その6
次に俺は武器屋の親父に教えられたとおり、傭兵ギルドへと向かった。
もちろん、この世界の文字は読めやしねえ。
だが、わかりやすいマークが頼りになった。
識字率の低いこの世界では、逆に文字を書いた看板はすくない。
それよりもマーク、つまりわかりやすい記号のようなもので表示されている場合が多い。リンゴのようなマークの店は、果物屋だったし、剣と盾のマークが武器屋だった。
傭兵ギルドのマークは、宝箱だ。
なるほどな。冒険といえば宝箱。安直だが視覚的にわかりやすい。
ギルドの扉を開いた。
とたんにあふれでる、酒と肉料理の臭気が俺の鼻孔をくすぐる。
俺は一瞬、場所を間違えたかと思った。どうみても、ここは酒場だ。
並んだ丸テーブルにはごつい体格の男どもがどっかと腰を降ろし、ジョッキを傾け、肉串をほおばっている。今は夜なのか。俺は一瞬、扉の外を確認にいこうかとおもったくらいだ。
しかし、ここは異世界だ。傭兵稼業の連中には、昼も夜もないのかもしれない。
喧騒に満ちた酒場の奥には、カウンターではなく、きちんとした身なりの女性が並んでいる受付のような場所がある。あそこが窓口なのだろう。
俺は無遠慮な視線を肌で感じながら、テーブルをすりぬけて、奥まった場所にある受付に向かった。そこにいる女性は、美しいが人間ではなさそうだった。明らかに、耳の先端が尖り、長い。
ガキどもが言っていた、亜人というやつなのだろう。
「今日は何の御用でいらっしゃったのでしょうか?」
女性の言葉は理解できたので、俺は「傭兵になりたいのだが」と単刀直入に告げた。
そのとき、受付嬢の長い睫毛の下の瞳が光を放った。
俺はその瞳を見返したが、彼女はすぐに視線を下げ、
「失礼しました。こちらの書類に必要事項を記入していただけますか?」
「すまねえが、俺は字が書けないんだ。代筆を頼めるかな」
「それだと、別途料金がかかりますが……」
しかし、文字の書けない俺には他の手段はない。
俺は泣く泣くそれで頼むと言った。本気でこの世界を行きぬくつもりなら、文字の習得は必須かもしれない。なにせ、この後、しっかりギルドの登録料も取られたのだ。
収入はいまだ無く、出費はかさむ一方だ。
それにまだ、宿の予約もしていない。
カネを稼ぎに来たのに、このままでは仕事前に破産しちまう。
俺は心のなかでミトズンに頭をさげた。あのときぶらりと無一文で出て行っていたら、果たしてどうなっていたか。
ギルドに所属することもできず、宿に泊まる金もなく。
今頃、見知らぬ異世界の町で路頭に迷っていただろう。
合計すると銀貨5枚もかかった。やれやれ、思ったより出費が大きい。
だが、稼げるやつはすぐに元をとりもどせる額だという。その言葉を信じる他はねえ。俺は受付嬢に、仕事はどうやって受けるのか尋ねてみた。
「そちらのほうに、掲示板があります。そこに依頼を張り出してありますが……文字、読めないんでしたよね?」
「うーん、初心者に手頃な依頼ってのはあるかい?」
「それなら下水の掃除、害虫駆除、薬草採取などがお勧めです」
「いかにも何でも屋って感じだな……」
これじゃ元の世界のフリーターとそう変わりゃしねえ。
しかしいきなり冒険に出て、あんな化け物に食い殺されても文句は言えない。俺はこの中でもっとも高い報酬はどれかと尋ねた。すると薬草採取だという。詳しい内容を聞くと、町の外の草むらのなかに生えているムイムイという薬草を採取する依頼らしい。
「しかし、俺はこの眼で見たが、町の外には危険な怪物がウヨウヨしてるだろう。それでも初心者用なのか?」
「大丈夫です。このあたりの危険地域といえば、モルグルの森ぐらいのものです。ええと……」
「――ボガドでいい」
