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その1

 剣の表面にこびりついた泥濘のような血を、横たわる怪物の毛皮でぬぐい取ると、俺はふたたび戦列に復帰した。1戦終えた後の倦怠感はあったが、5体のうちの1体を始末しただけで、戦いはまだつづいている。

 アリウスと対峙している1体は、かなり動作を緩慢なものにしている。攻撃を盾で受け、隙を見て剣で斬りつける。そのアリウスの愚直なまでの地道な攻撃パターンが、遅効性の毒のように漆黒狼(ムアサドー)むしばんでいるのだ。

 派手さはないが、堅実な戦法といえる。

 時間こそかかるものの、怪物を仕留めるのも時間の問題だろう。

 

 フォルトワも大丈夫そうだ。八の字の奇妙な旋回運動からの斧攻撃は、漆黒狼(ムアサドー)にダメージを与えつづけている。

 問題は、ラルガイツのやつだ。

 いつの間にか、この男は2体の漆黒狼(ムアサドー)を相手に回して戦っている。しかも、初期の位置よりかなり前方へ突出している。幸いなことに、漆黒狼(ムアサドー)はそれほど知能が発達していないのか、挟撃という概念がないようだ。

 もし1匹がラルガイツの背中側にまわっていたら、とっくにお陀仏だ。


 援護する必要があるとしたら、ここだ。

 俺はラルガイツの側に駆け寄った。


「――なにしに来た?」


「むろん、援護に来た。2体は手に余るだろう」


「余計なお世話だ。俺には、とっておきの必殺の奥義がある」


 不敵な発言だった。それは虚勢なのか、それとも本当に奥の手を隠しているのか、俺にはよくわからなかった。

 

「さあ、邪魔にならぬよう、下がってな――」


 邪魔とまで言われては、加勢のしようがない。俺はせめて怪物がこの男の背後に回らぬよう、見張っておくことにした。

 ラルガイツの手に持った槍が、いよいよ勢いを増す。

 2体を向こうに回し、幻惑的ともいっていい足さばきで距離を詰めさせない。もし一瞬でも漆黒狼(ムアサドー)に隙をつくれば、やつはたちまちのうちに跳躍し、上に覆いかぶさってくる。

 だが、その跳躍するわずかな隙さえ与えず、ひたすら攻めまくれば、敵は何もできない。理論上ではそうなのだが、実行するとなると簡単ではない。

 

 槍の穂先が、まるで調教師の鞭のように、たくみに2匹の怪物を制御している。俺は惚れ惚れとする思いで、その鮮やかな手並みを見つめている。

 だが、このままというわけにはいかないだろう。

 この調子で、2匹を同時に仕留めることなどできるのか。

 俺はいつでも救援に駆け寄れるよう、気を張りつつ、動向を眺めている。

 

「いくぞ、突風飛翔衝(ヴィントシュトース)ッ――!!」


 ラルガイツの口から、必殺の呼気が放たれた。

 呼気とともに、槍が見る間に収斂し、それが一気に膨張するかのように、漆黒狼(ムアサドー)へ向けて疾駆した。穂先が消えたかとすら見えた。

 眼にも留まらぬ連続突きである。

 5連続か、6連続か。ことによるともっと多い。

漆黒狼(ムアサドー)2体は、五月雨(さみだれ)のごとき連続突きを受け、黒い獣毛のいたるところから血をしぶかせている。思わず顔を覆いたくなるような臭気が、(くさむら)から漂ってきていた。

 ラルガイツは止まらない。まるで怪物を殺戮するために生まれたかのように、その動きは怒涛だった。よく体力が続くものだと、俺が感嘆の吐息を漏らしたときである。

 永久に繰り出されるかと思った槍の雨は、唐突に終わりを告げた。

 

