その10
「――本気なのかい?」
俺は油断なく、かれに視線を注いだまま、ぼそっと訊いてみた。
「ああ、俺は正気だ。冗談で言ってるわけでもない。もし俺に勝ったら、ついでに、『白い狼』の団長の座もくれてやるよ」
あまりにも、唐突な話だった。それに、一介の傭兵である俺と、『白い狼』の団長という立場にあるダラムルス。対等な立場ではない。どう考えても、リスキーなのは彼のほうである。
とても、正気の沙汰とは思われない。
だが、ダラムルスの両眼は強い力をたたえたまま、揺るぎない。
揺るぎなく、じっと俺を見据えている。
「――死んじまっても、後悔はねえのかい?」
「そいつは大丈夫さ。お前さんに俺は殺せない――」
「――へえ、そんなことを言うんだな」
「もう一度言う。――俺は本気だよ」
「吐いた唾は、飲みこめねえぜ」
ダラムルスの肩が揺れている。嗤ったのだ。
「なにか、おかしかったか?」
「いやなに、チンピラのようなことを口にすると思ってな」
「わかった。――やろうか」
俺は両の拳を持ち上げ、アップライトスタイルになった。
ダラムルスは、よくわからない構えをとった。両手を前にして、やや腰を落としている。どちらかといえば前傾姿勢であった。
レスリング――、いや、そこまで思いきった姿勢じゃねえ。
腰はそこまで深く落としてはいない。
あんまり深く落としすぎると、打撃技に対抗できないからだ。
この男は、俺の打撃をかなり見ている。
俺の手のうちは、ある程度想像できるぞ、というわけだ。
だからこそ、どちらにも移行できるような構えをとっているのだ。
俺は、だが、ためらうつもりはなかった。
迷いなく、ローキックを放った。
ダラムルスは大きい。問答無用の大きさだ。
その身長は、あの『流星』の頭目とほぼ同じぐらいだ。
リーチ差があり、懐が深い。迂闊に接近することは悪手だ。
だからこその、ローキックだった。
ダラムルスは、そのローキックをもろに喰らった。
頭目のように、膝をあげてカットしたりはしなかった。その点で、彼は頭目より空手の対応力はないといっていい。もろに俺の下段蹴りは、やつの太腿をとらえた。
しかし、その感触は奇妙だった。
(――なんだ?)
足の甲には、柔らかい肉の感触は残っている。
だが、ダメージを与えたという感覚はなかった。
まるで亜種の生命体を蹴ったような違和感だけが残った。
「――どうしたボガード、それでしまいかい?」
その問いに対し、俺は無言である。
無言のまま、走らせた――。ローを。
またも俺の蹴りは、彼の太腿に着弾した。だが、ダラムルスは小揺るぎもしない。こいつはまるで、肉体の城塞だなと思った。
とにかく太いというのが、その印象のすべてである。
骨も太い。筋肉も太い。脚の各部位すべてが太い。
生命体としての存在感がけたちがいだ。
象の脚を蹴ったら、こんな気持ちになるのではないか。それぐらいダラムルスの肉体は、俺が蹴ってきた有象無象の連中の肉とは異質であった。
「それでおしまいなら、今度はこっちの番だ――」
ダラムルスは、突きを見舞ってきた。
テレフォンパンチではないが、それほど疾い突きでもない。
だが、拳の迫力が、普通の人間とまるで違う。
ただ拳が空を斬るだけで、轟音が聞こえてきそうな錯覚すらおぼえる。当たったら、一撃で首の骨を持っていかれそうだ。
俺の防衛本能が、反射的にカウンターのパンチを選択した。
アップライトから、相手のがらあきの顔めがけカウンターの右――
入った、と思った。
だがそれは、ダラムルスの誘いにすぎなかった。
ダラムルスは俺の一撃を待っていたかのように、すでに低い姿勢からの胴タックルへと移行している。俺の拳は空を切っていた。
「――ちいっ!」
パンチを効かすために、左足に重心が移っている。
その左足を、がっしりとダラムルスに掴まれている。
カウンターのカウンターを警戒していたため、ガードが高い。
その間隙を突いたタックルだった。
「つかまえたぜ――」
ぞわっとした戦慄が、俺の背を疾りぬけた。
やばい。なにか識らんが、とてつもなくやばい。
相手が怪力にものを言わせ、そのまま引きこんでテイクダウンを取りにくる。その寸前に、俺は突きを放っている。相手のこめかみを狙った、中高一本拳――。
人体の急所を狙った、確実な一撃だった。
これなら、どんな化け物でも倒せるはずだ。
だが、こいつが炸裂することはついになかった。
ダラムルスが、すぐに脚を離して、距離をとったのだ。
「あぶねえじゃないか、ボガード――」
こいつはただの木偶の坊じゃねえな。俺はほれぼれするように、そいつを見上げた。誰もがうらやむような、強靭な肉体を有しながら、それだけに頼っていない。
俺の一撃の危険性を瞬時に察知して、手を離したのだ。
しかし、なぜこの拳が危険だとわかったのか。そもそも俺は、彼にこの突き方を見せてはいない。いや、この世界にやってきて、初めて放ったのではないか。
にも関わらず、それを察知したのは、尋常じゃない。
妙に動物的な勘が、この大男にはあるらしかった。
伊達に傭兵団の頭を張っていないというわけだ。
