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その7

 俺の意識は、かなり朦朧としている。

 だからメルンの言葉を聞き間違えたのかと思った。

 しかし、幻聴でもなんでもなかったようだ。


「お願い、ラーラ姉さんなら、治せる」


 間違いなくそう言った。

 メルンの顔は、ただラーラへと向けられている。

 ラーラの方は無言で、ジュラギを見つめている。


 こいつは単なる時間の浪費だと、俺は判断した。俺が立っていられる貴重な時間が、(やすり)で削られるように、じわじわと減少していくだけではないか。

 おそらく、メルンの口ぶりでは、ラーラは怪我を治療できる魔法か何かを使えるのだろう。だが、そもそも敵方である俺に対して、そいつを行使してくれると思うこと自体がおめでたい。

 なにしろ俺は、こいつがマスターと呼ぶジュラギと、一触即発の雰囲気になっているんだからな。

 

 目の前の黒ペンキ野郎は、身じろぎもしない。

 さあ、どうしたジュラギ。俺はじわじわと距離を詰める。

 距離が遠ければ遠いほど、向こうに利がある。

 打撃の制空圏まで近寄れば、俺はやつが口を開く前に、一撃をお見舞いすることができる。だが逆に、やつの呪文が炸裂したらどうなるか、そいつは考えるまでもない。

 俺は漆黒狼(ムアサドー)よろしく、ミディアムに焼かれちまうだろうぜ。


 ジュラギのやつは、まだ仕掛けてこない。

 もうすぐ、俺の制空圏に入る。

 そのとき不意に、奴はくるりと背を向けた。


「おい、闘いの最中に背を向けるとは、どういう了見だ」


『最初から闘いなど発生しておらぬ。このジュラギはあくまで、おまえの無意味で一方的な殺戮を止めるため、間に入ったに過ぎないのだからな』


 ちぎり捨てるようにそういうと、ジュラギはまだ床にしゃがみこんだままのゾンバイスへと近寄った。立ったままで、傲然とやつに問いかける。


『まだ闘う気力があるか?』


 ゾンバイスはしばしの沈黙のすえ、答えた。


「――ごの勝負は、おでの負けでず」


『ほう、向こうの方がダメージは深そうだがな――なにゆえ、そう判断した?』


「おでは、やづに一瞬恐怖しぢまった。やづの狂気ともいえる執念に、押ざれじまった。闘いの最中でびびったら、その勝負には勝でまぜん」


『ふん、そういうものか……』


 納得しかねているのか、ジュラギは小さく首をひねって、しばし神妙な表情のゾンバイスを見下ろしていた。俺はというと、すっかり毒気を抜かれて、そこに佇立しているばかりである。

 敵が白旗を上げた以上、一応の決着はついたということだ。降伏した相手を殴るのは武ではない。おれだって一応、空手家の端くれだ。それぐらいの分別はつく。

 

『本人がそういう以上、この勝負はお前の勝ちということになるのだろうな、ボガードよ』


「――そいつはどうも」


 俺はようよう、食いしばった歯の隙間からそう応える。

 仕合の緊張が解けたと同時に、激しい痛みが俺の全身を貫いていた。燃えるような苦痛に、全身から猛烈な脂汗が流れ出している。


『だが、まだアクマヤナギは渡すわけにはゆかぬ』


「なに――?」


『貴様が言い出したことだろう。このジュラギとの勝負を』


「さっき吐いた、闘う意思はないという言葉は、ブラフか」


 そうだとしたら、とんだ間抜けがいたものだ。

 こいつはあのとき、勝負するつもりはないと言った。あれはジュラギが、おのれに不意な距離まで追い込まれるのを避けるため、咄嗟についたブラフだとしたら――これは、引っかかった俺が悪い。ただのとんまだ。

 

『ブラフではない。今はまだ、ないというだけのことだ』


 ジュラギは、自分にひたすら注がれている視線の主に向きなおった。ラーラの感情の読めない緑の瞳が、静かに瞬いている。この漆黒の夜のような黒曜石の間に輝く、唯一の星のように。

 

『この無法者の手当てをしてやれ』


「よろしいのでしょうか」


『かまわぬ。対等の条件でなければ、つまらぬからな』


「了解しました。では、ボガードさん。お立ち下さい」


「なにを言ってやがる。誰が寝てるって――」


 だが、俺は最後まで言葉を言い切ることができなかった。さっきより、目線の位置がだいぶ低い。どうやら俺は、ずるずると腰砕けに位置を下げているらしかった。

 構えをキープすることすら困難になっている。

 どうやら、限界点というやつが来たらしい。

 俺の視界はどんどんと薄霞(うすがす)み、やがて黒曜石よりも暗い闇に囚われた。果たしてこの闇が覚める日がくるのだろうか。俺はそんな不安感を抱きつつ、意識を手放した。

 


・・・・・・・・・・・・



「――また、お前か」


 俺は漆黒の闇の只中にいた。

 漆黒の闇のなかに、眼と鼻と口だけがあって、そいつがニタニタ笑いを浮かべて俺を見ている。いつもの光景だ。俺の夢のなかに出てくる常連――人喰虎ティンバーワットだ。本物のこいつは、こんなチェシャ猫のように笑ったりしないものな。

 と、いうことは、俺は死んだわけではないらしい。

 

『そう、決めつけたもんじゃないよ』


「おや、お前は口が利けたのか」

 

