その5
だいぶ遅くなってしまいました。『強さを求めて』その5です。
次話は、金曜日を予定しています。
ハーフソードの構えというのは、主に甲冑戦闘に用いられる構えだ。
右手で剣の柄を握り、左手は剣身の中ほどを握る。
日本刀であれば、左手が斬れてなくなってしまうであろう危険な構えだ。だが、西洋剣というものは日本刀と違い、ブレード部分の面積はそれほど広くない。
接近戦用の構えであり、正直、この闘いには向いていない。
だが俺は、敢えてこの構えを取った。
ゾンバイスの野郎は、俺の意を図りかねただろう。
だが、いつまでも見つめ合っているわけにはいかない。
やつは一呼吸で姿を消した。
――気が付いた時には、俺のすぐ近くへと肉薄している。
俺は、特に変わった動きをしたわけではない。
ただ剣を水平に、そのまま首のあたりまで持ち上げただけだ。
奴はさぞかし面食らっただろう。
なぜなら、奴の目的は俺の頸動脈を切り裂くこと。
あるいは牙で食いちぎることだっただろうからだ。
そこに、置石のように、水平に剣を置いておく。
奴は剣に向かって突進してくる羽目になったわけだ。
硬質の音が黒曜石の間に響きわたった。やつは俺とすれ違うように、背中側の右斜め後方へと着地している。
「なるほどな。――おもじろい」
牙の隙間から、しゅうしゅうと蒸気に似た息を吐きながら、ゾンバイスが振り返った。
「こじゃれた真似を、ずるじゃねえか」
「単細胞の考えることは、丸わかりだからな――」
俺のほうも、悠然と奴に向き直った。
向きを変えて、ふたたび、俺たちは対峙している。
「わがっているだろ。づぎは、もうねえっでごとを」
「さて、どうかな?」
傍から見りゃ、俺たちは、再び最初の睨み合いの状態に戻ったかのようにみえることだろう。だが、実際はそうじゃない。
奴は、俺の限界を把握したつもりでいるだろう。
すでにもう、今と同じ戦術は使えない。
一度見せちまったからだ。ワン公がしゃれた口を叩くのも、自分の絶対的優位を理解しているからだ。
おれが今やった技は、カウンターだ。
それも、技の起こりを視認して行ったカウンターではない。来ると分かっている列車の線路上に、置石をしたに過ぎない。でなければ、俺の衰えた動体視力で、あんな高速の攻撃を防ぐことはできなかっただろう。
ただの、綱渡りだ。
この急ごしらえの策を見て、奴は余裕のセリフを吐いたのだ。
「お前の限界ばは、わがった。ぞんなじゃ、づぎで終わりだ」
「やってみることだな」
「あぐまで、ごうざん、ずる気はねえっでこどだな――?」
「降参? お前の降参なら、聞いてやってもいいぞ」
「ハッダリは、よぜ。ぼがーど。お前はじぬぞ」
「死ぬのはお前だよ。ワン公」
奴は苦い虫を噛み潰したような顔をした。ほとんど狼の面構えのくせに、意外と表情の豊かなやつだ。その豊かな表情が、次には、鋭いものに豹変している。
両眼に刃をまとったかのような、鋭さだった。
奴は俺の言葉で、最後の逡巡を食いちぎったようだった。
「じゃあ、づぎで、じまいだ――」
やつの言葉が終わらぬうちだった。
俺はハーフソードの構えを解き、次の構えと移行している。
やつには、俺の構えは理解できなかっただろう。
俺は剣のなかほどを握っていた左手を離し、剣と盾を、ずいと前に押し出すような構えを取っている。この世界のどこにも存在しない構えだろうと、俺は思う。
こいつは俗にいう、前羽の構えだ。
ただし、両手には剣と盾が握られている。
空手では、絶対防御といわれる構えだが、剣と盾を握っていることにより、その優位性は消失している。この構えの最大の特徴は、両のてのひらを、相手に向けて開いていることだ。
この両手で、あらゆる相手の攻撃を防ぐのが前羽の構えの利点なのだ。
そいつを、俺は自ら剣と盾を握ることにより、かなぐり捨てている。
いってみれば、ただのこけおどしの構えだな。
