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その9

「お前が、負けたのか――?」


 俺は、素直に思ったことを訊いた。


「いや、勝負すら行われなかった」


「――というと?」


「俺は翌日の決闘に備え、早めに床に就いた。当然のことだが、最高のコンディションで仕合を行いたかったからだ。――そして事件は、深夜に起こった」


「事件とは――?」


「なに、大したことじゃない。俺の師匠が、寝ている俺を刺し殺そうとしたのさ」


 ただごとではない話だ。反射的に、俺はやつの顔を凝視した。だが、ラルガイツの表情は小動ぎもしない。声の抑揚も、まるで変わらなかった。冗談ではなく、本当の話なのだろう。


「師匠は目は本気だった。俺を本気で殺す気だった」


「――なぜ、師匠はお前を殺そうとしたんだ?」


 俺は腑に落ちなかった。もしラルガイツが勝利すれば、それはすなわち、分派である彼の流派が、本家を上回ったということになる。ラルガイツの師匠にとっても、かつて兄弟子に敗北した屈辱を晴らす、またとない機会のはずだ。

 それを闇討ちするという。

 なんの得にもならないではないか。


「まあ、簡単なことだ。師は、俺の才能に嫉妬したのさ」

 

 ラルガイツの口調は軽い。一瞬、冗談なのかとさえ思った。

 

「ボガードよ。男が一生を懸けて、なにかひとつのことに情熱を注ぐということは、いいことのように思えるかもしれねえ。だがな。いいことばかりじゃない、ということさ」


「どういうことだ?」


「執着心もいきすぎれば、妄執となる。師匠は完全に我を失っていた。俺が本家に勝てば、うちの流派には良いことづくめだと、俺は思っていた。だが、そうではない人物がひとりいた。それが我が師匠だったのさ――。死んでくれと、やつは言ったよ」


「それは、師がそう言ったのか?」


「ああ、言ったよ。はっきりとそう言った――」


 ラルガイツは、就寝する前に、あらかじめ対策を立てていた。

 もっとも、それは師匠に対するものではなかった。相手方の本家が、夜討ちをかけてくるかもしれないと警戒していたのだ。

 ラルガイツが死ねば、本家は、決闘という危ない橋を渡る必要がない。

 闘わずして勝利を手にすることができるのだ。


 だから、彼は大岩を背に、座り込むようにして眠った。

 いつでも闘えるよう、槍はすぐ傍らに刺している。

 そうしたラルガイツの用心が、役に立ったというわけだ。

 しかし、襲ってくる相手こそ違ったのだが。


「師は、涙を流していたよ……」


「泣いていたのか」


「ああ、泣きながら、俺を殺そうとしていた」


 死んでくれと、師匠はさけんだという。

 涙を流し、白髪を闇に乱しながら。

 だが、どだい無理な話だった。もはやラルガイツの腕は、師匠を凌駕していたのだ。師も、それを自覚していたからこそ、夜中に襲うという手段を採ったのだろう。


「馬鹿なことをするなと、俺は言ったよ。無意味だし、俺に勝てるわけがない。それに俺を殺して、得るものなどなにもないではないか、そうも言ってやった。だがもはや、理屈じゃないんだな」


「――――」


「お前ごときに何がわかると、やつは言ったよ。お前ごとき才能にあふれた若造に、何がわかるんだと。『槍こそが我が人生』と、槍に生涯のすべてを捧げてきた男の気持ちが、お前にわかるのかと」


「むう……」


「その、すべてを捧げたものに愛されない者の気持ちが、お前にわかるかと。槍にすべてを捧げたのに、自分よりはるかに槍の才能に恵まれた男に叩きのめされ、地面を舐めた男の気持ちがわかるかと――やつは言ったよ」


 俺は知らずのうちに、革鎧の上から、自分の胸を撫でていた。

 ずきりと、胸の深い部分が痛んだのだ。

 

