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その8

 俺は重い足取りで、ゆっくりと巨大漆黒狼(レア・ムアサドー)の屍に近寄った。

 いや、正確には、そうじゃない。

 屍のすぐ傍らに横たわる男の許へだ。

 その男の上半身は、どす黒い怪物の血に汚れて、ひどいもんだった。

 だがその汚れの只中にあって、ラルガイツの両眼は、はっきりと見開かれていた。

 視線は当然のように、青空に固定されている。

 俺はやつの傍らの下生えに、静かに腰を下ろした。

 ラルガイツは無反応だったので、俺のほうから口を開いた。


「なぜ、あんな真似をした――?」


 しばしの沈黙のあと、やがて、応えがあった。


「――誰かがやらなきゃならなかったことだ」


「お前がやる必要はなかったはずだ」


 そうだ。俺がやることだってできたはずだ。

 だが、俺はそれをしなかった。むしろ、そういう発想はなかったといってもいい。そんなことをしたら、怪物が死んだあとどうなるか、予想がつかないわけがない。

 だから、ラルガイツの自己犠牲精神が、俺には理解できなかった。

 

「あの怪物を仕留めなければ、どの道全滅だ。違うか?」


「……そうだな」


 そういう結末もあったかもしれない。

 だが、巨大漆黒狼(レア・ムアサドー)は弱っていた。決定打こそなかったものの、確実にやつの生命力は損なわれていっていたのだ。

 斃れるのは時間の問題だった、という見方もできる。

 この男が命を張る理由にはならない。


「ラルガイツ。実をいうと、俺は傭兵になって日が浅い」


「そうだろうな。そんな気はしていたよ」


「だから、わからない。お前がとった行動こそ、真の傭兵がとるべき行動なのか。味方のために自らの犠牲も厭わない。それが傭兵なのか――?」


「めずらしく、ながいセリフをしゃべったじゃねえか」


「茶化すな、こんなときに」


「そうだな。ボガード、お前には師匠がいるか?」


「なに――?」


 唐突な話題の転換に、俺はたじろいだ。

 だが、やつの瞳には、一点の曇りもない。空の色がそのまま瞳に張り付いたかのように清明だった。俺はなにか意味があることなのだと察し、真剣に答えることにした。


「――いたよ、1人。空手の師だが」


「いい師匠だったか?」


「……のらりくらりとした、とらえどころのない男だったな」


 そのくせ、どこか人を焚きつけるのが上手い男でもあった。

 

『お前には世界(てっぺん)を獲る才能があるよ――』


 途方もない言葉だ。夢があるといえば聞こえはいいが、根拠のない無責任な言葉のようにも聞こえた。しかし、肝心なのはそのあとのことだ。転機があった。

 その師匠が、前年度の世界大会2位の実力者、高梨昇を連れてきたのだ。

 俺は言われるがまま、その男と闘う羽目になった。

 勝負になるはずがない。

 道場生の、誰もがそう思っていた。

 闘っている俺ですら、自信はなかった。

 だが、試合が終わってみれば、驚くべき結果だった。

 

 俺が、勝ってしまったのだ。


 俺の右ハイが、高梨の霞を射抜いたのだ。

 練習でも、そう容易く決まる技ではない。

 師匠の面をみると、あの男は、だから云ったろうといいたげな顔をしていた。

 高梨を練習試合で倒したことにより、俺は一躍、注目を浴びることとなった。

 

 思えば、あの男の言葉で、俺はカラテ世界大会優勝を真剣に志すようになったといってもいい。しかしそれからほどなくのことだ。俺はひょろりとした高校生の若造に、徹底的に叩きのめされ、幾度も道場の畳を這わされた。

 おかげで俺は、空手に見切りをつけた。

 いや、自分自身に見切りをつけたのだ。

 

「俺にも、師匠はいた――」


 ラルガイツがまた語りはじめ、俺は現実に引き戻された。


「例の、ゴルゾー流槍術の師匠か」


「そうだ。俺に徹底的にゴルゾー流を叩き込んだ師だ」


「その師が、どうかしたか」


「おれは、その師匠を、殺したのさ――」



・・・・・・・・・・・・・・・・・



 洞窟の内部に灯をともしたように、ほの暗い店だった。

 いつもの、名も知れぬ村の酒場だ。

 いつもの、カウンター席の隅に、俺は腰を下ろしていた。

 3日続けて通えば、俺も常連の仲間入りなのだろう。

 何も言わないうちに、エールが目の前に置かれていた。

 店の親父の気遣いに、俺は微笑し、エール酒をもう一杯注文した。


 依頼は無事に――とはいいがたいが、完了した。

 領主代理であるフローラに、戦いの顛末を報告し、ドーラ村の脅威が去ったことを告げた。これでお役御免だ。俺たちは明日の馬車で、この村を発つ予定だ。

 これ以上、この村にいても得るものはない。

 一刻も早く、アコラの町へ帰りたかった。この酒場の料理も、まんざら捨てたものではないが、俺の舌はメイの料理で肥えているのだ。あの味がなつかしい。

 