 俺は驚きの声を上げた。

 こいつはただの夢だから、しゃべる怪物だって出てくるだろう。しかし、こいつはたびたび俺の夢に登場してくるが、いつもニタニタと笑って俺を見てるだけで、口を開いたのは今回が初めてなのだ。


『人の言葉をしゃべるなんて造作もないさ』


 ニタニタ笑いを浮かべたまま、人喰虎(ティンバーワット)は応じる。俺にとってこいつは、この異世界における恐怖の代名詞のようなものだ。いきなり俺の目の前で、ひとりの男を頭から踊り食いしたわけだからな。

 その印象が強い割に、俺の夢のなかのこいつはいつも嗤っている。恐怖心を和らげようとする、俺のなかの何らかの心理的要素が働いているのかもしれないな。

 

『下らないことを考えていると、貴重な時間が逃げるよ』


「ほう、お前が俺に、なにか教えてくれるというのか?」


『何を訊きたいのか、よく考えな』


「ふむ、ならば、メルンとラーラだが」


『ふたりが姉妹かどうかなんて、本当に今のあんたが識りたいことかい。だったら、直接本人に尋ねた方がよくないかね』


 それもそうだ。俺は夢のなかでも意識が混濁してるらしい。

 

「ならば問うが、ジュラギのやつはどうして、あんな行動に移ったのだろうか」


『あれなりに、人狼をかばったのだろうさ』


「あいつに、そんな情けがね――」


『あれでも一城のあるじだ。それぐらいの器量は期待してもいいだろうさ』


 人を人とも思わぬような奴だったが、それは表面上のことで、それなりの情けをもっているということか。やれやれ、本当なら愉快なことだ。俺の気付かぬようなことを、夢のなかの人喰虎(ティンバーワット)に教えられるとはな――。


『そんなことより、あんたはこれからが大変さ』


「なにがだ」


『目を覚ましたら、もうひと勝負待っているだろう』


「ああ、そういえばジュラギの野郎から、そんなことを言われたような気がするな。あいつと対決するのか。魔法使いとの勝負は、正直言って初めてだ」


『あんたはちょっと考え違いをしているかもしれない』


「どういうことだ」


『魔法使いだからって、魔法だけで勝負すると思っているのか』


「――――」


『魔法の道具を使ってくるかもしれないし、また得体の知れぬ魔獣をけしかけてくるかもしれない。そう考えたりはしてないのかい』


「正直、意識の埒外だった」


『ここは敵の城だっていうことを忘れないほうがいい。そして、あんたは単なる実験体に過ぎないと考えた方がいいね』


「実験体――なるほどな」


 そう考えたら、確かにしっくりくる。

 そういえばあいつは魔法使いで、武道家でもなんでもない。そんな奴が俺と怪物を仕合わせる。俺はそこに深い意味を見出せなかった。

 ただの悪趣味にすぎないと考えていたのだ。

 だが、そこに意味あると考えたらどうだ。俺の動きを参考に、何か魔法の道具でも開発しようと考えているとしたら――


「いや、こんなことを考えても無駄だな」


 どのみち、俺はやつの掌の上にいるにすぎない。

 俺に拒否権はないし、ただ出てきた相手と闘うだけだ。


『でもないさ。あんたはもっと、愚直に考えていたはずさ』


「そうだ、俺は単に呪文を唱える前の奴の顔に、拳を埋め込みさえすればいいと考えていた。あんたのお陰で心構えができた――」


『礼には及ばないよ。――ただ、あんたはこの世界に落とされて、夢中で生きてきた』


「まあ、そうだ」


『ひたすら愚直に、その日を生き抜いてきた。だけど、ひとつ、疑問に思ったことはないかい?』


「なにをだ?」


『なぜ、自分がカミカクシに遭ったのか、ということさ。人なんて大勢いるだろう。よりによって、なぜ自分が選ばれたのか、考えたことはあるかい?』


「――考えたことはあった。しかし……」


『深い意味はないと思った、と』


「そういうことだ。何か意味があるというのか」


 人喰虎(ティンバーワット)はぷいと顔をそむけた。

 闇が、潮の引くがごとく淡く蒸発し、明度が高まっていく。

 俺の意識が浮上しようとしているのだろうか。

 

『勝負に勝ったあと、大魔法使いとやらに訊いてみな』


 その言葉を最後に、人喰虎(ティンバーワット)の姿は光に呑まれて消えた。瞳を開くと、また闇があった。ただ自然光のせいで、おぼろげながら、ここが黒曜石に囲まれた部屋のなかだということはわかる。


「ボガード、眼が醒めた」


 ぬっと、目の前に顔が生えた。

 ちょっと距離が近いな。

 メルンの奴が今にも泣きださんばかりに、俺の顔を見つめている。どうやらかなり心配をかけてしまったようだ。

 俺はふと、自分の右腕に眼をやった。

 包帯らしき白い布が巻かれているが、真っすぐに繋がっている。多少の痛みを伴うが、指の曲げ伸ばしにも問題がない。大したものだな、魔法というのは。

 

「やあ、気が付かれましたね」


 部屋にはもうひとりの人物がいた。

 初めて見る、痩せぎすの男だ。 

 

「ああ、この姿で会うのは初めてでしたね」


 俺の不審げな顔つきに気付いたのだろう。男は頼まれもせぬのに、みずから自己紹介を始めた。


「私はゾンバイス・バイバー。人間体ではこの姿です」


「なに――。お前がワン公の――?」


「お互い、命があってなによりでした」


 そう言って、痩せた男は笑った。

 

1日早くなりましたが『強さを求めて』その7をお届けします。

次話は金曜日を予定しております。

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