 ぶはっと荒い息を吐いて、ラルガイツが止まった。

 そのまま、その場に腰を降ろした。

 俺が慌てて傍らに駆け寄ると、やつは疲労困憊して立てないようだった。額から、とめどなく汗が流れている。誰がどう見ても、精魂尽き果てたという態だ。 

 俺はやつと漆黒狼(ムアサドー)の間に立った。

 いざというときは、俺がこいつらを引き受けるつもりだった。


「大丈夫だ、ボガード。もう終ってる」


 奴は宣言するように、荒い息とともにそう言った。

 本当にその通りだった。

 2体の黒い怪物からは、もはや生の鼓動は感じられなかった。うずくまったまま微動だにしない。単なる肉と、血の塊となって、そこに転がっていた。


「すごいな、あれがお前の奥義か――?」


「まあ、そうだ。出せば終わりの究極奥義よ」


「あれで仕留められなかったら、どうするつもりだったんだ?」


「仕留められるから必殺技だ。仕留められなかったら、俺が仕留められる。――それだけさ」


 まだ荒い呼吸のまま、ラルガイツは顔を緩めた。

 確かに奥義の名にふさわしい技だった。俺はこの男に、尊敬の念すら抱いたほどだ。

 すごい技だったが、使いどころが難しい技だとも思った。放った後、このようにガス欠で動けなくなるなら、この技をしのがれたら最後――確実に負けるということだ。

 だが、この男はこれで腹をくくっているのだろう。

 自分の最大の奥義で勝てなければ、死んでも構わない。

 そう決めているから、この技を放つことができる。

――俺には、できないことかもしれない。

 そこまで腹を決めて放てる技が、俺にあるのか。

 そう自問自答しているときだった。背後から、潮のようにとどろく歓声が、俺の思考を中断させた。


「なんだ――?」


 ラルガイツも腰を降ろした状態のまま、怪訝な顔つきで背後を見やった。いつのまにか、ドーラ村と外界を隔てている、木製の大門が開いている。

 歓声をあげていたのは、ドーラ村の自警団だろうか。

 それにしては数が多い。

 彼らがいつでも援護に駆けつけられるよう、俺たちの様子を観察していたのはわかる。だが、歓喜の声をあげているのは、一般の村人もかなり含まれているようだ。

 

「傭兵たちが、やってくれたぞ――!!」


 歓喜のざわめきが、さらに大きくなった。

 俺はその声で、周囲を見渡すゆとりができた。

 もはや、動いている漆黒狼(ムアサドー)は1匹もいなかった。アリウスは堅実な剣さばきで、長期戦を制していた。一方、フォルトワの前の漆黒狼(ムアサドー)は、口を大きく開いた不自然な状態で横たわっている。

 よく見ると、その理由がわかった。

 漆黒狼(ムアサドー)の口腔に、幾本もの矢が突き立っていた。どうやら巧みにアシュターが援護射撃を加えたようだ。


「――ご苦労様でありましたな。あっぱれ、見事な戦いっぷりでござった」


 ねぎらいの言葉ともに近寄ってきた男には、見覚えがあった。

 昨日、危機一髪のところをメルンの魔法によって救われた、あの老騎士だ。


「爺さん、この連中は、あんたが――?」


「うむ、自警団の連中が怯えて、相談してきたのでな。いざというときは村を護るように言いつかっていたが、自分たちの力では不安だというので、村民のなかで戦力になりそうなものにも集まってもらっていた」


「それでこの人数か。それにしても、明らかに武器も持ったことのなさそうな女性の姿もちらほら見えるのはどういうことだ?」


「いやまあ。我が村には、若者がそれだけ不足しているということでな」


「まあ、いいじゃねえか、ボガード。堅苦しいことはいいっこなしだ。俺たちは勝ったんだぜ。喝采は大きければ大きいほどいい――だろ?」


「――そうかもしれないな」


 俺は皆の顔に浮かんだ、輝かんばかりの笑顔を眺めて、つぶやいた。

 そよ風が俺たちの労をねぎらうように、やさしく頬を撫でていく。

 採点すれば、俺はかなり見苦しい闘いをしたように思う。

 その点では不満が残る。

 だが、そいつもちっぽけな問題のように感じられた。――なにしろ俺たちは、魔法の力に頼ることなく、5匹の漆黒狼(ムアサドー)を全滅させたのだから。

 そのときだった。


「――喜ぶのは、まだ後回しにしたほうがよさそうですよ!」


 弛緩した空気を切り裂くような、フォルトワの声がひびいた。

 俺たちは、彼がまだ、戦闘態勢を解いていないことに気付いた。

 緑の野に、ぽつりと黒い塊が浮いている。

 そいつが、こちらへ向けて接近してくる。まだ戦いは終わってなかったのだ。

 

「――おいおい、また漆黒狼(ムアサドー)かよ」


 座ったままで、ラルガイツがぼやいた。どこかしら呑気な調子が含まれているのは、もう漆黒狼(ムアサドー)の戦力を見切ったと考えているからだろう。ラルガイツ自身はスタミナ切れだが、アリウスも、フォルトワも、俺も漆黒狼(ムアサドー)を倒している。

 たかだか1体増えたところで、簡単に始末できる。

 そう考えるのは当然だった。だが――。


「なんだ、こりゃ――?」


 座り込んでいたラルガイツが、反射的に立ち上がった。

 その顔は、いつしか緊張のために青ざめている。

 接近してくるそいつは、漆黒狼(ムアサドー)のようで、そうでなかった。接近してくるにつれ、その大きさが鮮明になってくる。

 一瞬、こちらの距離感が狂ったのかと思ったほど、でかい。漆黒狼(ムアサドー)はおおよそ子牛ぐらいの大きさだったが、こいつは違う。

 見上げるように巨きい、その体躯――。

 象のように大きな、漆黒狼(ムアサドー)だった。


『てめえら――』


 声が、小山のような黒い塊から生じていた。

 一同は驚愕に撃たれて、巨大漆黒狼(レア・ムアサドー)を見やった。


『てめえら、よくもやってくれたな――』

 

遅くなりました。『怪物との死闘』その1をお届けします。

次話は金曜を予定しています。

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