その2
ひたすらバイコーンの背に跨っているだけ、というのは、想像を絶するほどきついことだった。
――休憩を挟みつつ駆けて、およそ3日。
使い慣れない筋肉が痛みだして、さすがに俺が音を上げそうになった当日のことだ。突然この馬もどきは疾走をやめ、速足から常足となり、やがて完全に停止した。
降りろということだろう。
見ると、メルンはとうに馬上の人ではなくなっている。
考えてみると、このバイコーンというやつは、人間ふたりを乗せて夜通し疾走するのだから、とんでもない生物だ。バイコーンはそう見えるだけで、やはり馬ではない。怪物の一種なのだろう。
バイコーンはしばし、その場に静止して俺たちを見つめていたが、少し目を離した隙にいなくなっていた。俺は帰りが不安になったが、メルンいわく「そのうちのっそりと迎えにくるよ」とのことだったので、とりあえず地図に記された位置へ進むことに集中した。
道は複雑に入り組んでおり、地図がなければ、確かに迷いそうな土地だった。
この迷路のような道を造った人間は、確実に人を迷わせようという意図があるように感じられ、気にくわなかった。メルンの魔法がなければ、もっと手間取っていたかもしれない。
そういう意味で、この魔女っ娘は役に立ってくれた。
ただ、いかにも得意げな顔つきでこっちを見てくるので、褒めるのはやめておいた。
「この藪の先を抜けた場所が、ジュラギの居城だよ」
メルンがそう示したのは、俺が四つん這いになってようやく潜れるような、小さなアーチ状をした藪のトンネルだった。魔法使いジュラギか。相当なイジワルだぜ、こいつは。
苦労してその木製のトンネルを抜け、俺たちはようやくジュラギの居城とやらにたどり着いた。俺はあっけにとられ、しばしその光景を見つめていた。
ヴェルダの家は、崖に扉だけという、質素なものだった。
そのインパクトが強かったため、世の魔法使いとは、人目を避け、ひっそりと活きているのだと俺は思いこんでいた。
だが、違ったようだ。
俺の目の前にある居城は、四方を峨峨たる城壁に囲まれた立派なものだった。ただ、城はすべて黒に近い色で塗装されており、悪趣味さが際立っている。
城壁の周囲に穿たれている堀に水はなく、枯れている。
その深い穴の真正面に、城へ通じる一本の橋が架かっているばかりだ。橋はアーチ状の城門に続いていて、他に出入り口などは見当たらない。ここが正門ということになるのだろう。
メルンが先導するかたちで、俺たちはその木製の橋を渡る。
すると、アーチ状の門の手前に、人影が見える。
城主みずからの出迎えということはあるまい。
そう思っていると、人物のシルエットで、女性とわかった。
「この城にお客様がいらっしゃるのは、数年ぶりです。――どちら様でしょうか」
彼女は洗練されたしぐさで頭を下げるや、そう問うてきた。
俺はジュラギが男だと、ヴェルダから説明を受けていた。だから、彼女はこの城の使用人か何かなのだろう。美しい女性だった。髪はメルンと同じ漆黒だが、特徴的なのは、その耳だ。彼女の耳は、猫のそれだった。そいつが角のように、頭の上の方についている。
時折ピクピクと動くところを見ると、どうやら本物らしい。
「――彼女、ラーラ。獣族だよ」
そうメルンが言ってくれたので、俺はそういう種族もあるのだと心のなかで咀嚼した。ラーラは美しい緑の瞳で、夢見るようにこちらを見ている。どこか陶器のように表情に乏しい。
「俺の名はボガド。ヴェルダからの紹介でやってきた」
そう告げると、彼女は軽く目を見開いた。
ようやく生き物らしい反応を示したな。そう思った。
「まあ。おお師匠さまが――」
「おお師匠? まあ、アクマヤナギの粉末をもらって来いという指示を受けてな。魔法使いジュラギに面会に来た」
「おお師匠さまが、なにゆえ今更――」
彼女はそこではたと口を閉じ、もう一度あわてて頭を下げた。
「失礼しました、それではマスターの許へとご案内致します」
そう告げた。
