その1
俺は、なに食わぬ顔で傭兵ギルドに顔を出した。
ここに立ち寄るのは、本当に久しぶりのことだ。
ダラムルスから立ち寄るように言われて、すぐにホイホイとここへ来たわけではない。やつと俺が決闘もどきをした日から、およそ三日ほど経って、ここへ来た。
べつだん俺のなかに、さほどの遅疑逡巡があったわけではない。
その前に、必要なものがあったのだ。
文字の習得である。
といっても、文字の読めない人間が、読書で文字を習得することは不可能だ。誰かに教師になってもらう必要がある。
身近にそれを頼める人間は、俺の周囲ではひとりしかいない。
メイだ。
彼女に、文字の先生となってもらうには、ひと悶着あった。
「いや! そんなの柄じゃないもの」
とひたすら拒絶する彼女を説得するのは、かなり難航した。
俺の舌足らずな口じゃ、かなりの苦労だ。しかし、俺が傭兵としてやっていくには、どうしても必要最低限の文字は読めないと話しにならない。誰かにカモられる可能性だって高い。文字が読めないことをいいことに「それ、ここにこのように記載されている」などと言われたら、俺は反論することができないのだ。
そういうことを、彼女に伝えた。たどたどしい説明であったが、俺の必死の形相が功を奏したのか、最終的にはどうにか受け入れてもらえた。
むろん、一朝一夕に会得、とはいかない。
ただ、今回はそれを実践に移そうと思ったのだ。
とりあえず、ある程度の文字は、持っていたメモ張に記している。
この世界の文字と、それを日本語に翻訳したものだ。
俺はそれを片手に、仕事が張り出してある掲示板へと足をむけた。
メモ張を開き、じっと掲示板の仕事をにらむ。
おぼろげながら理解はできる。なるほど、今まで愚直なまでにくりかえしていたムイムイ草の採取、下水掃除、害虫駆除などは、全体のほんの一部にすぎないことがわかる。
さらに、俺が受けていた仕事は、10という数字で区切られていた。
ここまでが、初心者の受ける仕事ということなのだろう。
あれだけの大仕事をこなした後なのだ。もうそろそろ次のステップに移行しても、いいのではないか。俺はそんな気になっていた。
「――おい。ボガードじゃねえか」
背後から、そう声をかけてきた人物がある。
ベテラン傭兵のシャアハだった。
俺と同じ、『白い狼』に所属する傭兵だ。ただし、俺よりもはるかに傭兵業を長くやっており、また凄腕としても知られている。
「ずいぶんゆっくりとした登場じゃないか。今日はダラムルス団長は来ていないぜ」
「ああ、いや、とくに彼に話があったわけじゃない」
「ふん、なんだか今日は、いい顔をしているじゃないか」
「――そうか?」
「ああ、自分じゃ気付かないだろうがな。最後に別れたときのお前の顔は、本当に見れたもんじゃなかった。土気色というか、お前はあのまま駄目になっちまうんじゃないかと思ってたぜ」
「そいつは悪かったな。駄目にならなくて」
「その様子だと、どうやらふっきれたらしいな」
「ん、まあ、ふっきれたというのも違う感じだが――」
「――ふむ?」
「寒いからって、いつまでも毛布にくるまったままでいるわけにゃ、いかねえってことさ」
「なるほどな。変な表現だが、前向きにはなったようだな」
「ああ、とりあえず仕事を探すぐらいの分だがな」
「ああ、その件だがな、そこは駄目だ」
「――どういう意味だ?」
「お前はもう、ムイムイ草を採取するようなランクにはいないってことさ。俺が声をかけたのは、それを報せるためでもあったんだ。とりあえず、受付嬢に話を聞いてみな」
彼にうながされるまま、俺は受付へと足を運んだ。
「ええと、俺はボガードというものだが――」
亜人――エルフというらしいが――の女性が、にっこりと俺に笑いかけ、
「はい、お名前は伺っております。あなたにダラムルス団長からことづけがございます。お聞きになりますか?」
「――ああ、聞かせてくれ」
