その5
昨日までの戦いで、わかったことがある。
俺たち前衛が、一斉に斬りかかったところで、剣に無駄なダメージを負うだけだということだ。
それを理解したうえで、俺たちは作戦を立てた。
――とはいえ、それほど練りこまれたものではない。少ない手持ちの武器で何ができるか、ひたすら検討を重ねただけだ。
ラルガイツの槍は無銘の業物で、かなり耐久度が高い。
むろん、俺のもそうだ。誰が打ったものか、違う世界からやってきた俺には知る由もないが、かなり腕のある職人の手によるものだというのは間違いなさそうだ。
決まった作戦は、ごくシンプルなものだった。
かなり硬い得物をもつ、俺たちふたりが敵を引きつけ、アリウスとフォルトワが巨大漆黒狼の急所を狙う、という作戦だ。
しかし作戦は、のっけからつまづいた。
俺が、しょっぱなからぶっ飛ばされてしまったからだ。
迂闊といえばその通りだ。俺は見切りをあやまった。昨日で巨大漆黒狼の動きをほぼ把握したと思いこんでいた、俺のミスだ。
昨日見た『短進』がショートタックルならば、今回俺が食らったの『長進』は、言ってみれば長距離タックルというべきか。
やつが頭を左右へ振ったので、どちらへ回避すべきか、判断が遅れた。挙句がこのザマだ。
かろうじて受身をとった。草の上なので、衝撃はあまりない。
怪物は俺を踏み潰そうという魂胆か、速度をゆるめようともしない。まずいな。重装甲のラルガイツならともかく、俺の革鎧では圧死まちがいなしだろう。
立ち上がる猶予もない。俺は右横へ転がった。
敵はそれを見て、余裕で旋回してこちらへ迫る。
俺の背に、地面の揺れる振動が伝わってくる。
舌打ちしたいぐらい、ブザマな状況だった。俺には、俺なりの矜持がある。素手で闘えば、それなりに闘えるという矜持が。
――しかし、今の俺ときたら、どうだ。
怪物の蹂躙を恐れ、ひたすら逃げ回るしかできないとは。
そんな俺の無様な状況を救ったのは、1本の矢だった。
巨大漆黒狼は、不意に足を止めた。
やつの鼻先に、矢羽が見える。それまで涼しげに流していた雨の中に、石球が混じっていたことを、痛覚をもって理解したのだ。
アシュターの放ったこいつは、エルフ族だけが使うことができる特殊矢のひとつだ。名を『黎明の突風』といい、その威力は見てのとおりすさまじい。薄い鉄板ぐらいなら、貫通することができるという。
先程行ったミーティングでの会話が、俺の脳裏に浮かんだ。
会議の舞台となったのは、前回と同じ、宿屋の向かいの食堂だ。
「――特殊矢の残りはあと2本だ。それっきりだ」
低く静かな声で、アシュターはいったものだ。
「すると、全部で4本しか持ってきてなかったわけか」
不満げに、ラルガイツがつぶやくと、
「製作が大変でな。これでも奮発したほうだ」
と返してきた。嘘をつく理由もないし、そのとおりなのだろう。
これを単純に2連射してもらうのは、あまりに芸がない。
「それなら、その特殊矢は、普通の矢に混ぜて放ってくれないか?」
と、俺は頼んだ。
そうすれば敵は、どちらの矢が放たれるのか、判断がつかないだろう。
肝心のときに逃げられる、という事態は避けられるはずだ。
「そのタイミングは、おまえが指示を出すのか?」
刺すような眼で、やつは俺を睨んだ。俺はかぶりを振った。
「いや、それは弓手のあんたに一任する」
そういうしかない。おれは弓のことには詳しくないし、他のやつも同様だろう。餅は餅屋、弓は射手に任せるのがいい。
アシュターは無言で頷いた。とりあえずはこれでいい。
「それで、足を止めたあとはどうする――?」
めずらしく、アリウスのやつが俺に訊いてきた。
いつもはこいつがチームの主導権を握りたがるのだが、今回は不思議と聞き役に回っている。自慢の剣が折れかけていることも一因としてあるのだろうか。
「決まっている。敵の弱点を衝く――」
