その10
あまりに強烈な痛みを受けると、人はどうなるか。答えは簡単だ。一瞬の間、麻痺してしまう。痛覚のみが全身を支配してしまう。
敵の追撃は来なかった。
そのおかげで、どうにか、両膝を折ることは避けられた。
右胸を打たれたのが幸いしたといえるだろう。
こいつが左だったら、心臓がある。
俺の息の根を一瞬で止めるにはもってこいだ。
それに俺は、アップライトから肘を畳み、攻撃をそらして直撃をまぬがれた。だが、そのせいで攻撃は流れ、アバラをかすめたというわけだ。
何本か折れているのは確実だった。
だが、戦闘不能になってはいない。
俺の心臓はまだ、鼓動している。
ジュラギの勝ち誇った顔を、俺は怒りをこめて睨んだ。まだ、勝負は始まってもいないし、何も終わっちゃいねえ。
『ふむ、諦めぬか。当然かな』
「当たり前だ。こんなかすり傷で闘いの手を止めるとは、とんだお人よしだな」
『このジュラギ、お前と違って、無益な殺生は嫌いでな――』
奴は言いつつ、こんこんとヘルメットをかるく叩き、
『死に至らしめる前に、参ったをしてくれると助かるのだが』
「そいつは無理な相談だな」
『ほう、死んでも闘うと――?』
「いや、死ぬのはお前だ」
歯を食いしばって、俺は前進した。
もちろん、やつの重力を無視した水平移動は、俺の走りをはるかに凌駕している。追っていたと思っていた矢先、俺は気配を感じて身を沈めた。
頭上を、黒い一撃が駆け抜けた。
やつが俺の背後に廻って、打撃を放ったのだ。
おれの反射神経が、それを察知したというわけじゃない。ただの、経験だ。俺の視界から消えた野郎が――ジュラギが、どのように動くだろうか。
その、咄嗟の判断力でかわしたのだ。
『ほほう――』
ジュラギが感心したような声を発した。
なにが「ほほう」だ、この野郎――
おれは立ち上がりざま、裏拳を放った。
余裕のスピードで、やつはそれをかわす。
俺は止まらない。
連撃だ。コンビネーションによる打撃を放った。
人の眼は、上下を同時に見るようにはできていない。
だから左のジャブから、右のローキックにつなぐ。
右のストレートから、左のミドルキック。
対角線のコンビネーションが、闘いのリズムを作っていく。ジュラギのやつは、それをすべて回避しているというわけではない。
いくつかは被弾している。
それでも、効いているわけじゃない。
ちゃんと装甲の堅い部分でブロックしている。
しかし、解せなかった。
足を止めての打ち合いは、俺の望み通りの展開だ。
だが奴には、それをさせないだけの機動力がある。
つまりこの状況は、敢えて奴が、俺の希望通りの展開にさせているのだということになる。実に気にくわねえ状況だ。
俺は連撃を放ちつつ、やつの鉄壁の防御網の穴を見出そうとしている。
胴体はダメだった。前蹴りが通ったが、ここも硬い。
どうやら服の下にも、何か装甲のようなものを身に着けているようだ。一見、装甲のない、隙だらけの部分にも、何らかの打撃対策が施されているというわけだ。
胴タックルで寝技の展開に持ち込むのはどうだろう。
一瞬、その考えが脳裏をよぎったが、その考えはすぐに手放した。この男は、俺とゾンバイスの闘いの一部始終を見ている。
見ているからこそ、同じ轍を踏むとは思えない。
ゾンバイスと俺の闘いからの、空白の3日間は、俺の恢復のためだけに与えられたのだ――なんて間抜けな考えは、俺の裡にはない。
その間、こいつは知恵を絞ったはずだ。
ゾンバイス戦で見せた、俺のすべての動きを克明に記憶し、対策を練ったはずだ。その上で、それを凌駕するという自信が出来たからこそ、この闘いの場に臨んでいるのだ。
ぴんとくるものがあった。
「ジュラギ、お前――」
『なんだ、戦闘中に話しかけるとは?』
「俺の打撃から、学ぼうとしているな――?」
ほんの半瞬だけ、やつの表情に白けたものが浮かんだ。
『ふむ。脳味噌まで筋肉が詰まっていると思っていたが、なかなか知恵が回るじゃないか』
肯定したも同然のセリフだった。
この、脚を止めての打ち合いは、俺の打撃技術を盗もうと考えて行っていることだったのだ。
こいつの動きは、どんどん洗練されている。
最初はただ、この魔法技術の結晶という装備の速さに任せた、ド素人まるだしの打撃だった。蹴りと言えばサッカーボールキックだったし、突きといえばテレフォンパンチだった。
今はどうだ。俺の技術をどんどん盗み、それらしい動きになってきているじゃないか。まったく舐められたものだな。
『だが、どうする? それがわかったからといって、このジュラギから技術を盗まれぬために、お前ができることなどはない。打撃を放つことなく、このジュラギを倒すことなど不可能であろう』
「そうかもしれねえな」
俺が勝つには、こいつが見たこともない打撃を放つしかない。
こいつの想像を超えた一撃をお見舞いするしかない。
だが、それをかわされたら、二度は通じまい。それどころか、今度はそれも、やつのレパートリーに加わってしまうことになる。
俺は苛立ってきていた。
こいつの、あらゆる手練手管が気にくわない。
俺の技術を盗もうという魂胆はいい。好きにすればいいし、そいつはこいつの勝手だ。――だが、勝負とはもっと、互いに真摯に向き合うべきものじゃないのか。
俺の内部のいら立ちが、頂点に達しようとした時だ――
轟音が、俺の耳朶を撃った。
俺は思わず、身を伏せていた。
この近距離で、ジュラギのやつが撃ったのだ。
巨大なガントレットから、眼に見えぬ砲撃が放たれたのだ。そいつは俺の肩上スレスレをすり抜け、はるか向かい側の黒曜石の壁を破壊した。
まさか、飛び道具まで放つとはな――
俺は肝を冷やすと同時に、どっと白けた気分が内部から放出されるのを感じていた。こいつは闘いをしたかったわけじゃない。単に殺人兵器で、俺を嬲りたいだけだったのではないか。
そう思った瞬間だった。
『何者だ――貴様?』
ジュラギの口から、信じられない言葉が漏れた。
奴の眼は、いましがた破壊したばかりの黒曜石の壁に注がれている。当然ながら、誰の姿も見えない。俺はやつの気がふれたのかと思った。
「よく、わかったな――」
不気味な声が響いてきた。
砕かれた黒曜石の壁の、ほんの数センチほど右側に、ひとりの男が立っている。俺には、なんの気配も感じられなかったし、部屋の隅で俺たちの闘いを見守っていたメルン、ラーラ、ゾンバイスたちも、驚きの表情を浮かべている。
人間ならばともかく、はるかに聴覚・嗅覚が優れたワン公にすら気配をつかませなかった相手を、ジュラギのやつは見抜いたのだ。
『何者だ――と、問うている』
「ワシの名は、グルッグズ――」
その正体不明の男は、名乗った。
ジュラギに対抗するかのような、黒装束に身を包んでいる。
「魔女狩りといえば――わかるだろう」
『ついに、来たか。刺客が――』
グルッグズと名乗った男は、ずいと前に歩み出てきた。
「――そうだ。貴様らは、皆殺しだ」
『強さを求めて』その10をお届けします。
次話は翌火曜を予定しております。




