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その7

 咽喉の奥が、やけにひりついていた。

 俺が視線をさ迷わせるたび、眼が合った人間が顔を背けるのがわかる。

 おそらく俺は、傍からみれば、血に飢えた獣のような顔つきをしているんだろう、と思った。感情のコントロールが、やけに難しくなっていた。

  

――俺たちは、すでにドーラ村へと戻っている。

 俺たちが村へ帰還したときの、周囲の興奮たるや尋常ではなかった。

 それほど大きくない村の内部は喝采(かっさい)坩堝(るつぼ)と化し、まるで英雄の凱旋といった空気すら漂っていた。

 考えてみれば当然かもしれない。俺たちが到着するまで、彼らは常に怪物の脅威にさらされつづけていたのだ。その緊張感は、ただならぬものがあっただろう。

 それが弛緩した。俺たちは、ちょっとした救世主のような存在になったのだ。

 俺としては、まるで面白くはない。それはメルンをのぞく、他の傭兵たちも同様だったようだ。居並んだ顔に、ひとつとして笑みはない。

 

 なにもしていない、という気分が濃厚だったからだ。

 いや、実質、なにもしていない。

 5匹もの怪物を仕留めたのは、メルンただひとりの放った魔法であり、俺たちはただ、敵を囲んでいたにすぎない。


 俺は視線をさ迷わせていた。

 こういう気分を鎮めてくれるのは、酒しかない。

 こんな小さな村でも、酒場のひとつぐらいはあるだろう。

 領主からは、あらためて館に招待したいという話があったのだが、断った。

 到着して早々、5匹もの漆黒狼(ムアサドー)を仕留めたのだ。さぞかし安堵したのだろう。領主がその礼を兼ねた祝いをしたい、ということだったので、辞退したのだ。

 俺には、そんな資格はない。

 そこまで俺は、厚顔ではないつもりだった。

 

 しばらく挙動不審ぎみに周囲を見渡していた俺だったが、ふと鼻孔が、いずこからか漂う、酒の香気のようなものを嗅ぎつけた。

 匂いに釣られるように、ふらふらと歩を進める。

 やがて俺の視界に、小さな酒場らしき店が飛びこんできた。

 扉はない。暗い屋内が洞窟のように、ぽっかりと口を開いている。小さな看板が出ていた。おそらく店の名前が記されているのだろうが、俺のつたない識字能力では理解できなかった。


「――いらっしゃいまし」


 カウンターの向こうにいる男が、愛想よく声をあげた。

 見渡すと、店内は本当に小さい。アコラの町にある、どの酒場よりも小さかった。テーブルはひとつも置いていない。カウンター席しか座る場所はなかったので、俺はやむなく、隅っこの手近な椅子に腰を降ろした。


「ご注文は何にします――?」


 どうやら店は、この親父ひとりで切り盛りしているらしい。給仕の姿はなかった。


「そうだな、とりあえずエール酒。肴はお勧めをやつを頼む」


 この店でなにがうまいかなど、常連でないからわからない。

 それならば、店側に任せたほうが確実だ。お勧めといっておいたからには、そうまずいものは出さないだろう。しばらく待っていると、エール酒と、豆と肉の入ったスープ。何の生物かわからない串焼きが運ばれてきた。

 

「親父、この肉はなんの肉だ?」


「どちらもファング・ボアのです。この辺りではよく獲れたんですよ」


「そうか――」


 獲れた、という過去形を、店の親父は使った。

 ということは、現在は獲れないということだろう。その原因は何か、すぐに察しがつこうというものだ。それにしても――。俺はちょっと神経質になっているな、と思った。

 普段ならば、何の肉か、いちいち気にも留めなかったはずだ。

漆黒狼(ムアサドー)の肉ではないか、と一瞬でも疑ってしまったのは、さっきの戦闘がまだ脳裏の片隅に残っているからだろう。


 俺はぐいっとエール酒を咽喉に流しこんだ。ふむ。アコラの町に出回っているやつより質が悪いようだ。独特の風味が、ちょっとくどく感じる。料理はメイの作ったものとは雲泥の差だが、塩味がアクセントになっていて、悪くはない。

 俺はすぐに二杯目を注文する。アルコールはいいものだ。人によっては、醜態を晒すだけの毒になるが、己の分をわきまえて呑めば、薬にもなる。

 だんだんと、ささくれだっていたものが沈静化してきた。

 俺は、どうしてあんなに苛立っていたのだろう。

 そう冷静に考えるだけの余地も生まれた。


――結論は、わかりきっている。

 自分が何の役にも立たなかったからだ。

 初めての大仕事では、それなりにやれた、という感触があった。

 今回はどうだ。ただ慄えて突っ立っていただけじゃねえか。

 そういう苦々しい気持ちがある。相手があんな化け物じゃ、俺が習得した徒手空拳の技術では、どうしようもないじゃないか。――そんな考え方もできる。

 だが、俺は納得していないんだ。

 あのひりついた苛立ちは、そういうことなのだろう。

 

「――親父、俺にもエール酒をひとつくれ」


 その声で、俺は現実に引き戻された。

 カウンターの隣の席に、誰かが腰を降ろしている。

 それほど広くないカウンター席だが、俺の席は隅っこだ。もっと広い空間に腰を降ろせばいいじゃねえか。そんな苦々しい気持ちでその人物を見やると、見覚えのある顔が笑っていた。

 

