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その3

 疾風のごとくこちらへ迫ってくるメルンには、いかなる声も、耳に届いていないようだった。彼女の眼は正気を失っているように見えた。

 怪物の大口を見ても、速度を緩める気配すらない。

 いつも無口で、ぼんやりと部屋の隅を見つめたりして、何を考えているのか分からないような彼女とは別人のようだ。


 危機的状況になると、何かのスイッチが入ってしまうのか。

 いや、ちがう。俺は前回の戦闘のことを思い出した。

 あのときもそうだった。メルンはうつろな表情で呪文を詠唱していたかと思うと、急に生き生きとした顔つきになり、呪文を放ったのだ。

 つまり、彼女は――


 メルンは杖の先端を、巨大漆黒狼(レア・ムアサドー)の口中に突っこんだ。

 怪物が彼女の腕を噛み千切ろうと、口を閉じるよりも一瞬速く、


怒りの火球(ファイヤ・ボール)!!』


 呪文が炸裂した。怪物の口腔のなかで。

 それも一撃ではない。連続で放たれた。

 これは効いたようだ。いや、それどころの騒ぎではない。巨大漆黒狼(レア・ムアサドー)は口から煙と悲鳴を発し、弾かれるように後方へと跳び退った。

 鼻孔を貫くような異臭が辺りに立ちこめていた。巨大漆黒狼(レア・ムアサドー)の口周りは火球の直撃を受けて焼けただれ、見るも無残だった。


「――いまだ!!」


 アリウスが叫んだ。言われるまでもない。

 俺とフォルトワは、それぞれ仰向けで倒れているラルガイツの片腕をひっかけ、村の方向へと走った。とんでもなく重い。この場合、かれの重装備が災いしているのだ。

  

『貴様ら、よくも、よくも――っ!』


 背後から怪物の絶叫が響くが、ふりかえるゆとりはない。

 ラルガイツは青ざめた表情で、されるがまま、ぐったりしている。彼を引きずる俺たちの背後を護るように、アリウスが回りこんでいる。

 それも何の慰めにもならない。もしやつが怒りにまかせ、突進してきたらどうしようもない。4人まとめてぶっとばされるのがオチだ。


 しかし怪物は、その選択をしなかったようだ。

 数度、まるで地軸が揺れるような振動があった。やつが近距離で火球を喰らった苦痛のあまり、地団太を踏んでいるのだろうか。 


『――くそ、今日のところは引き揚げだ』


 どうやら怪物は追撃を諦めてくれたようだ。

 棄て台詞とともに、振動が小さくなっていくのが分かる。

 俺は汗まみれの顔のまま、背後をふりかえった。ブラフかもしれないという慎重さは、どこかに消えうせていた。

 どうやら、そいつは杞憂だったようだ。

 やつの巨体は草原の向こうへ吸い込まれるように、みるみる小さくなっていく。


「助かった、のか――?」


「……どうやら、そのようだ」


 安堵のあまり俺たちは、その場にへたりこんでしまった。村の門扉まではあとすこしだったが、全身を襲う疲労感のほうが勝った。

 おずおずといった感じで、門扉が開いた。緊張した表情の村人たちが、こちらへと駆け寄ってくるのが見える。どうやらこれ以上、この重たい奴を運ぶ必要はなさそうだ。


「もうちょっとダイエットしやがれ、この野郎――」


 もう意識がないだろうが、俺はせめてもの悪態をついた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 あたりはすでに闇に包まれていた。

 ドーラ村の夜は、アコラの町と比較すると炭のように暗い。このような田舎では、蝋燭のような照明は貴重品であり、なかなか入手できない。灯りといえば月と星明りが頼りなのだ。

 ささやかな光が、ゆるやかに酒場を満たしていた。

 さすがに漆黒では、客商売はできない。酒場の内部には、ちゃんと照明がぶらさがっている。客が来た時だけ灯すようになっているようだ。

 

 俺は、ひとりで酒杯をかたむけている。

 胃に流しこんでいるのは、あんまり美味しくはないエール酒だ。肴は前回とは違う。肉の薄切りと、皿に盛られた茸炒めだ。色とりどりの茸は見た目が美しく、味もまずまずだ。

 俺が座っているのは、前に入ったことのある、小さな酒場のカウンター席だ。前回と同じ、隅の席が空いていたので、そこに腰を降ろしている。

 

――まったく、とんでもない一日だった。

 村の脅威の対象であった10匹の漆黒狼(ムアサドー)は狩った。

 だがこれで終りではなかった。さらなる大物が登場するとは、夢にも思っていなかった。人語を解する、巨大漆黒狼(レア・ムアサドー)