それを活かして、あまたの修羅場を切り抜けてきたのだろう。
「なあ、ボガードよ――」
「――なんだ?」
「おまえさん、こういうのが、楽しいんだろう?」
「なぜ、そう思うんだ――?」
正直にいって、俺は闘いを楽しんでいるだけの余裕はない。
しかしダラムルスは、確信めいた口調でこういった。
「なぜって、おまえさん、さっきまでの死んだような表情から一変してるぜ。別人のように、生き生きとしていやがる――」
そうなのか。自分で自分の顔をみることはできない。
だが、確かに俺の心に火が投下されたかのように、熱い。
このことに没入している。でないと、狂えない。
「ごたくはいいから、つづけようか――」
「――そうだな」
俺はアップライトスタイルをやめた。
足を後屈立ちに変え、左手はやや中段に下げている。
相手が掴み主体というのがわかったのだ。いつまでもマヌケに胴を晒している場合じゃない。ダラムルスはにやりと笑った。獰猛な虎のようだ。
俺も呼応して、笑ってみせた。
それが、隙に見えたのだろうか。
ダラムルスが、またしてもタックルに来た。
今度は、前回よりも距離がある。俺のそなえも万全だ。
合わせる形で、カウンターの膝を相手の鼻先にくりだした。
それを、硬い頭で受けられた。やるじゃねえか。
ダラムルスの勢いが強い。今度は、こめかみを狙う間もなく引き倒される。すかさず、ダラムルスは上のポジションを取ろうとしてくるだろう。
そこを狙って、突く。――両眼を。
ダラムルスは、上のポジションを取るという、まどろっこしいことはしないようだ。一気に、拳で上から叩き潰そうとしてきた。
ダラムルスが拳を振り上げ、俺がバラ手で、下から眼を突こうとした瞬間だった。
「そこまでだ。双方、攻撃をやめろ――!」
この荒地にいきなり、ふたりの人物が乱入してきた。
何者だ――? 俺たちは警戒し、動きを止めざるを得ない。
どうやら、声をあげたのがレミリア、もうひとりはロームのようだ。
「――団長、酔狂もほどほどに願います」
レミリアが、むすっとした不機嫌そうな表情で、苦言を呈した。
「なんだ、来たのか」
ダラムルスは苦い顔で、レミリアに応じた。
「簡単に団長の座を賭けるとか、いい加減なことはやめてください」
「俺は本気さ。弱いやつが団長なんかになるもんじゃないよ。一兵卒に負ける団長なんざ、『白い狼』には必要ない――わかるだろう?」
「いいえ、わかりません」
レミリアは、ますます怒りを倍増させてしまったようだ。
「やれやれ、ローム、お前はどうだ?」
「私も彼女とほぼ同意見ですが――まあ、弱い団長というのも想像できませんがね」
「やれやれ、孤立したな。これがクーデターか」
「人聞きの悪いことを言わないでください」
3人の押し問答はつづいている。
俺はというと、不完全燃焼のまま闘いを強制終了させられ、げんなりとしてしまった。やれやれ、てめえら同士、好きにしやがりゃいいんだ。
俺はむっくりと起き上がり、砂を払った。俺がそのまま、勝手に盛り上がる3人を放置して、足早にそこを立ち去ろうとしたとき――
「おい――どこに行くんだ、ボガード?」
目ざとく、ダラムルスが声をかけてきた。
「帰るんだよ。もうあんたはつきあってくれないんだろう」
「このふたりが、続けさせてくれそうもないな」
「なら、もうあんたには、用がない」
「そうか。だが、わかっただろう、ボガード――」
「なにをだ?」
「お前さんが、闘いを渇望していることが、だよ」
「――――」
「お前さんは闘っていないと、自己の存在意義を見出せない男だよ。これは俺が保証する。そんなふうに世をすねた様子でごまかしたって、駄目さ――」
「そうかな?」
「そうさ」
ダラムルスの発言には、一切の揺るぎがない。
揺るいでばかりの俺とはえらい違いだ。
「この続きがしたけりゃ、戦場に来るんだな。そうすりゃ、いつでも俺の背中が狙える。家のなかにこもっていても、石ころひとつ見つからないぜ、ボガード」
「――傭兵を続けていれば、なにか見つかるのか?」
「さあて。見つけるやつもいれば、見つけられずにくたばるやつもいる」
「おいおい、ずいぶんといい加減な話だな」
「ああ、だが、そいつが傭兵というものさ」
「傭兵というもの――?」
「ああ、闘いつづけ、答えを探しつづける。それが傭兵というものだ」
「つまり、戦場に出てこいといってるのか」
「ああ、いつでも待ってるぜ」
「待っている――か」
俺はダラムルスに背を向けた。
悔しいが、やつのいうとおりだ。この男はわざわざ、俺に発破をかけにあらわれたのだろう。まんまとそれに乗せられてやるのも癪にさわるが、このまま何ひとつ見つからない宿のなかに、貝のようにこもっていても仕方がない。
もう、とっくに俺は賭けちまっていたのだ。
傭兵というものに。
「じゃあな。――また会おう、ギルドでな」
俺はそう告げた。足はもう、確かに動きはじめている。
前に向かって。
背中のむこうで、ダラムルスは笑ったようだった。
「ああ、またギルドで会おう――」
『傭兵というもの』その10をお届けします。
次話は金曜日にお届けする予定です。




