その6
さすがに他の傭兵は手馴れていた。
後衛のアシュター、メルンを護るように、アリウスとフォルトワ、ラルガイツはずいと前に出た。俺も遅れぬよう、あわてて彼らの横に並ぶ。
それぞれが、互いの得物を活かせるよう、適度に距離をとっている。
このメンバーによる、初めての戦闘であるにも関わらず、ちゃんと互いの役割を、おのおのが理解しているように見える。怪物退治はお手のものということなのだろう。
怪物の恐怖に苛まれているだけの俺とは、えらい違いだ。
「一番槍は、この俺だ!」
重装備の戦士ラルガイツが、戦車さながらにずしずしと前進した。
彼の掌のなかで槍は華麗に旋回し、空にいく筋もの孤を描いた。
「わがゴルゾー流槍術の味、とくと堪能しやがれ」
言うが早いか、電光石火の突きを漆黒狼へと放った。
それも、一度や二度ではない。高速の連続突きである。
普段は重厚な亀のような男であるが、槍を持った瞬間、まるで別のいきものと化したかのような軽捷さを見せている。
その動きの秘密は、あの独特の歩法にあるのかもしれない、と俺は思った。いつものどたどたした歩き方とはまるで違う。すり足になり、的へ向かって常に一定の距離を保ったまま、絶えず前後へ移動している。それは自分の槍だけが有効となり、怪物の攻撃が届かない、絶妙の間合いだった。
ラルガイツの手許から、穂先が千条の蛇となって漆黒狼に殺到する。
ゴルゾー流槍術が、どのような技術体系を持つものかは知らないが、彼がどれだけ苦心してこの槍術を練ってきたか。それだけは理解ができる。
さすがの漆黒狼も、反撃に転ずることができず、じわじわと後退していく。アリウスはその漆黒狼の退路を断つべく、ぐるりと右回りに動いている。
フォルトワは、後衛のやや前方に位置取りをして、動いていない。
彼らを護衛するのが自分の任務と考えているようだ。
となると、俺の選択肢はひとつだ。俺はアリウスの反対側――左回りに動くべきだろう。とにかくお互いの行動の邪魔になる位置取りだけは避けねばならない。
怪物退治の経験は皆無な俺だったが、戦いに関してはおおよそ読める。
もっといえば、この怪物が嫌がる位置に立てばいいのだ。
こいつが逃走するにあたり、どの場所に俺を配置すれば邪魔になるか。そいつを俯瞰して考える必要がある。将棋の駒のようにな。
いつまでも阿呆のようにボケッと立っていたら、たちまちこいつらの腹の中だ。俺は生きて帰るとメイに約束したのだ。だからこそ、必死に頭をめぐらさなければならない。
俺とアリウスが、ほぼ同時に怪物の背後にまわりこんだ。
3人の位置取りは完璧にちかい。
ぐるりと怪物を囲むように、円陣を敷いている。
怪物も、自分が追い込まれていることを悟ったか、後退するのをやめた。警戒するようなうなり声を発しながら、周囲を見回している。
「1、2の3で、一斉にかかるぞ!」
アリウスがやや身を沈ませた。突進の構えだ。
俺は盾を前方に構え、剣尖をやや下げている。
一気にこいつを、相手の脳天に叩きつけるつもりだ。
だが、その機会は永遠に訪れなかった。
アリウスが号令を発しない。いや、それどころか、やつは包囲を解いて、するすると下がり始めたではないか。
「どういうつもりだ――!?」
俺は驚きのあまり、思わず大声を発していた。
アリウスは応えない。下がりつつ、目線である一点を指し示した。
俺はやつの目線を追った。すかさず後方をふりかえる。
だだっぴろい緑の下生えの海に、黒い染みのようなものが見えた。
――ひとつ、またひとつ。そいつはじわじわとその数を増し、虫食いのように緑の空間を徐々に侵食していく。それは何か、形が明瞭になりはじめた。
黒点の中央に、紅色の光がまたたく。漆黒狼だ。
他の9体の漆黒狼が、いま一堂に集結しつつあるのだ。
こいつはよくねえな。もはやなりふり構っていられない。俺とアリウスは、逸散に駆けた。ラルガイツも同様だ。舌打ちをしつつ、すり足で後方へと退がっていく。
こういう場合、最悪なのは、お互い分断されてしまうことだ。
一歩間違えば乱戦になる。一瞬の遅れが致命的なものになる。
各個撃破されるのが、もっともよくないことだ。
アシュター、メルン、フォルトワは、位置を変えることなく留まっていた。そこに俺たち前衛組が合流し、どうにか敵を迎え撃つ準備がととのった。
敵はもはや、その漆黒の毛並みが克明に見えるほど接近している。
総勢10体の怪物が、紅色の眼を光らせて突進してくるさまは、まるで俺たちをひき殺さんとする、毒々しい車のヘッド・ライトのようだ。
悲惨なのは、老騎士である。
あの男はおどろいたことに、中途半端に身を起こした体勢から、まだ動いてはいなかった。顔をしかめたままで、硬直している。
「爺さん、早くこっちへ来い!!」
「――む、無理じゃ!」
ラルガイツが叫ぶが、老騎士はその声に従う様子はない。倒されたときの打ち所が悪かったのか、それともどこか、関節がおかしくなったのか。
俺にはその理由を識ることはできないが、この老人の未来はわかる。
暴走車のごとき黒い怪物の群れは、彼の間近に迫っている。
もはや老騎士は、死ぬ運命から逃れられぬように思われた。
そのときであった。
ある一点を見つめたまま、うつろな眼、ひそやかな声で、なにやらぶつぶつと詠唱していた女性――メルンが、おもむろに顔を上げた。
その瞳は、天啓を受けたかのように輝いている。
彼女が杖を、天へと掲げるのと同時だった。
『裁きの雷鳴――!!』
その声とともに、一条の稲妻が天から降りそそいだ。
たちまち視界が白濁化し、大地がのたうつように振動した。
なんだ、これは――。
俺はこの現象を表現する、あらゆる語彙力を失っていた。
それくらい、衝撃に打ちのめされていたのだ。
――こいつが、魔法ってやつか。
やがて、視界が開けた。俺たちの眼に飛び込んできたのは、雷に撃たれた5対の怪物が、四肢を硬直させた無残な格好で、地表に横たわっていた姿だった。
内臓が、電流でやられたのだろう。すさまじい異臭が漂っている。
残りの5体の姿は見えない。どうやら、すでに逃走したらしい。
老人の姿を確認すると、驚くべきことに、ちゃんと生きていた。
これには、老騎士も驚愕の表情を隠せない。
「これで、よく生きていたものじゃ……」
周囲を見渡して、呆然たる表情でつぶやいた。
まったくの同感としか、いいようがない。
メルンはこれだけの破壊力を持った雷撃を、この老騎士に当てることなく、周囲の怪物にのみ狙いをしぼって落としたのだ。
それにしても――
気がつけば、俺は後方に立っている、魔法使いを見つめていた。
それは、他の連中も同じだった。
誰も彼もが、まるで異界の生物を見るような眼差しで、彼女を見つめている。
「――やったぜ」
メルンは胸を張り、どうだと言わんばかりに不敵に周囲を見返した。
「もう、こいつ1人でいいんじゃないか?」
アリウスの放ったひとことが、俺たちの総意のようなものだった。
『新たなる任務』その6をお届けします。
その7は、来週の月曜日を予定しております。