 あんなものを、どうやって斃せばいいというのか。

 酒をいくら呑んだところで、答えが出るはずもない。

 

 俺たちはあの後、疲労の残る足をひきずって領主の館に出向き、求められるまま、事のあらましを詳細に報告した。

 領主代理(フローラ)は、アリウスが語り終えるまで、一言も発しなかった。

 瞳を閉じたまま、静かに耳を傾けていた彼女は、おもむろに俺たちを見つめると、


「――どうか、その巨大生物を退治してはいただけませんか」


 と言ってきた。


「じょ、冗談じゃない。あんたは俺の話を聞いていたのか?」


「聞いておりました。――その上で、お願いしております。そんな化け物がこの付近を徘徊していては、領民の安全が確保できません。あなた方におすがりするしか方法はないのです」


「しかし、無理なものは無理だ、おい、お前らからも何か言ってくれ」


 急にアリウスのやつが、こっちへ振ってきた。

 フォルトワも、アシュターも、メルンの奴も、何故か無言だ。

 仕方ない。俺は頭をかきながら、こう応えてやった。


「――こいつは、受けるしかないんじゃないのか?」


「なんだと、ボガード、何を言っている?」


 アリウスは、正気か、というような眼で俺を見た。

 実のことを言えば、俺は内心、こうなるだろうと思っていた。アリウスのやつがまるで納得していない様子だったので、俺は言葉を付け足すことにした。


「お前はアコラのギルドでどんな説明を受けた?」


「なに――?」


「俺たちは『漆黒狼(ムアサドー)を狩ってほしい』とは一言も告げられてはいない。そうじゃないか?」


 アリウスは、はたと考え込むそぶりをみせた。

 いくら考えたところで、答えはひとつしかない。

 傭兵ギルドの受付嬢、ソーニャの言葉が鮮明に脳裏に蘇る。


『――この依頼は、村の近隣に出没して、村民に危害を加えている怪物を駆除する仕事です。募集人数は6人。脅威を排除するまで、村に泊りこみになります――』


 アリウスの表情に苦いものが走ったのを、俺は見逃さなかった。


「思い出したようだな、正確な依頼内容を――?」


「……確かにな、間違っていたのは、俺のほうというわけか」


「では、引き受けていただけるのですね? よかった――」

 

 フローラの顔が紅潮した。これでもう、問題は解決したと思っているのかもしれない。実際にあの化け物を目の当たりにしてない彼女には、自身がどれだけ無茶なことを言っているのかわからないのだろう。

 冷水をぶっかけるように、アリウスは彼女に言い放った。


「よかった? いいえ、領主代理、何一つよいことなどありませんよ」


 彼は指折り数えるように、問題点を指摘する。


「ひとつ。うちの頼みの綱である、魔法使いがマナ切れだ。彼女はとっておきの魔法を使い切ってしまった。ふたつ、ラルガイツのやつはかなりの深手を負った。とても明日は戦力になるとは思えない。そして最後にもうひとつ、俺の剣は消耗が激しい。あと数合で折れてしまうだろう」


「要するに、なにをおっしゃりたいのです?」


「――つまり、俺たちに残された戦力はない、ということです」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 苦い酒だと俺は思った。呑んでも、酔えるものではない。

 俺たちには、打つ手が無い。そのとおりだ。

 いっそのこと、何もかも捨てて、とんずらしようかとすら思う。

 しかしそいつは、何の解決にもなっていない。

 信用を失った傭兵など、何の価値もない。生き延びたとしても未来はないのだ。

 ぎしっと椅子のきしむ音がした。俺の隣に、男が腰を降ろしたのだ。


「――相変わらず、しけた面して呑んでやがるな」


「なんだ、またお前か」


 俺は苦い顔でそいつの顔を見つめた。

 座っていたのはもちろん、ラルガイツのやつだった。

 

「――もう、身体はいいのか?」


「まあ大丈夫だ。ときおり意識が遠くなるが――まあ大丈夫だ」


「おいおい、全然大丈夫じゃないじゃねえか」


 この男の頼んだエール酒の杯が、赤く濁っている。口の中が切れているのだ。それでも平気な顔をして呑んでいる。俺は、どこまでもタフな男だと感心した。


「どうやら、貸しをつくっちまったようだな」


「俺は何もしていない。礼なら、メルンのやつに言ってくれ」


「わかった、明日にでも礼を言っておくさ――」


「ふん。なにか他に、言いたいことがありそうだな」


 俺が水を向けると、ラルガイツはようやく話しはじめた。


「ああ、ちょっとした相談があるんだがな――」


『怪物との死闘』その3をお届けします。

次話は金曜日を予定しています。

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