その10
もう、漆黒狼の群れは、目前に迫っている。
俺たちはすでに散開し、迎撃態勢を整えていた。
以前と陣形は違う。前衛をラルガイツ、アリウス、フォルトワが担い、俺は後衛のメルンとアシュターをフォローすべく、3人のやや後方に陣取っている。
位置としては、パーティーのほぼ中央である。メルンの余計な発言のお陰で、前衛から入れ替えれられたというわけだ。
まず前回同様、アシュターが矢を放って戦闘は始まった。
矢は、先頭を疾っていた漆黒狼の皮膚に突き立った――かのように見えた。だが実際は、矢は肉をえぐることなく、獣毛のなかで止まっているようだ。
「面倒だな――」
アシュターが舌打ちとともにつぶやく。
「やはり毛皮は矢を通さない。前回のように、口腔を狙わないと無理か」
その漆黒狼は、勢いを減ずることなく前衛と接触した。先陣を切ったのは、やはりラルガイツだ。ゴルゾー流槍術皆伝の腕をご覧じろとばかり、巧みなすり足で接近し、穂先を漆黒狼へと突きたてた。
漆黒狼は、その巨大な口腔を開いて、鋭い牙で応戦する。
人と怪物の決闘がはじまった。ラルガイツは熟練ともいえる手腕で、槍で怪物の攻撃をいなし、攻撃を加えていく。
他のふたりの前衛も、怪物と対峙している。
アリウスはラウンド・シールドで牙の攻撃をしのぎ、剣でダメージを与える戦法を取っている。地味だが、堅実なやり方だ。
一方、フォルトワの戦法は異質だった。
戦斧を両手に持ち、絶えずくるくると動かしている。斧の軌道は、八の字を横に描くかのようだ。相手が突進する構えを見せた瞬間、構えを転じ、その位置から斧をくりだす。
その斧の一撃の重さは、剣の比ではない。
ドワーフという種族特有の怪力というものもあるのだろう。彼の攻撃は、明らかに漆黒狼にダメージを与えている。堅い毛皮で覆われた怪物の防御も、彼には通用しないようだ。
俺は息を呑んで、その攻防を見つめていた。
怪物相手の本格的な白兵戦は、実質上はじめてといえる。
後衛に配置されてよかったのかもしれないと、俺は思った。怪物との戦いのノウハウも識らない俺が馬鹿正直につっこんでいったところで、地に屍をさらすだけだっただろう。
こうして特等席で、敵のデータが取れるのは幸いといえた。
だが、事態は楽観視できない状況になりつつあった。
3対3でうまく成立していた戦いだったが、相手は5匹なのだ。他の2匹も、黙ってみているわけではない。漆黒狼の一匹が、アリウスの側面へ回り込もうとしている。
こいつはうまくねえな。俺が援護に回る必要がある。
前衛が瓦解すれば、後衛の守護どころの騒ぎではない。
全滅の危険性すらあるのだ。
俺がそちらへ足を向けたとき、不意に後方から俺の腕をひっぱる奴がいる。
魔法の使えない魔法使い、メルンだ。
「ちょっと待って――」
「――なんだ、こっちは急いでいるんだ」
「これ、持っていって」
そういって、彼女は俺の手に1本の短剣を握らせた。
俺はメルンの意図を掴めず、反射的に彼女の眼を見た。ところが彼女は俺の目線を受けても、首を傾げるばかりだ。
「ちゃんと説明しろ。この短剣はなんだ?」
「ああ。漆黒狼の弱点は、腹だから」
どうもこの小娘は、他人に説明するという行為が苦手のようだ。自分が理解できているから、他人も分かっていると考えるタイプなのかもしれない。
「おい、イチャイチャするのは後だ。速く行け」
アシュターがこちらを見もせずに言った。彼はアリウスへ向かおうとする漆黒狼に対し、牽制の矢を放っている。
彼の発言を訂正したいところだが、反論している時間も惜しい。
俺は短剣を懐中に呑んで、アリウスの援護に回った。
漆黒狼と真っ向から対峙するのは、これが初めてだ。
俺はまじまじと相手を凝視した。思ったより、はるかにでかく見える。紅い両眼は、俺を嘲弄するかのような、不吉な光をたたえている。
落ち着け。敵の戦力を過大に見るな。それは恐怖につながる。
