その6
俺はあらためて、目の前の亜人を睨み据えた。
フォルトワ。ドワーフ族の商人――いや、傭兵であり、空手家である。
身長が低い。推定だが、おそらくは150センチもないであろう。
大人と子供ぐらいの身長差がある。だが、その肉厚はとんでもない。特に胸板の分厚さはどうだろう。長年、肉体労働に従事してきた俺を、ゆうに超えている。
腕も太い。これほどまで身長差があるというのに、筋肉量は俺を上回っているのである。まるで筋肉の城塞だ。どう攻めるか。俺が思案しているときである。
「――どうしました。ボガードさん」
余裕の笑みを浮かべて、フォルトワは両腕を構えた。
見ると、俺と同じ、アップライトスタイルじゃないか。
舐めてやがるのか――。
おれは一瞬、逆上しそうになった。
待て――と、俺の理性が、脳裏でささやく。わかっているさ。
フォルトワに隙を突かれぬよう、静かに呼吸を整える。
俺は確かに一時期、空手から離れていた。だが、ブランクが長いとはいえ、キャリアだって長いのだ。少なくとも、目の前の亜人よりはな――。こんな見え透いた挑発に引っかかるほど、未熟なファイターじゃない。
それに、相手の身長は俺よりもはるかに低いのだ。
攻撃はほぼ、上段に限定されている。理にかなっていない構えではない。フォルトワの短い脚を蹴ろうとすれば、こちらはかなり無理な姿勢になってしまう。ローはナシだ。
かといって、このまま睨みあいも御免だ。
先手は、俺がとった。
「シッ!!」
俺は最初の一撃に選択したのは、前蹴りだ。
すでにローは見せている。ならば、オーソドックスな前蹴りがいい。なにしろ胴体は樽のように太いのだ。どこを狙っても当たる。
だが、俺が選択したのは、フォルトワの顎先だ。
俺と同じ体格の相手ならば、顎先への前蹴りは、けっこう無理をしなければならない。だが、ドワーフ族相手なら、ちょうどいい位置だ。
フォルトワは、素直に両腕でブロックした。
「――ちっ」
俺は軽く舌打ちして、わずかに後退した。
自慢じゃないが、俺の前蹴りはかなりの威力だ。
これまでかなりの道場生のどてっ腹を貫き、畳に嘔吐させてきたものだ。しかもいまは素足ではない。ブーツをはいていたのだ。
にも拘わらず、後退しちまったのは俺だ。
この男のガードの堅さが、尋常ではない。
間違えて、大岩でも蹴り飛ばしたかと思われるほどの衝撃だった。
「次は、こちらの番ですね」
笑みをさえ湛えて、フォルトワは反撃に転じてきた。
とはいえ、ドワーフの足はそれほど迅速なほうではない。
しかも、蹴りはまずない。拳による打撃――。
警戒すべきは、それぐらいだ。
俺は相手の打撃に、膝を合わせようとした。
しかし、フォルトワの狙いはパンチによる打撃ではなかった。
やつは、俺の膝をあろうことか片腕で受け、もう片腕で残った軸足を払いに来たのだ。おれは我ながら、さぞかし間抜けな驚愕を、顔に貼り付けていただろうぜ。
俺は軸足の外側を、横殴りの腕で叩かれていた。
「むうっ」
強烈な一撃だった。すかさず身を引いて、ダメージを殺したはずだが、それでも俺の脚は一瞬、流されて宙に浮いた。そのまま無様に転倒しなかったのは奇跡だ。
俺がバランスを失った瞬間を、指をくわえて眺めているフォルトワではない。
さらに横殴りの腕による、追い打ちを仕掛けてくる。
空手の技というより、完全にプロレスのラリアットだ。
それを膝で受ける。
ガードごと持っていかれる。体が流れる。
信じられないパワーだった。バットでフルスイングされても、ここまでの衝撃はあるまい。
「驚いたでしょう、ボガド先輩――」
漆黒の室内に、うつろに蒼月の声が響き渡る。
