いっそ見事といえたが、残念ながら顔は青ざめている。
あっとジュラギが声を上げる間もなかった。
奴のヘルメットが宙に舞った。
いや、グルッグズが蹴り上げたのだ。
これでもうジュラギのやつは、グルッグズの隠形を見破ることができない。
――こいつで、勝負あったも同然だった。
ジュラギの顎先が天を向いたと見えた、瞬間だった。奴の身体は、ぐるりと前転するように旋回した。床へと叩きつけられたのだ。
『うぐおっ』
どんなにいい装備でも、地へ叩きつけられたショックを、完全に消すことはできない。ジュラギは苦悶し、くぐもった悲鳴を漏らした。
粉塵を貫くように、俺は駆けた。
そして、宙を蹴った。
狙いは、確かだったようだ。
「どういうつもりだ、若いの――」
すうっと、グルッグズの姿が現れた。俺の飛び蹴りは、やつの頭部スレスレでガードされていた。だが、やはりだ。やつは倒れたジュラギの喉首を掻き切ろうと、刃物を振り下ろすところだった。
そうなると、位置取りはおよそわかる。
そこへ、蹴りを放ったのだ。
「こやつとお前は、敵同士ではないのか――?」
「そうだ。だから、闘いの邪魔をする奴は、退場してもらう」
「ほう、まぐれ当たりで、調子に乗るか、若いの――」
「若いのと言われるのは嬉しいが、そう若くもなくてな」
「邪魔立てするなら、順番が先になるぞ」
「いや、順番通りさ」
「――――?」
「年寄りから、先に逝くものだろう」
グルッグズは、邪悪な笑みをさらに深いものにした。
相好を崩して、手を拍いている。
「おもしろい、まったくおもしろい」
「おもしろいだろう。みんなに披露してもいいんだぜ」
「誰に披露せよと言うのだ」
「あの世にいる皆さんにさ――」
グルッグズは、ゆるりと立ち上がった。
その貌からは、笑みは消えている。
「生き急ぐか、若いの――」
「老人虐待は、好きじゃないんだがな。旧いの――」
双眸と双眸が、見えない火花を散らしていた。
『剣は鞘に』その1をお届けします。
次話は金曜日を予定しております。




