その9
「――シッ!!」
俺の口から、熱い呼気が漏れる。
汗が滴り落ち、水たまりをつくっている。
黒曜石の床がぬかるむような量だ。
さすがに足が滑る。
やむをえず、俺が練習を一時中断すると、そのタイミングを読んだかのように、ラーラがすかさず入室してくる。俺が部屋の隅に避難すると、彼女はバケツと雑巾のようなもので、床の清掃をする。
最初のころは、俺も「悪いな」などと礼を言っていたのだが、返ってくるのは無言なので、いつの間にか俺も無言で彼女の作業を眺めるだけになってしまっている。
「……どうしたの?」
メルンが俺に問いかけてきた。
彼女は他にやることがないのか、俺の部屋のベッドに腰かけて、ただじっと俺の粗末なシャドーを眺めている。何がおもしろいのやら。
「――どうした、とは?」
「キレが悪くなっている気がするけど」
「お前にそれが、わかるのか?」
「……なんとなく」
「そうか――」
素人からキレが悪いと言われるようじゃ、おしまいだ。
まったくもって、俺は気がめいっていた。
それもこれも仕方のない話というものだ。天井も床も、四方が漆黒に塗られた部屋に3日間も閉じ込められれば、誰だって気分が沈む。殺風景とは、この部屋のためにあるような言葉だ。
ただ、3日もの猶予を与えてくれたこと自体は、ありがたい。
余裕のつもりなのか、ジュラギが俺の肉体が恢復する期間を与えてくれたのは、幸いといえた。互いに五体満足な状態で闘おうというつもりなら、とんだ間抜けなフェアプレイ精神だがな。
まあ、それだけ己の戦闘能力に自信があるのだろう。
俺はジュラギとの戦闘に備え、ひたすらシャドーに打ち込んだ。食事以外で俺ができることと言えば、それぐらいしかなかった。
奴がどんな手段に出るのかは、わからない。
またゾンバイスのような奴をけしかけるつもりか。
それとも、新たな手妻を用意しているのか。
純粋に魔術で対決するつもりなのか。
悩んでも仕方のない事かもしれないが、脳裏には置いておくべきことだ。意表を突かれるというのが、闘いにおいて一番よくない。まったく、夢の人喰虎さまさまだ。あの助言がなければ、俺はうかうかと闘いに臨むところだった。
「ああ、そういえば――」
清掃が終わったラーラが、去り際、ついでのように言った。
「なんだ?」
「マスターからの伝言があります」
「そういうのは、おまけのように言うもんじゃない」
「――失礼しました。マスターからの伝言は『一刻後、謁見の間に来るように』とのことです」
「わかった」
自分でも、口元が緩んでいるのがわかる。
俺は虚空に、軽くジャブを繰り出した。
やっと、この殺風景な空間からおさらばだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・
俺は頬に、ぬるい風を感じていた。完全な密閉空間ではなく、どこかに窓らしきものがあるのだろう。もっとも、俺が立っている場所が、相変わらず黒曜石に囲まれた、殺風景な眺めなのには変わりない。殺風景から殺風景か。まったく笑えない話だ。
だが、俺の立たされている状況は、まるで違う。
――なぜなら、俺の目の前には、ジュラギの野郎がいる。
一応、俺は革鎧と腰剣で武装してきていた。
ワン公に食いちぎられた、右手のガントレットは不格好に千切れたままだが、こればかりは仕方ない。完全とはいいがたいが、ほぼ右腕の感覚は以前のままだ。
俺の戦力は、以上だ。
問題は、ジュラギのほうだ。
この男は、おかしな格好をしていた。
両腕を、でかいガントレットで固めている。むろん、普通のサイズではない。俺の太腿ぐらいのでかさはありそうだ。右手には、杖の代わりに、ドッジボールのような球体を抱えている。あれが武器なのだろうか。
両脚にも、円柱形の妙な装甲をつけていた。膝から下が不自然なほど太くなっている。なんの酔狂なんだ、これは――?