「身体こそ小さいですが、ドワーフ族の膂力はね、人間をはるかに超えているんですよ。ボガド先輩より大きい、鍛え抜かれたプロレスラーよりも、パワーがあると思いますよ」
「そいつは身に染みたよ――」
この相手は確かに異常に頑健だし、力もある。
――ならば、こいつはどうだ。
俺は旋回と同時に、蹴りを相手の顔面に叩き込んでいた。
後ろ回し蹴りだ。
隙は生じるが、遠心力が加わるぶん、破壊力は並の蹴りの数倍だ。
がつんっという硬質の音が、カンテラの灯りのみが支配する、薄暗い部屋にこだました。フォルトワは立っている。そして笑っている。
信じられなかった。この野郎、俺の後ろ回し蹴りを受け止めやがった。
「ボガードさんは足癖が悪い。お仕置きが必要ですね」
ぞくっと背筋に危険なものが疾った。理屈ではない、感覚的なものだ。その瞬間、俺はもう片足を宙へと飛ばしていた。
フォルトワが、受け止めた俺の足首を、ねじりにきたのだ。
俺は逆らわず、その方向へと回転し、やつの頭部へ空中で蹴りを叩き込んだ。
「危ないですねえ」
頭部への一撃は、命中してはいない。
すかさずフォルトワは両手を放し、ブロックしたのだ。
お陰で俺の脚は解放された。しかし――
「どうしました――ボガードさん、そんなに顔をしかめて。ああ、いまので脚を痛めたのですね」
「なに、大したことはない。気持ちのいいストレッチだったぜ」
「ふふふ、まだそんな強がりを叩きますか。ならば、すぐにその痛みから解放してあげますよ――」
フォルトワが突進してきた。勝負を決めに来たのだ。
さっきので、俺の機動力は殺されている。先手を取るのは不可能だ。
やつの攻撃を待って、カウンターしかない。
だが、硬い奴の身体を貫けるカウンターなど、あるのか――?
なくとも、やるしかない。
もはや思案している場合ではなかった。
やつは、身を思い切り屈めたと思いきや、跳んだ。
「しゃああーーーっ」
すごい跳躍だった。まるでバッタだ。
身長が低いドワーフ族が、これほどまでに跳べるものかと、俺は驚いていた。やつの秘策は、跳躍してのアッパーカットだった。
これを予測できる人間はいないだろう。
だが、俺は瞬時に反応していた。予測したわけではない。これまで道場で行ってきた、数限りない組手の経験が生きたのだ。身体のほうが自然と反応していた。
空手を離れている間も、俺のなかで、空手は離れていなかったのだ。
だが、フォルトワの顔にはまだ、余裕がある。
アッパーの腕の裏側から、にょきっともう片腕が延びてきていた。
するどい三本の指が、俺の鼻筋目掛けて疾っている。
眼突きだ。こいつが真の狙いだったようだ。
スウェーバックでかわした俺の態勢は、崩れている。逃げようがない。
確実に、あたる。そう思ったのだろう。
やつの顔に、勝利の笑みが張り付いている。
その笑みが、苦悶のそれに上書きされたのは、すぐその後だった。
「ぐううおおおおおおおあおおっっ!!!」
すさまじいうめき声を漏らして、フォルトワは地を這った。全身が小刻みに痙攣し、脂汗がしたたり落ちる。顔色はひどいもんだ。青紫色に変化している。
全身が鋼鉄で覆われたかのような肉体だったが、さすがにここまでは鋼鉄じゃなかったようだ。
「ぐううううううっ! き、貴様――金的を――っ」
そう、俺はスウェーバックと同時に、後方へと倒れこみ、そのままサッカーボールを蹴るように、全体重を乗せて奴の睾丸を蹴りあげたのだ。
きたねえオーバーヘッドキックみたいなものさ。
「ぐうううう! し、商人の私が、裏をかかれるなどと……」
「馬鹿だなあ、フォルトワ」
俺は心の底から、同情をこめて、こういってやった。
「――騙しあいで、空手家に勝とうなんてな」
遅くなりましたが、どうにか今週に間に合いました。
次話は火曜か水曜になる予定です。