どの格闘技でもいえることだが、どんな難敵にも弱点というものはある。闘っていくうち、相手の攻撃パターンや、苦手な技などがわかってくる。そこを発見し、徹底的に突いていくのが近代格闘技というものだ。
完璧な存在など、この世にはないと思っている。
こいつの場合、幸いなことに、その急所が明確に存在している。
すなわち、脾腹だ。
敵が苦痛で足を止めた瞬間――それぞれ巨大漆黒狼の側面に回ったアリウスとフォルトワが、ほぼ同時に武器を振るった。
下から、弱点の腹部目がけて切り上げる。
――確実に、攻撃は通ったように見えた。
そうはならなかった。
アリウスの剣はまっぷたつに折れ、フォルトワの斧刃は砕け散った。
巨大漆黒狼は、鬱陶しいといわんばかりに身を震わせ、左右に立ったふたりを弾き飛ばした。
ここからでも、アリウスの顔に刻まれた驚愕が克明に見える。
俺は、この隙を利用して立ち上がった。
その隙を埋めるように、ラルガイツが正面から突貫していく。
この動きは作戦ではない。俺の失態をカバーするための攻撃だろう。
ラルガイツは槍を構え、すり足で相手との距離を詰める。
ある一定の間合いに入るやいな、やつはすぐに奥義を放った。
穂先が流星雨のごとく、巨大漆黒狼の顔面を埋めていく。
「突風飛翔衝――!!」
ラルガイツ最大の奥義であり、最終手段ともいえる技だ。
こいつを放った後は、やつは完全にガス欠になり、ものの役に立たなくなる。
生死を賭けた博打といってもいい。
これまで、この技を放って負けたことはない、とやつはうそぶく。
だが、やつの勝利の女神は、今回に限っては彼の味方ではなかった。
永遠とも思える槍の連続攻撃を、巨大漆黒狼はその巨体で受け止めた。その身体からは、血の一滴も流れてはいない。
「馬鹿な……俺の……奥義が……」
ラルガイツの動きが止まった。肉体の限界が来たのだ。
ぜいぜいと荒い呼吸をして、かろうじて、槍にすがるように立っている。
『どうした、運動は終わりか?』
無情に巨大漆黒狼が尋ねる。
だが、ラルガイツはもう返答する余裕もない。
『することがないなら、もう死ね――』
「いまだ、メルン――っ!!」
俺は右手をあげた。合図だ。
この一連の動きで、敵は彼女の存在を忘れていただろう。
そのお陰で、すでにメルンの詠唱は完成していた。
彼女はうつろな表情を一転させ、がばっと瞳を見開くと、蒼空目がけて杖を突きあげた。
『正体看破――!!』
その呪文が完成したとほぼ同時だった。巨大漆黒狼の上にまたがった、ひとりの男が姿を現したのは――。
『――ちっ、くそっ、やられたか』
今まで、この男が巨大漆黒狼を操っていたのだ。
昨日の晩、メルンが俺の部屋で教えてくれたのが、この事実だ。
巨大漆黒狼は、実際に言葉を発していない。
やつの声は、俺たちの脳内に、直接伝わって聞こえていた。それは『意思伝達』という中級魔法であり、呪文を詠唱することができない種族には、決して唱えられない魔法だということだった。
つまり、この呪文を唱えた人間型の生物がいるということだ。
それもすぐ近くに。
しかしこの地は見渡す限りの平原であり、敵が姿を隠す場所もない。
ならば、おのずと位置は特定される。
俺たちは巨大漆黒狼の上に、黒幕が乗っていると考えた。
たった1発しか残っていないメルンの呪文を使うのは、ある意味賭けだった。
だが、かなり勝つ確率の高い賭けだ。
だったら、乗るしかないだろう。
男は、人間ではないようだった。
耳輪は鋭く尖っており、一見してエルフのようにも見える。
だが皮膚は浅黒く、身にまとっている装束も黒で統一されている。
「汚らわしい。ダークエルフめ――」
吐き棄てるように、アシュターが告げた。
『ふん――人間ごときに、私の正体が割れるとはな』
やつは傲然と俺を見下ろしたまま、不敵に嗤った。
『怪物との死闘』その5をお届けします。
次話は金曜日を予定しています。