ヴェルダが『おお師匠』さまで、ジュラギが『マスター』か。
メルンの、ラーラを見る目つきが険しい。
どうやらこの2人、俺には窺い知れぬ、複雑な関係にあるようだ。まあ、下手な詮索はやめておこう。そう俺は判断した。俺はただ、アクマヤナギとやらの粉末をもらえればそれでいいのだ。
城内はラーラの案内で、円滑に進むことができた。
まさか、城内まで迷路のように、複雑に入り組んでいるとは思いもよらなかった。ジュラギとやらは、よほど用心深いのか、何らかの精神疾患なのか。いずれにせよ一筋縄ではいかなそうな人物のようだ。
「こちら、謁見の間でございます」
ラーラはこちらへ頭を下げ、黒い両開きの扉をあけはなった。
部屋は、やはり漆黒だった。床も壁も、どうやら黒曜石でつくられているようである。その、だだっ広い黒曜石の間の奥に鎮座している玉座も、また黒曜石だった。
いかにも座り心地の悪そうなその椅子に座る男は、俺の眼にはまだ、青年のように見えた。しかし魔法使いの年齢は、見た目通りではないということは、俺にもわかる。
顔立ちは整っているほうだと思う。
だが、目つきの悪さが気になる。鋭すぎる両眼から放たれる剣呑たる光が、彼から美貌という二文字を消し去っていた。
ラーラは「マスター」ジュラギの椅子へと近寄り、一礼して俺たちの名と、用向きを告げた。
『フン、識っておる。さっき間抜けな格好で藪をくぐっていた2人だろう』
と、ぶっきらぼうに吐き捨てた。
手前が造ったくせに、何を言いやがる。
とは、俺は言わない。そこまで切れやすい性格ではないし、何しろ、こちらはアクマヤナギの粉末とやらを頂かねば帰れないのだ。この青年、機嫌を損ねやすそうな性格のようだし、なるべく口数を減らして応対するべきだろう。
「まあ、そう見えたなら、それでいい。それより――」
『アクマヤナギの粉末をよこせ――だろう? そうがっつくなよ。ボガードとやら』
そういって、ジュラギはにやりと笑った。
あまり、よくない種類の笑みだな。――俺はそう思った。
なにか、腹に一物抱えているやつの笑いだ。
俺がそう考えていると、ジュラギはパチリと指を鳴らし、
『ラーラ、ゾンバイスを呼んで来い――』
と、簡潔に告げた。
ラーラはすぐには反応しなかった。
黙ったまま、じっとマスターを見つめている。
その様子に苛立ったように、ジュラギは黒曜石の床を踏み鳴らした。
『何をぼうっとしておる! さっさとせぬか!』
やはり青年は、短気な性格のようだ。
叱責され、ようようラーラは動き出した。
しかし、その前に、きつい目つきのメルンが立ちふさがる。
「いいの、あなた、それで――?」
「マスターの命令ですから――」
ふたりは無言で見つめあっている。ラーラは相変わらず陶器のように無表情だが、メルンは確実に怒っている。感情表現に乏しいのはメルンも同じだが、一緒にいた時間が長いせいか、俺には彼女の怒りの表情がなんとなくわかるようになってきている。
やがて、ラーラは無言でメルンの脇を抜け、俺たちが入ってきた両開きの扉とは、違う方向の扉へと向かった。そいつは四角く、大きい扉だった。
彼女の華奢な腕で開くのかと、俺は危ぶんだが、心配は無用だった。
驚くほど滑らかに扉は開いた。魔法的な何かを使用したのだろうか。
そして再度、その扉が開いたとき――彼女は独りではなかった。
もうひとりの人物を連れてきていた。
いや、正確には、人物とは言えないだろう。
『アクマヤナギを渡す条件として、君には彼と闘ってもらう』
にやにやとした顔で、ジュラギが告げた。
俺は無言で、そいつを見つめていた。
その貌、その姿――。俺には初めてお目にかかる種族だった。
『人狼のゾンバイス。ここの用心棒だよ』
おれはさぞかし、青ざめた顔をしていたのだろう。
直立した狼のような怪物は、こちらを見つめている。
奴は、こちらを見つめたまま、口から涎を滴らせて、破顔していた――。
第7章『強さを求めて』その2をお届けします。
次話は翌火曜日を予定しております。