おれは自虐的に、そう考えている。
だが、それだけではない。
奴が次に突進してきたとき――
そのときが、この勝負の決着が着くときだ。
ゾンバイスは、立ったり四つん這いになったり――かと思えば、右へ、左へと俊敏なサイドステップで身軽に動き回っている。
俺はその動きを、眼で追うことをやめていた。
幻惑的なその動きのすべてを、今の俺が視界に収めることは困難を極めるからだ。
それよりも、意識をやつの次の攻撃に向ける。
俺の意識のすべては、それだけに在った。
奴はまったく、不意に姿を消した。
なんの前触れもなかった。
盛んに行っていた、フェイントをやめたわけではない。幻惑的な左右のサイドステップを繰り返すうち、唐突に、その姿が消えたのだ。
「うぐうっ――!!」
俺の口から、苦痛の吐息が漏れていた。
奴は、食いついていた。
前方に向け、すうっと延ばされた剣。
それを握った俺の右腕を、やつは刃物のようなその牙で喰いついていた。ばっと鮮血が宙を舞い、黒曜石の床をまだら色の朱に染めた。
剣が、派手な音を立てて床に転がった。
俺の手首から肘のあたりまでは、革のガントレットで覆われている。だが、そんなことはこいつの牙には関係がないようだった。その鋭く磨き抜かれたナイフのような牙は、厚手の革装甲を容易く貫通し、俺の肉を灼いている。
俺の意識は、一瞬、飛びかけた。
どこからか、甲高い女性の悲鳴が聞こえた気がした。
――メルンだろうか。
誰だろうが、どうでもいい。
そいつはもう、俺にとってはどうでもよかった。
俺とゾンバイスは、まるで抱き合うような格好で、黒い床にごろりと転がった。
たまたまそうなったわけじゃない。
やつの牙を腕に食い込ませたまま、俺が、両足で奴の後ろ脚を刈るようにして、転倒させたのだ。自然と奴が俺の上になり、俺はやつの下敷きになっている。
だが、この密着した状態は、俺にとって都合がいい。
俺には多少なりと、MMAの技術があるからだ。
ゾンバイスは、俺から身を離すことができない。
俺がやつの胴に、両足を巻き付けているからだ。
ただの膂力や敏捷性という部分なら、俺とこいつの力の差は歴然だ。それこそ、大人と子供ほど離れていただろう。
――力任せに引きちぎれば、簡単だ。
やつがそう考えても無理はない。
だが、技術というやつは、こういう場でこそモノをいう。
やつが俺から身体をもぎはなそうと、意識をわずかに逸らせた瞬間――俺と奴の立場は入れ替わっていた。俺がその瞬間に、スイープしてみせたのだ。
「こんなに簡単に、俺の素人柔術にひっかかってくれたのは、お前ぐらいだよ、ワン公」
俺は苦痛をかみ殺して、そう挑発してやった。
俺がやつの上に乗り、奴は俺に組み伏せられる格好になっている。
完全なマウント・ポジションだった。
ゾンバイスは、この状態から逃れようと、俺の腕から口を離した。だが、そうはさせるか。俺は逆に、喰いつかれていた腕を、奥へ――さらに、やつの口の奥へとねじりこんでやった。
「どうだ、ワン公。うまいか? もっと喰え――」
腕は、変な方向を向いている。
倒れた衝撃で、折れたのだろう。
苦痛で、俺の方が先に失神しそうだった。
だが、この腕の代償は払ってもらおうじゃねえか。
「ぐぎゃあああがあ――ッ」
くぐもった悲鳴が上がった。
むろん、俺の悲鳴じゃない。
ゾンバイスが苦痛のあまり、ふたたび牙を離した。
俺が、残った左手の貫手で、やつの眼球をえぐってやったのだ。目突きは流れることが多い技だが、俺の腕を食わせて固定してやっているのだ。
こうなれば、外す方が難しい。
「どうだ、ワン公、舐めるな、人間を舐めるな――」
俺はさらに、ちぎれかけた腕を、やつの口の中にねじりこむ。血液がさらに床に滴る。俺の貌は、どんな表情を浮かべていただろうか。
何故なら、唯一残ったゾンバイスの片目には、はっきりとした恐怖の色が刻みこまれていたからだ。




