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その7

 大気が乾いていた。

 蒼い空を、気ままに雲が泳いでいる。

 陽光を受けた(くさむら)の緑が、眼に痛いほど鮮やかだ。

 その中にあって、その男の存在は明らかに異質だった。

 男が立っている位置だけ、夜の暗闇が染み出したかのように黒い。

 黒装束に黒い肌、そして瞳だけが不気味に紅く輝いている。

 

 俺は、やつの姿を凝視していた。

 この男がどんな業を用いるのか、立ち姿で想像しているのだ。

 もし、この男の専門分野が寝技であれば、組み付きやすいように、身体の重心は低く、両の手は開き気味になっているはずである。逆に、俺のような立ち技主体の場合、打撃を放ちやすいように拳を前に突き出すはずだし、頭の位置はガードしやすいよう、やや後方に構えるはずだ。

 だが、このダークエルフの男の姿勢からは、一切の読みができない。俺の識っている、どの格闘技の構えとも似ていないのだ。


 ただ、木偶(でく)のように突っ立っているだけである。

 両手はだらりと力なく、垂直に揺れている。

 微風に揺られる小枝のようだった。

 このまま対峙していても、埒があかない。

 とりあえず、俺から仕掛けることにした。 


 俺が初対面の相手に仕掛けるときは、基本的にローキックだ。

 空手の試合のときも、そのパターンが多い。もちろん、読まれていると感じた場合はパンチに切り替えるが、それだけ自信を持っている技でもある。

 こいつをどう凌ぐかで、その男の技量がわかる。

 受けるか、かわすか、それとも組みつきにくるか――

 

 このダークエルフは、ふらっと前に踏み出した。

 カウンターのタックルかと、俺が警戒した瞬間だった。

 ぐんと両手が延びてきた。俺の顔面目がけて。

 拳ではない。掌をそのまま無造作に突き出したような格好だった。

 

「ちいっ――!!」


 咄嗟の判断で、かわした。

 いつもなら、ガードして、カウンターを狙うところだ。

 だが、俺は直感的に、こいつを受けてはならないという気がしたのだ。ダークエルフは、すこし驚いたように眼を見開いたが、それもつかの間のことだった。

 すかさず連撃に転じてきた。

 次々とこちら目がけて、両の掌をぶつけようとしてくる。

 格闘技の心得があるようには見えない。まるで駄々っ子が感情にまかせて、両手を振り回しているかのような攻撃だった。

 俺はためらっていた。相手の意図をつかめないまま、ひたすら逃げ回るのも馬鹿げている。思い切って、反撃に転じるのも手ではないか。


 そう考えた矢先だ――


「その攻撃、受けちゃだめ」


 緊張感のないメルンの声が、俺の背に届いた。


「ダークエルフの一部には、爪に毒を仕込んでる種族もいる」


『余計な入れ知恵を――』


 ダークエルフは、じろりとメルンを睨んだ。

 この様子だと、どうやら図星のようだ。

――毒手か。噂には聞いていたが、実際に相手をするのは初めてだ。なるほど、この男が妙に自信ありげな態度を見せていた理由がわかった。

 まだ、奥の手を隠し持っていたというわけだ。


『まあいい、タネがばれたところで、お前の不利は変わらぬ』


 男は余裕綽々で、ふたたび両手をだらりと垂れた。

 鋭く長い爪が、ぬめりと妖しく光っている。

 最初に見せたポーズと、寸分違わぬ姿勢だ。これから再び、同じ攻撃を仕掛けると宣言しているようなものだ。どうやら、俺が反撃に転じないことで、すっかり調子に乗っているらしい。


『貴様――。なにがおかしいッ!!』


 ダークエルフは、突如として激昂した。

 うん? 俺は思わず、自分の顔を撫でた。

 いつのまにか、俺は笑っていたようだ。


「いや、気に障ったなら謝るさ――」


 あきらかに格闘技の心得がないにも関わらず、この男の俊敏さは異常だ。おそらくだが、これは修練によるものではない。ダークエルフという種族に備わった、固有の能力なのだろう。

 爪に毒を仕込んでいるのも、確かに脅威ではある。

 だが、速いからといって、見切れないわけじゃない。


『調子に乗るな、人間ふぜいが――』


 ダークエルフは、また無造作に跳びかかってきた。

 残念だが、こちとら、とっくに眼が慣れている。

 身長はほぼ変わらないが、リーチは相手の方が、やや上回っているということはわかった。さらに爪の長さも加味して考えなければならない。

 それでもなお、俺にはやつより勝っているものがある。

 それは踏んできた場数の差であり、積んできた修練の差でもある。

 

 俺はやつの突進に合わせて、草を滑った。

 狙いは、やつの膝の皿だ。

 野球のスライディングのように、相手の足許を払う蹴り。

 骨法でいうところの、摺り蹴りだ。

 おそらくこのダークエルフは、防御というものを考えたことがないのだろう。この毒の爪と、生まれつきの敏捷性があれば、それで充分だったのかもしれない。

 

 しかし、俺には毎日のように、道場で汗を流した経験がある。

 道場には、色んなやつがいた。

 独特の構えをしてくるやつもいたし、見たこともないようなモーションの突き、蹴りを放ってくるやつもいた。

 長いブランクがあるとはいえ、実戦形式で練習してきた積み重ねが、俺のなかで生きている。もちろん、路上での喧嘩もな――。

 

 防御を考えないやつの突進と、俺の膝への摺り蹴りがぶつかりあった結果――やつは派手に、スーパーマンのような格好で宙を跳んだ。

 仰向けになった俺の真上を、奴の身体が飛んでいく格好になる。

――毒の爪で、攻撃を仕掛けてくるか?

 いや、奴は素人だ。まずは身の安全を確保するだろう。

 その読みどおり、奴は下生えに両腕をついて、顔から倒れこむことを回避した。一瞬、やつはきょとんとした顔で周囲を見渡した。なにが起こったのか理解できなかったのだろう。

 

 状況を理解し、ダークエルフが立ち上がったとき――

 俺はもう、とっくの昔に立ち上がり、奴の背後に立っている。

 

『――っ?』


「遅えんだよ――」


 やつが蒼白な顔で、俺のほうへ向きなおったとき――。

 すでに勝敗は決していた。

 俺の右ハイキックが、奴の頭部を打ちぬいた。

 いい感触だ。

 意識を刈り取ったという、確かな感覚があった。


 つかのま、奴は口を半開きにして突っ立っていた。

 その両眼はうつろで、意思の光が消えている。

 やがてダークエルフは、糸の切れたマリオネットのように、ぐにゃりとその場に崩れ落ちた。俺は無意識に取った残心の姿勢のまま、こうつぶやいていた。


「どうだ、人間ごときの蹴りは――?」


 むろん、返事のあろうはずもなかった。

 

『怪物との死闘』その7をお届けします。

もう今年も終わりですね。来年もよろしくお願いします。

年始はすこしお休みする予定です。


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