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その7

 俺は地にのたうち、顔をまるで曇天の紫陽花(あじさい)のような色に染めた亜人を、静かに見下ろしていた。構えは解いていない。

 これが演技とは思えないが、その可能性があるうちは、うかつに接近しない。

 俺は問うた。


「続き、やるか――?」


 フォルトワは悔しそうにこちらを睨みつけていたが、やがて、ふるふると力なく首を振った。どうやら立ち上がることができないようだ。

 ぱちぱちと手を拍つ音が流れてきた。俺たちの闘いを、すこし離れた位置で冷ややかに眺めていた蒼月が、ゆっくりと歩み寄ってきた。


「いい勝負でした、これで――」


 そのあと、俺は蒼月が小さく、ささやくようにつぶやいた一言を聞き逃さなかった。


「いま、2人目といったな……?」


「――さて、なんのことでしょう?」


「とぼけても無駄だ。残念だが、俺は耳だけはいいんでね。いま、おまえはささやくように言ったな。『これで2人目ですね』と――」


「ただの独り言です、聞き流してください」


「やはり、お前だったのだな――」


「僕が、なにか――?」


 蒼月は冷たい美貌に笑みを浮かべて、小首をかしげて見せた。

 どうやら、とぼける気らしい。俺はさらに重ねて訊いた。


「とぼけても無駄だ。『流星』の頭目のことだ」


 俺は、傭兵ギルドでの喧嘩を思いだしていた。

 あれは、アコラの町に入ってすぐの出来事だった。あれから随分と歳月が過ぎた気がするが、まだ半年そこらにすぎないのだ。随分と濃い時間を送っているな。俺は。

 あそこで俺がぶちのめした2人は、たしかキケロとズィーガといったか。どちらも『白い狼』の一員だった。

 伝説の傭兵といわれたダラムルスが、腕っこきの連中を集めた傭兵団が『白い狼』だ。当然あのふたりも、それなりの腕ききの傭兵だったというわけだ。

 俺はそいつらをまとめてやっつけた。10年近くの期間、実戦から遠ざかり、鈍りきっていた格闘術で。あのとき俺は、明確な自信を抱いたのだ。

 俺の技は、この異世界で通用するんだと。

――それと同時に、こうも思った。

 この異世界の徒手空拳の技術は、俺たちの世界ほど発展していないと。


 にも関わらず、あの『流星』の頭目は、俺が放った、近代兵器ともいえるロー・キックをカットしやがったのだ。そこで俺はある種の違和感を抱いたのだが――なに、裏を考えれば当然のはなしだ。


『流星』を操っていたのは、ロータス商会だった。

 その黒幕は当然、ゼーヴァ帝国である。フランデルとアナンジティ両国を混乱させるために、帝国が仕組んだ策略のひとつだったのだ。

 その帝国で、将軍様をやっている蒼月が、『流星』に空手を指導していたとしても不思議ではない。むしろ、こいつが登場した時点でそれを察するべきだった。

 だが、それも仕方がないことかもしれない。

 それくらいあの頭目と、蒼月との技術力に差があるのだ。

 

「なにか、おかしなことでも――?」


 蒼月が不思議そうに尋ねてきた。

 俺はふと、頬に微笑を浮かべていたのだ。『流星』の頭目は、かなり身体のでかい奴だった。この天才が指導すれば、それこそとんでもない怪物に育ってもおかしくはない。

 しかし実際に対戦した印象では、苦戦はさせられたが、恵まれた巨体をうまく活かしきれていないように感じられた。あいつが俺と同程度の技術を持っていたならば、まず勝てなかっただろう。


「いやなに、お前にも人並みに欠点があるんだなと思ったのさ」


「僕だって人間ですよ。欠点もあります」


「随分と素直じゃないか」


「その欠点を補うために、あなたが必要だと言っているのです。それにいまの攻防は、なかなか見ごたえがありました。あなたは衰えたにせよ、まだまだ闘える――あなたが徒手空拳の闘いに飢えているのは明白です」