「失礼しました。ボガード様は、おそらくそこに足を踏み入れたのではないかと。他の地域に、それほど危険なモンスターは出現しません。だから薬草採取もそこにだけは入らないようにお願いします」
そういって、彼女はこの町を中心とした地図を取り出すと、親切にもムイムイ草の生えているあたりを教えてくれた。地図には注意書きがある。読めないが、森のあるあたりに記されていることを見ると、ここは危険だと書いているに違いない。
そうだったのか。俺たちは知らないこととはいえ、この辺りで最大の危険地域にノコノコと足を踏み入れたというわけか。
それでひとりお陀仏か。笑えねえ。
何も知らないというのは恐ろしい。
できる限り、この周辺の情報を集めるのが大事だな、と俺は胸に刻んだ。そんな瞬間だった。耳障りな嘲笑が俺の耳朶を打った。
「こんなオッサンが、今から傭兵稼業かよ。笑えねえ」
「オッサンは家に帰って、畑でも耕してな」
ここまであからさまだと、誰に向けて発したものか、阿呆でもわかる。
俺は声がしたほうに眼をやった。
椅子に腰掛けた冒険者ふたりが、悪意ある視線を向けてきている。
かたやスキンヘッドの男と、頬に傷の走った目つきの悪い男だ。
どちらも人相が悪い。冒険者というよりは、まるで山賊の類だ。俺をオッサンと侮蔑しているが、そんなに年齢は変わらないように見えた。
だが、彼らはおそらく長年、この稼業をやって生き残っている連中だ。外界の化け物を相手にして、生き延びてきた連中なのだ。
こんな場所で喧嘩をしてもはじまらねえ。
俺は黙ってその視線を外した。掲示板へ向かい、ムイムイ草のイラストが添えられた紙を見つけ出すと、そいつをちぎって受付嬢へと手渡す。彼女は無言でその紙に俺の名らしきものを記入し、受け付けの奥の壁へと貼り付けた。受注完了というわけだ。
「安全な場所といっても、夜は危険です。早めに戻られることをお勧めします」
「ありがとう、肝に命じるよ」
俺は礼を言って、受付を後にした矢先だった。
ギルドの出口へと向かった俺は派手に転倒し、地に転がった。
――さっきの奴らだ。
迂闊だった。やつら、俺の足を引っ掛けやがったのだ。
「すまねえな、俺の足が長くてよ」
スキンヘッドの男が、悪びれもせずに言った。
「いやいや、間違いは誰にでもあるさ」
俺は立ち上がり、埃を払うと、突き出した男の足を力一杯踏みつけた。
「いでえええ!! てめえ、何しやがる!!」
「間違いは誰にでもあるさ」
俺はもう一度、くりかえした。
ふたりの男はほぼ同時に立ち上がった。瞳のなかに剣呑な光が宿っている。
俺は、下手な行動に出たのかもしれない。
見知らぬ異世界で、戦い慣れた連中と事を構えるなど、馬鹿のやることだ。
無言のまま、通りすぎる手もあった。
だが、それは悪手だと、俺のなかのある部分がささやいていた。
それをすると、俺はここにいる連中全員に、舐められてしまう。
どこの世界でも一緒だ。
舐められたら終り。その瞬間に、カースト制度が完成しちまう。
舐められたら最後、そいつは一生、痩せこけた野良犬のように、人の顔色をうかがい、怯えた眼で生きていかなければならない。それは死んでいるのと変わりはしない。
「俺たちとやろうっていうのか」
「どうやら、死にたいらしいな」
男たちは腰の剣をちらつかせた。竹光ではない。真剣だ。
周囲の連中は止めに入る様子もない。こういうことは日常茶飯事のようだ。なかには動きやすいように、周囲のテーブルや椅子を片付ける奴もいる。
――おいおい、正気か?
俺は無難に薬草を採りにいくだけのつもりだった。
ところがなりゆきとはいえ、冒険のスタート地点で、命のやりとりをしなければならないらしい。
およそ2ヶ月ぶりに続きをお届けします。
次回はもっと頑張ります。