「では――いつまでベッドに釘付けになってやがるんだ。もう待ちくたびれたから俺は仕事に行く。お前は階級が上がっているから、それなりの仕事を選択するんだな――ということです」
「階級が上がっている?」
「はい、ボガード様は初心者ということで、これまではランク10の仕事しかお受けできませんでした。ですが、今はランク7の傭兵ということになっています。これで、選択できる仕事の幅が、ぐんと広がりました」
「ランクが3つも上がったということか?」
「はい、そういうことです」
「俺はまだ、この世界に関して疎いんだが、こういうことはよくあることなのか?」
「いえ、ランクが3つ上がるなんてことは、ある特定の事態以外はほぼ皆無です」
「――特定の事態?」
「依頼の途中で死ぬことですわ」
「殉職かよ。それぐらいしか前例がない事態ってことか」
「さようです。それというのも、あなたが先日受けた要人警護の依頼は、本来ならランク6相当の傭兵が請け負うような仕事だったのです」
「それを、ランク10の俺が受けてしまったというわけか」
「ええ。実際、とてもありえないことです。ですが、『白い狼』の団長が、ギルドを通さずにすべて人員の配置を決めてしまいました。本来ならば罰則ものですが――」
「本来? すると罰則は行われなかった――?」
「よく、おわかりですね。あの依頼は特殊なケースでした。マルローヌ伯から『白い狼』への直接の依頼でしたから、作戦面に関しては、ほとんどギルドが介在する余地がありませんでした。仲介料をいただくだけで、ギルドは蚊帳の外に置かれたのです」
「それだけの独断専行をして、よくお咎めなしですんだものだ」
「仕方がないのです。当ギルドとしても、『白い狼』ほどの影響力を持つ傭兵団とひと悶着起こすわけにはいきませんし、団長のダラムルス様も、ギルド長とは親密な関係です。だからこそ、このような無茶がまかり通ってしまったんでしょうけど。しかし物事には……」
「ちょっとちょっと、いくらなんでも、話しすぎじゃない?」
俺と会話していた受付嬢の袖を、もうひとりの女性が引っぱった。
彼女はいけない、という感じで、舌を出した。
最後のほうは、聞いていて愚痴のように聞こえたのは、やはり単なる愚痴だったようだ。俺は気をとりなおして、掲示板のほうへと戻ろうとした。
「あの、もうしわけありませんでした。ボガード様」
さっきの受付嬢が、うやうやしく頭をさげた。
「いや、別に気にしちゃいないさ」
俺は片手を振って、掲示板のほうへと戻った。さて、ランク7の依頼までとなると、とたんに受けられる依頼の範囲が広くなる。俺は戸惑った。
メニューの品目が多ければ多いほど、客の惑いも大きくなるってもんだ。
俺はひとつひとつの依頼をチェックしては、帳面に眼を落としていた。やれやれ、こんなペースじゃ、仕事を請けられるのは夜になっちまう。
「――あの、この依頼なんて、どうでしょう?」
おもむろに背後から話しかけられ、俺は反射的に高速で振り返った。
そこには、さっきのエルフの受付嬢が立っていた。
「いいのかい、受付のほうは?」
「はい、これは私のお詫びをかねての行動ですから、お気になさらず。で、この仕事は他の依頼より、比較的条件のいいものと思われますが、どうします?」
俺は彼女の指差した依頼を、食い入るように見た。
複数人希望とある。これはひとりでは負えない任務なのだろうか。
「依頼には、複数人希望とあるが――?」
「はい、そういう依頼の方が、実は多いです。われわれとしても、そちらをお勧めしております。なにしろ、死亡のリスクがぐんと下がりますから」
「なるほどな。それじゃ、この依頼の説明を頼むよ、受付のエルフさん」
「私は、ソーニャ・アルファラオンと申します」
「ああ、よろしく頼む、ソーニャさん」
ソーニャはにっこりと微笑むと、依頼の説明をはじめた。
それは、次のような内容だった――
新章突入です。
次話は来週の火曜を予定しています。