俺は、「シッ!」と息を吐いて剣を抜いた。
買ったばかりの長剣は、鮮やかなまでの美しい光彩を放っている。買い換えてよかった。少なくとも、以前のなまくらよりははるかに頼もしい。
地を這うような、不気味な重低音が聞こえる。これはこの怪物特有の威嚇音らしい。だがそんな行為に及ぶまでもない。なぜなら俺は、とっくにビビッていたからだ。
でも、俺は逃げない。逃げても追いつかれて、背中に食いつかれるだけだからだ。この場合、最適の逃げ場所は真正面しかない。
――こいつを斬り殺す。それしかない。
俺は真っ向から、剣を振り下ろした。
当たらない。俺の想像以上に、漆黒狼は敏捷だった。
すばやく後方へ回避するやいな、たわんだバネが復元するように、黒い怪物は跳躍して俺に飛びかかってきた。
俺はカウンターでバックラーを相手の顔面にたたきつけた。
盾心に刃を埋めこんだ、特別の逸品だ。
「どうだ。とっておきの、ご馳走だぜ」
手ごたえはあった。だが、怪物はまるで痛痒を感じないのか、勢いのまま俺の上にのしかかってきた。俺は自分の行動に舌打ちしたい気分だった。
回避する選択もあった。だが、俺は迎撃を選択した。
敵の戦力を見誤ったミスだ。漆黒狼の突進力は、人間との戦闘に慣れた俺の想像を、はるかに上回っていた。
俺はそのまま、仰向けに倒された。
漆黒狼は、俺の上に覆いかぶさっている。
人間なら、マウントポジションに移行するところだろうが、この怪物にはその必要がない。その鋭い牙で俺の頚動脈を食いちぎれば、それで終わりだからだ。
こんなくだらない戦闘で、くたばってたまるか。
俺は剣を振るおうとしたが、こうも密着した状態では無理だ。そして体術のすべても封じられた状態である。もとより怪物に関節技など効かないし、空手のいかなる技も、両脚をしっかり大地に踏みしめた状態でないと、その威力は最大限に発揮されない。死んだ技になる。
怪物は勝ち誇ったかのように、俺の上にまたがったまま、重低音のうなり声を発している。その燃えるような双眸が、俺を見下ろし、巨大な口腔を開いたときだ。
異変があった。
漆黒狼の大きな口から、鮮血がしたたり落ちた。
怪物は一瞬、何が起こったのかわからなかっただろう。
こいつは、俺の仕業だ。
俺が下から、怪物の脾腹に短剣を突きたて、切り裂いてやったのだ。どぼどぼと、なま暖かい不気味な液体が腹部からあふれ、俺の革鎧を濡らしている。
メルンの短剣が、普通のやつと違うのか、それとも漆黒狼の腹部が、想像以上にやわらかいのか、そのあたりはよくわからない。だが、この一撃が、怪物に致命傷を負わせたことだけは、はっきりとわかった。
怪物は、俺の上から飛びのいた。
俺はほぼ同時に、草の上から跳ね起きた。
怪物のどぎつい血の臭気で、目がくらみそうだった。
だが、愚痴をこぼしている状況じゃない。
腹部を、思う存分かっさばいてやったにも関わらず、怪物はまだ生きている。それどころか、俺に向かって突進してくるではないか。
よく生きているもんだ。その生命力は俺の想像を超えている。
だが、もう以前ほどの機動力は、完全に失われていた。
もういいだろう。俺はふたたび剣を構え、剣尖を怪物に向けた。
相手の突進力を利するように、突いた。
堅い表皮ではなく、眼球へ向けて。
致命傷を負わせる前の動きならば、とても狙えるものではなかった。
だが今は、人間と同じぐらいの動きにまで落ちている。
切っ先が、眼球に刺さった。
怪物は悲鳴に似た叫び声を発するが、容赦はしない。
そのまま、全体重を乗せるように、ぐっと剣尖へ力をこめる。
怪物はやがて、不気味な痙攣をし、紅い泡を吹いて動かなくなった。
「――これじゃ、クリーニング代は請求できねえな」
俺は紅く染まった剣身を抜き取りつつ、つぶやいた。
すごくお待たせしてしまいました。すいません。
『新たなる任務』その10をお届けします。
次話は翌火曜を予定しています。