「気の毒な男だったよ――俺の師匠はね。槍を誰よりも愛したが、槍に愛されなかった。その深すぎる情で、俺を殺ろうとしたのさ」


「――で、お前は返り討ちにした」


「そういうことだ」


「それで本家との決闘は――?」


「なかったことになった。分派そのものが消滅しては、闘う意味などないということさ」


「師匠を斃したのだ。お前が分派を背負ってもよかったんじゃないか?」


「嫌だよ、冗談じゃねえ。俺はただ、降りかかってきた火の粉を払っただけだ。それに師匠を殺して、すべてを奪い取るなんざ、俺の流儀じゃないさ」


「それで、そのあとは、どうしたんだ?」


「分派の連中は散り散りになり、あるいは本家に鞍替えしていった。俺も誘われたが、もうその気はなかった。それにもう、奴らから学ぶこともなかったしな。さっさと傭兵になったよ」


 それからのラルガイツは、一匹狼の傭兵として、名を馳せた。

 重装甲に身を包み、誰よりも闘いの最前線に立ち、勇猛果敢に槍を繰り出すその雄姿。『命知らずのラルガイツ』という異名をとったほどだという。

 俺は思い出す。忘れもしない、この酒場で。

 メルンがすべて片付けてくれるだろうと言ったときの、彼の表情を。

 

『俺たちはただ、命の危険なくゼニを貰えるんだと、割り切ったほうがいい』


 そういって笑った、やつの表情――

 どこか無念そうに見えたし、自分に言い聞かせている風にも見えた。

 いまになって、ようやくわかる。

 あいつは、死に場所を求めていたのだと。


 仕方のないこととはいえ、自らの手で、師匠を殺めてしまった。

 その哀しみが、やつ自身を死地へと追いやっていたのだろう。

 

「誰も彼も、逃れられぬものを背負ってやがる……」


 小さな声で、俺はつぶやいた。

 むろん、俺もそのひとりだ。

 深い慙愧の念にかられていたとはいえ、才能にあふれたラルガイツには、襲撃を仕掛けてきた師匠の気持ちは、とうてい理解できなかっただろう。


 だが俺には、それがわかる。

 圧倒的な才能を前に、叩きのめされた男の気持ちが――。

 その呪縛から逃れるのは、並大抵のことではない。

 ラルガイツの師匠は、槍の呪縛から逃れることはできなかった。

 俺のほうは、どうだ。

 空手から距離を置いて、長距離トラックの運転手になった。

 第一線で戦うには、不向きな商売だ。

 これで、あのときの呪縛から逃れられたといえるだろうか。


「違うな……」


 わかっている。逃れたというわけではない。

 何故なら、いまですらあの時の敗北の傷が、暗く、心の奥底で燻っているじゃないか。逃れえたというわけじゃない。ただ、忘れようとしただけなのだ。


「お待たせしました――」


 酒場の親父が、頼んでいたエール酒を運んできた。

 俺の前へ運んできたので、俺は首を振って隣の席を指さした。


「――わるいが、隣の席に置いてくれないか」


 一瞬、きょとんとした顔をした親父だったが、やがて、俺の意図を把握してくれたらしい。表情を消してうなづき、隣の席に酒杯を置いた。

 なにしろ、3日通えば、常連のように扱ってくれる店なのだ。

 昨日まで、俺の隣に座っていた男のことを、忘れているわけがない。

 それに、俺はやつの槍を、隣の席の背後の壁に立てかけている。

 去り際に、ラルガイツが俺にくれたのだ。


「俺は槍を使わない」と、一度は断ったのだが、要らないなら武器屋にでも叩き売ってくれと言ってきた。あまりにも、重い槍だった。

 やつの人生の大部分が、この槍に詰まっているのだろう。

 俺は酒杯を、隣の杯にかるく合わせた。


「今日は、おれのおごりだ――」


 俺は槍をかつぎ、ふたり分の酒代を置いて、席を立った。

 漆黒の天空には、宝石のような星がまたたいている。

 その灯りを道しるべにして、俺は宿へと帰った。


「ありがとうございました――」


 そんな声が、背後から聞こえてきた気がする。

 だが、俺はもう、振り返りはしなかった。



『怪物との死闘』その9をお届けします。

次回の更新は木曜を予定しています。

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