 それにしても。酒は便利ではあるが、万能ではない。

 やつの言葉が、いまだに俺の脳内でこだましていた。

 

「――俺は、自分の師を、ころしたのだ」


 エール酒をいくら喉に流し込んでも、あいつの言葉は消えない。

 やつは饒舌に語ってくれた。過去の話を。

 時折、会話の途中でラルガイツは絶句することがあった。その理由はすぐにわかった。それは束の間、意識を失っているからだ。そうしたとぎれとぎれの会話をつなぎ合わせると、こんな感じだった。

 

「――俺の師匠はな、そりゃもうろくでなしだったさ。気まぐれに弟子をぶつ。それも指導法とかいうお偉いもんでもねえ。単にムカついたから殴るのさ」


「その師はなぜ、そんな真似をするんだ?」


 その場の感情に任せて、弟子を殴るなんざ、愚の骨頂だと俺は考えている。嫌気がさした弟子が辞めて出ていくだけだ。何一つ得るものなどない。


「そのへんが我がゴルゾー流の複雑なところでな。このゴルゾー流は、俺の師が創始者じゃないんだ。その上にもうひとり師匠がいる。そのゴルゾー老師が長年の経験をもとに編纂したのがゴルゾー流だ」


「なるほど」


「そのゴルゾー老師が年齢(トシ)年齢(トシ)だし、そろそろ隠居して後継者を決めようってときだ。そこでチトもめたのさ。老師には2人の弟子がいて、そのうちの弟分が俺の師匠。もうひとり、兄貴分がいたのさ。そして、才能は明らかに兄貴分のほうが恵まれていた。そうなると当然、後継ぎは兄弟子に決まったようなものだ。

だが、それに猛然と食って掛かったのが俺の師匠でな」


「どうなったんだ?」


「後継者は、ゴルゾー老師の前で闘って決めることになった。まあ結果は語るまでもないことだが、うちの師匠はコテンパンにやられてな。再戦などとはとても言いだせないほどの、無残な敗北だったそうだぜ。当然、ゴルゾー流はその兄弟子が継ぐことになり、俺の師は結果を恥じて、深夜のうちに逐電した」


 それからが傑作さと、やつは乾いた笑い声を立てた。

 逐電した彼の師はその後、分派を立てた。

 それ自体は、空手界でもよくあることだ。

 だが、やり方がまずかった。

 彼の師は旗揚げにあたり、我こそが『元祖』ゴルゾー流だと名乗り、兄弟子が継承したゴルゾー流はニセモノだと喧伝したのだ。遺恨を残すだけの、よくない手法だ。


「――つまり、そいつが俺の習ったゴルゾー流ってわけだ」


「ふむ、お前の師は、真の後継者ではなかった、ということか」


「そういうことになるな。まあ俺としちゃ、技を覚えるのにはどっちでもよかったんだが、そのまんまで済まないのが大人の事情でな。あっちの本家は、負けておきながら元祖を名乗ってるうちが目障りで仕方がない。つーわけで修行もかねて、うちに本家からの道場破りが訪れるようになった――」


 旗揚げの経緯が経緯だ。ラルガイツの師は、この挑戦を逃れることはできない。

 だが、兄弟子はおろか、その弟子にまで負けては、流派は立ち行かぬ。

 彼の師匠は、弟子にその挑戦を受けさせた。いってみれば、どっちの弟子の育成が上か、という勝負となったといっていい。

 

「だがな。やはり本家の弟子のほうが技がよく練られていた。うちの流派のなかで、まともに太刀打ちできる奴はひとりもいなかった――」

 

 刹那、ラルガイツの口元が、わずかにゆるんだ気がした。


「――この俺をのぞいてな」


 聞けば、弟子のなかでラルガイツのみが連戦連勝。

 本家から訪れる刺客も、誰一人この男には勝てなかったそうだ。


「そこで、黙っておけなくなった本家は、ついに最強の刺客を送り込むことにした。ゴルゾー流、真の後継者にして、ゴルゾー流最強の男――。つまり、俺の師匠の、かつての兄貴分だった男だ。決闘の日も決まり、俺はひとり奮い立った。なにせ、これに勝てば、俺がゴルゾー流最強の男だからな」


「それで、どちらが勝ったのだ――?」


 やつは不意に苦い口ぶりになり、こういった。


「俺だ――といいたいところだが、そうはならなかった……」


大変長らくお待たせいたしました。

正月から体調を崩したり、心を病んだりと色々ありました。

ですが、ようやく執筆再開です。

今年もよろしくお願いします。

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