「よう」


「なんだ、あんたか――」


 隣に座った男は、前衛の重戦士、ラルガイツだった。

 どうやら村に入ってからここへ直行したらしく、暑苦しい甲冑姿のままだ。槍は背後の壁に立てかけてあった。


「領主のもとへ行ったんじゃないのか?」


「その言葉、そのまんまおたくに返してやるよ」


 ラルガイツは、手渡されたエール酒を美味そうに一気に飲み干し、

 

「うめえっ――」

 

 と、至福の笑みを浮かべた。

 美味そうに酒を呑む男だなと思った。俺としては、そんなに美味い酒とは思わなかったのだが、この男には物事を楽しむゆとりのようなものが備わっているのかもしれない。


「――で、わざわざ俺の隣に座ったんだ。何か話でもあるんだろう?」


「なあに、同じ仕事を請けた傭兵同士、親睦を深めるのも大事と思ってな」


「親睦ねえ……」


「なに。そう難しい話をするわけじゃないさ。あんたもここへ入ったのは、俺と同じで、ちょっとしたむしゃくしゃがあったからだろう?」


「――――」


「ずばり、原因はあの魔法だ。違うか――?」


 俺は無言で、エール酒を口に運んだ。

 そうだと応えるのも、僻んでいるような感じがして、いやだった。


「まいったよな。俺たちは、全員がランク7か6だ。それなりに腕に自信がある。だが、あの魔法は反則級だ。破壊力的に、あの魔女だけランク5ぐらいに位置するんじゃないかと、俺は思うね」


「以前、魔法使いと組んだことは、あるのか?」


「2度ほどは、あるかな。だがいずれも、あれほどの魔力(マナ)を有した魔法使いじゃなかった。せいぜいが『怒りの火球(ファイヤー・ボール)』程度の呪文しか唱えられないやつだった」


「よくわからないが、つまり『裁きの雷鳴(ライトニング・ボルト)』というのは、かなり高等な魔法なのか?」


「中級の魔法と聞いている。だが、おたくも傭兵ならわかるだろう。この世界の魔法使いの希少さを。どの国も、力ある魔法使いを欲している。あれほどの力を持っている魔法使いなら、どの国からもひっぱりだこだろうさ」


「ふうむ。つまり、メルンは異常か?」


「――そうだな。異常な存在だ。なにせ、あれほどの力を持っている魔法使いだ。フランデル王国が食指を動かさないわけがない。彼女のもとに、王国の勧誘が来たことは一度や二度ではないだろう」


「王国に仕えながら、傭兵をやっている可能性は?」


「ないな、王国に所属した時点で、魔法使いはすべて魔道師団へ編入される。貴重な戦力の一部とみなされるわけだ。王国の許可なくして、気ままに傭兵稼業なんてできんよ」


「なるほどな、俺たちはそんな特殊な存在とパーティーを組んでいるわけか」


「そういうことだ。まあ、こうなっちまったからには、おたくも割り切るこったな」


「割り切るとは?」


「もう俺たちのような、普通の傭兵が出しゃばる必要はない。全部、あのお嬢ちゃんが始末してくれるだろうさ。俺たちはただ、命の危険なくゼニを貰えるんだと、割り切ったほうがいい」


「なるほどな――」


「ああ、そのほうが、健康にもいい。そうじゃないか」


 そういって、快活に笑うラルガイツだったが、その言葉は、どこか自分に言い聞かせている風にも見えた。

 この男も、俺にそれを話すことで、ふっきろうとしているのだろう。

 たちまち、酒の味がしなくなった。ほろ酔い気分が台無しだ。もう、これ以上いくら呑んでも、酔うことはできないだろう。

 俺たちは、さらに半刻ほどその酒場に留まり、当たり障りのない会話をかわした。気になったことといえば、彼が「お前が3番目に仕事を受けたらしいな」と、いうことを訊いてきたことぐらいだろうか。

 彼は一番最後に、この依頼を受けたそうだ。

 この依頼を最初に受けたのは、フォルトワと、アシュターだという。

 ということは、消去法で4番目、5番目はアリウス、メルン――あるいはその逆、ということになる。まあ、それがゼニの配分に影響されるわけじゃないようなので、そんなことはどうでもいい話だ。

 

 小さな酒場を後にすると、もう天から夕陽は駆逐され、月が我がもの顔で君臨していた。この異世界にも月がある。月光を頼りに、俺は宿へと向かった。

 領主から指定されていた宿は、この方向でいいはずだ。

 宿の(あるじ)らしい中年女性には、領主代理(フローラ)の名前を出すだけでよかった。そっけなく「5番の部屋だよ」と言われた。独り部屋らしい。

 こんな小さな村の宿だ。雑魚寝を覚悟していたから、ありがたい限りだ。

 さぞかししょぼくれた小部屋だろうが、構いやしない。

 

 それほど部屋数は多くない。俺はすぐ扉に「5」の文字が記された部屋を見つけ出した。ガタのきた扉は、まるで老人のすすり泣きのような音を出して開いた。

 窓から降りそそぐ月が、白々とした骸骨のような光輝で室内を照らしている。

 俺はすうっと、両眼を細めた。

 その光を浴びた何者かが、部屋の中央で、床にインクの染みのような影を延ばしている――。


「何者だ、お前は――?」


 俺は両手を顎の高さまで持ち上げ、誰何(すいか)の声をあげた。 


『新たなる任務』その7をお届けします。

次話は金曜日を予定しています。

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