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笑顔の裏で

 穏やかな日和だった。風はなく、緑の海は凪いでいる。

 その、緑の草地のど真ん中に、それなりの大きさの村がある。

 人はこの場所をドーラ村と呼ぶ。

 村の門は開け放たれ、笑顔で村民たちが往来している。

 時折、荷を満載した荷馬車も通過する。もはや、誰の顔にも憂いはない。

――それも無理からぬことだろう。

 この村に陰を落としていた、怪物の脅威は去ったのだから。


 その平和の戻った村の大通りを、ふたりの男が歩いている。

 みな、そのふたりが通るすぎる際に、笑顔で会釈をしていく。なかには感謝の意を告げるものもいる。彼らは、この村を救った英雄なのだ。

 そのふたりがまっすぐに目指している建物がある。

 素朴な村の中央にあって、石造りの堅牢な、もっとも目を惹く建造物だ。このドーラ村と、近隣の領地を統べる、ガルシャハ男爵の館である。

 ふたりが門番の騎士に挨拶をすると、彼らですら村民と同じ反応をした。騎士は特に何も問わず、ただ頭を垂れて扉をあけ放ったのだ。

 

 手を振り、堂々と、ふたりの人物は闊歩していく。

 やがて彼らはこの館の最も大きな広間に出た。そこで待っていたのは、領主代理であるフローラ・ガルシャハ嬢である。だが、この日の格好は、いつもと違っていた。

 姿はいつもの白を基調としたドレスである。しかし、常はなんの飾りもない、質素そのもののドレスだったのだが、今回はカフスと、スカートにたっぷりとしたブリーツが入っている。

 そしてなによりも目立つのは、マチネのネックレスである。豊かな胸のやや上に、深海の青さを湛えた宝石が、凛と輝いている。

 

「おお、その宝石は――」


「とすると、これは祝福の言葉を述べねばならぬようですな」


「――そうね。来月、吉日を選んで、父から男爵位を譲りうけることとなっています。でも――」


「でも?」


「これ以上の話は、ここではできないわ。書斎へいらっしゃいな」


「しかし、あそこは父上のお部屋では――?」


「もう、私の部屋よ」


 フローラの瞳が、不敵にきらめいた。

 ふたりの男は、ただちに仰せにしたがった。彼女の先導で、書斎まで移動したのだ。ホールの片隅に控えていた侍女があわてて案内しようとしたのだが、彼女は断固として拒絶した。

 そう、これより先の会話に、余人は必要ないのだ。

 書斎の内部は、まるで威圧するかのように壁の四方を本棚が占拠している。棚のいずれの段にも、ぎゅうぎゅうに書類が詰まっている。

 部屋の中央にだけ、わずかに人間のためのスペースがある。

 父、ジョンの為人(ひととなり)が透けて見えるようであった。

 そのわずかなスペースに置かれた机の上にも、書類がところせましと積みあげられている。フローラはその机の椅子に優雅に腰を降ろし、ふたりの男は立ったままだ。


「さて、予定通り、私は爵位を継ぐことができたけど、そちらはどうなの?」


「どうなのとは――?」


「私はつまらない腹の探り合いはするつもりはないの。例の漆黒狼(ムアサドー)のことよ。あれは、あなたたちが用意したものでしょう? それをああもあっさりと片付けられて、帝国のお偉方から叱られたりはしないの?」


「確かに。普通の漆黒狼(ムアサドー)ならばともかく。巨大漆黒狼(レア・ムアサドー)まであっさり斃されるとは想定外でしたな」


「まあ、逆に、彼に死なれても困る。――私もできる限りの協力をした」


「まったく、決定打となったのは、あなたの『黎明の突風(アグリ・ロー)』でしたからな」


 その言葉を発した亜人をじろりとにらみ、不機嫌そうに長い耳を揺らしたのは、もうひとりの亜人――エルフ族の傭兵、アシュターであった。


「使わずに済ませたかったが、そうもいかなかった」


「そうですな。しかも、あなたの大嫌いなダークエルフとまで手を結ぶ羽目となって。あなたとしては踏んだり蹴ったりの依頼だったかもしれませんね」


「そうだ。妹にも、要らぬ借りをつくった――」


「妹さんは、アコラの町の傭兵ギルドにお勤めだそうですね」


 アシュター・アルファラオンは、鼻を鳴らして無言だった。

 この場合の沈黙は、肯定のようなものであろう。 


「そこまで不機嫌になることもありますまい。その、妹さんの働きで、あの男はここへ来ることになったのですから――」


「よく、舌のまわるドワーフだ」


「――なにしろ、元商人ですからな」


 そういって、ドワーフ――フォルトワは、深い髭の下で笑みを浮かべた。


「それにしても、最初にこの計画を打ち明けられたときは、本当に肝を冷やしたわ。巨大漆黒狼(レア・ムアサドー)などという規格外の化物を、我が領土に放つなどと――」


「ははは。しかし、これは大手柄ですよ。巨大漆黒狼(レア・ムアサドー)は、フランデル王国では本件で、初めて確認された変種ですからな。それを代理のあなたが即断即決、腕利きの傭兵を雇って退治してしまった。この大功により、女性の身で爵位を継ぐあなたに、とやかくいう者などおりますまい」