「飢えている、俺が――?」


「フランデル王国は、徒手空拳の戦闘がさかんではない。あなたはここでは、単なる一介の傭兵に留まらざるを得ない」


「――――」


「ですが、ゼーヴァ帝国ならば、あなたの本来の能力が活かせる」


「はっきりと、言い切るじゃないか」


「はい。これは間違いないことです。そこでボガド先輩、もう一度だけ問います。僕と共に、帝国へ行きませんか――?」


 天然のライトに照らされて、蒼月の姿がゆらりと揺らめいている。

 陽光を吸いこんだかのように、この男の眼は澄み切っている。

 だからこそ、おれはためらわずに、その言葉を口にした。


「――残念だが、断る」


 俺の出す結論は、変わらなかった。

 この男の言葉は真摯だ。本当に俺の腕を買っているのだろう。それでも俺にはわかってしまった。俺と蒼月の明確な差を。

 それはこの男の瞳にはっきり映し出されている。蒼月の瞳は一切の邪気を感じさせない。いわば、一度も挫折を噛んでいない男の瞳である。こいつは、すべてが揺るぎない世界の住人なのだ。

 俺とは対極の存在だ。とても、共に歩める男ではない。


「なるほど――これが、そうですか」


「そうですとは?」


「振出しにもどる。あなたがいった言葉ですよ」


「そうだな。結論は変わらなかった。そういうことだ」


「――なら、僕の導き出す結論も同じです」


「どういうことだ」


「結局は、力づくしかないということです」


 ランタンの光が翳ったかのように、世界が色を変えた。俺と蒼月の距離は、ざっと5メートルもない。その空間だけ、ぐっと重力が増したように感じられた。

 息の詰まるような緊張感が、俺とやつの間に漲っている。

 また、俺はこの男にねじ伏せられるのか。俺の頬に緊張の汗が伝った。

 

 その汗が、顎先から伝いおちる寸前だった。

 なんの予兆もなく、唐突に城内が振動した。

 もともと崩壊寸前だった建物はひとたまりもない。亀裂が深まり、細かい瓦礫が頭上から雨のように降ってくる。従者の少年が悲鳴をあげた。


 俺はあわてて、護るように少年の頭部をかばった。

 苦痛からどうにか立ち直ったフォルトワが、蒼月をかばうように傍へ駆け寄っていく。だが蒼月は、顔色一つも変えず、静かにその場にたたずんでいる。

――自分には、自然すら手を出すことはできない。

 そう信じているかのような、圧倒的な泰然自若(たいぜんじじゃく)ぶりだ。

 何が起こったのか。俺が呆然と周囲を見渡していると、どこかから叫び声があがった。


「いまだ、撃て撃て――っ!!」


 その声に続いて、再び振動が広がっていく。

 どうやら俺たちはどこかから砲撃を受けているようだ。


「ふむ、意外ですね。もうフランデルが嗅ぎつけてきましたか」


「将軍さま、ここは危険です、ただちに脱出しましょう」


「――この場は、そうするしかなさそうですね」


「では急いで、こちらへとどうぞ」


 フォルトワは迷いなく、ランタンを片手に奥へと向かう。気配りのきくこの男のことだ、事前に脱出ルートなどを用意していたのだろう。

 蒼月は、ばさりと青いマントを翻した。

 立ち去るときでさえ、優雅さを感じさせる男だ。

 その背が、そのまま闇に飲まれる寸前だった。彼はもう一度こちらへ振り向いた。窮地だというのに、その貌には笑みが張り付いていた。


「ボガド先輩、これだけは忘れない下さい」


「なんだ――?」


「あなたは、近い将来、結局は帝国に来ることとなります」


「――そいつは、預言か?」


「そんな曖昧なものではありません。確信ですよ」


「どういうことだ――」


「あなたは強さを諦めていないなら、道はひとつしかない。そういうことです」


 破片が舞い、騒音に揺れる廃墟の古城で、やつはこの城に遺った最後の貴族のような、気品漂う礼をした。


「では、またいずれ――」


 そしてその姿は、完全に闇に溶けた。

 気配が完全に途絶えると、俺はようやく、ふうっと吐息を漏らした。廃城の振動はつづいている。俺もさっさと、この古城から脱出しなければ危険だ。

 しかし俺は、しばしその場にとどまっていた。

 砲撃よりも、はるかに危険な男が去った安堵感のほうが強かったのだ。


『運命の岐路』その7をお届けします。

次話は今週中にお届けできると思います。

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