「その道化た格好はなんだ?」
さすがに俺は、呆れて尋ねた。
しかしジュラギのやつは、恥じ入るどころか、得たりとばかりに誇らしげな微笑を浮かべているじゃないか。
『まあ、節穴のおまえには、わからぬだろう。この最新の魔術で形成された武装の素晴らしさが。これぞ、我が研究の成果というやつだよ――』
「おれには、出来損ないの仮装パーティーにしか見えないがな」
『だから節穴だと言っておるのだ。いいか――』
「いいさ、能書きは――」
俺は、いつものアップライトに構えた。
「仕合で語ってくれ」
ジュラギはにやりと笑い、手に持った球体を頭にかぶった。
あれはどうやらヘルメットだったようだ。
『わかった。だが、会話にはならぬかもしれぬぞ――』
ゴングの音色などあろうはずもなく、突発的に仕合は始まった――
俺はまず、左で牽制のジャブを放った。
奴は、ふとい両の装甲でそれを防ぐ。硬い。それに隙間がない。おそらく奴自身も知識がなく行っていることだろうが、頭部を堅いヘルムで覆い、両腕で顎先を固めるような防御姿勢は、ほぼピーカーブースタイルに近い。
これじゃ、俺は拳を無駄に痛めるだけだ。
正面突破の愚をさとった俺は、左右に揺さぶりをかけるようにフットワークを使う。奴の両腕装甲のガードは確かに厄介だが、まともにぶつからなければいいだけの話だ。俺はジャブからのストレートに見せかけて、腕をサイドから振りぬく。
右のフックだ。
完全にガードの隙間を突いた、我ながらいい一撃だった。
だが、そいつがやつの顔面に炸裂することはなかった。
俺の顔は、さぞかし呆然として見えたことだろう。
ジュラギは不敵な笑みを張り付けたまま、突進してきた。いや、正確にいえば、一度後方へと回避し、その直後に突進してきたのだ。
重そうな装甲をつけた人間の動きではない。
すさまじき高速で吹きぬけた前蹴りを回避できたのは、我ながら上出来だったと言わざるを得ない。あの装甲の堅さ、太さだ。まともに食らえばタダでは済まなかっただろう。
そこで勝負がついていてもおかしくはない。
『なかなかの動きだ。褒めてとらす』
ジュラギは余裕の口ぶりで、そう言った。
「なかなか面白い玩具じゃねえか」
『まだまだ、この装備の性能は、こんなものではない』
「期待してるさ――」
軽口をたたきながら、俺は奴をじっと観察する。
――なかなかの間抜けだな、この俺は。
ここで俺はようやく、この謁見の間で感じていた風の正体に気付いた。それは、やつの足元から発せられていたものだったのだ。
やつの両脚は、わずかに浮いていた。
ぶっとい両脚の装備から、真下へむかって風が吹いている。もちろん、人体を浮かすほどの猛烈な風が吹いていれば、いくら間抜けな俺だって気が付く。
しかしこいつの装備は、ぬるい微風を発するだけで浮いている。なんらかの超自然的な能力が、この装備に宿っているのは間違いなかった。
――こいつが、最新の魔術の結晶というわけか。
ジュラギは息のひとつも切らすことなく、文字通り床を滑るように接近してくる。俺は懸命に、やつの技の起こりを見ようとしていた。
やつの素早さに対抗するには、刹那の見切りしかない。
だが、俺の衰えた動体視力には、少々難しい問題だったようだ。俺がそいつを理解したのは、猛烈な衝撃を左胸のあたりに感じてからだった。
重い、拳の直撃を食らった。
はっきりとアバラが折れる感覚があった。
あまりの苦痛に、がくんと俺の両膝が折れる。
メルンの甲高い悲鳴が、やけに耳障りだった。
『強さを求めて』その9をお届けします。
次話は金曜を予定しております。