「――お父様ったら、私をセイケルスの貧乏貴族の三男とくっつけようとしていたんですからね。まったく、そうでなければ、こんな危ない橋は渡らなかったわ」


「ルチアーナ家でしたっけ。かなり落ち目の貴族ですな。まあ、御父上もあなたの真の才覚を知らないのですから、仕方のない采配だったのかもしれませぬなあ」


「お陰で、私のほうはうまくいった。それでも、かなりぎりぎりの選択だったわね。――最悪の場合、多くの領民が傷つくこととなったでしょうし」


「こちらも、彼がその気にならなければ、すべてが水泡に帰すところですからね。万事がめでたし、というところでしょうな」


「そういえば、先ほどの問いには、まだ答えてもらってないわね」


「さて、先ほどとは、いつのことでしょう?」


「とぼけないで。帝国には、今回の件はどんな利があったの?」 


「まず、巨大漆黒狼(レア・ムアサドー)が、いかに戦力になるかという実験ですな。6人の傭兵で退治されたのですから、実戦に投入するには、まだまだ研究が必要だという結論に達するでしょう」


「それと、もうひとつ、疑問があるわ」


「欲張りな男爵さまですな」


「帝国にとって、あのカミカクシは、どのような価値があるの?」


「その質問の答えは、私にとっても大変難しいものですな」


「トップシークレットってわけ?」


「いいえ。では、こうお答えしましょうか。あれは、帝国にとってみれば、大した価値はありません。ですが、私の雇い主は、そうお考えになっていないようなのです――」


「あなたの雇い主って、例の――?」


「そう。帝国の、『氷の将軍』――」


 フォルトワは、畏敬の念をこめて、その名をつぶやいた。

 それだけで、すうっと室内の温度が下がったように感じられた。

 

「帝国が背後にいる限り、我がエルフ族は協力しなければならん」


 アシュターは、苦々しい顔でつぶやいた。


「帝国の脅威は、そこまでなの?」


「やれやれ、新男爵様は暢気なことだ。このフランデル王国と、アナンジティ王国が平和を保っていられるのは、鉄の同盟のせいではない。ただ、帝国が本腰を入れていないだけなのだ」


「――――」


「帝国が本気になれば、誰ひとり無事ではいられん。エルフ族も、ドワーフ族もな。だから我らは、従順に帝国の指示に従うのだ」


「そうです。すべてはゼーヴァ帝国の手のひらの上――」


 愉快そうに、フォルトワは嗤った。

 

「お前は愉しそうだな。フォルトワ――いや、その名は真の名ではないのだったな」


「どういうことかしら。真の名――?」


 未来の男爵は、瞳をきらきらさせて尋ねた。どう見ても興味津々だ。

 アシュターは首を振って、それを諫めようとした。


「大丈夫ですよ、私の正体に興味があるのですか?」


 フォルトワは、いつも以上に、にこやかに応じた。

 この状況を面白がっているのは明白だった。


「それでは、ひとつヒントを差し上げます――」


「やけに、もったいぶるわね」


「フローラ様は、ロータスという商会をご存じですか?」


「馬鹿にしないで。もちろん知っているわ。彼らは帝国の手先になって、『流星』という野盗どもに武器を与えていた――」


 話しているうちに、みるみるフローラの顔色が蒼白に変わった。


「ま、まさか、あなたは――?」


「ははは。いまやロータス商会の者は、フランデル、アナンジティ両国ではお尋ね者です。そんな人間が、堂々と傭兵など、できるわけがないではないですか――」


 フォルトワと名乗った目の前のドワーフは、相変わらずの笑顔だ。

 そう、一点の曇りもない――笑顔。

 フローラも、アシュターも、思い知らざるを得ない。

 笑顔も使い方ひとつで、凶器になりうるということを。

 

幕間劇をお届けします。

ボガード目線で書ききれない話を載せました。

次話は来週の月曜を予定しております。

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