その9
「――なによボガード、また部屋にこもっているの?」
俺が自分の部屋で、黙々と腕立て伏せを繰り返しているときだった。
いつものように慌ただしく、メイが扉を蹴破らんばかりの勢いで入ってきた。
このいつもの日常といえる日々が戻ってきて、もう一週間になる。
「どうしたのよ、今日も外出せずに。お日様がもったいないよ」
「――まあ、夕刻になったら出かけるさ」
食器を片付けていたメイが、心配そうに俺の顔を覗きこんだ。
「本当にどうしたのボガード。人が変わっちゃったみたい」
俺はその問いに対し、無言だった。言われてみれば確かにそうだ。俺はアコラの町に帰還してからというもの、まったくの出不精となっていた。
ほとんど表に出歩くこともなく、日がな一日、自室でトレーニングして過ごす。そんなことも稀ではなくなっていた。
任務に赴く前までは、そうじゃなかった。ほとんど帰宅することなく、毎日のようにロームから修行をつけてもらって、剣の技術に磨きをかけていたものだ。別人になったといわれても、おかしくはない。
正直なところ、俺は傭兵というものに、ほとほと嫌気が差していた。
俺は、俺の思う様、鍛えぬいた技術を遣う場を求めていたのだ。
その結果、血を吐く羽目になったとしても、後悔はねえ。
飼い犬の幸福に、なんの意味があるというのだろう。
何も知らされず、単なる使いっ走りの鉄砲玉で一生を終えるなんざ、まっぴら御免だった。
俺の脳裏には、ずっと同じ光景がよみがえってきていた。
いくらトレーニングを重ねても、意識を白濁化しようとしても、容易に頭のなかから出て行ってはくれないのだ。
血の汚れのように、ぬぐってもぬぐいきれぬ、暗鬱な記憶だ。
・・・・・・・・・・・
それは俺が、約束を果たしたときのこと――
報酬をもって、ヘルメヒトの家へと訪れたときのことだ。
やつの家は、アコラの町の郊外にあった。こじんまりとした家で、周囲には似たような姿かたちの家がひしめき合っていた。
せっかくたどりついたというのに、俺はドアをノックするのをためらった。正直に言って、金だけ玄関に置いて帰りたいぐらいだった。
だが、約束を果たさずして帰るわけにはいかない。
何度かのためらいの後、俺は扉をノックした。
「――はい」
出てきたのは、少々やつれているが、目許の涼しい、すらりとした女性だった。おそらくヘルメヒトの女房だろう。
「突然すまない、俺は 簿賀土というものだ」
「――はい、なんの御用でしょう?」
俺は、言葉に詰まった。
あんたの旦那は、死んだ――そう口にしてしまえばいい。
しかし、それができなかった。俺は自分が思っていたほど、タフな男じゃなかったらしい。この期に及んで少女のように、汲々している有様だ。
すると、彼女はふっと口許をゆるめ、
「わかりました――」と、言った。
「なにがわかったんだ?」
「――あの人が、もう帰ってこないことが、です」
「――――」
「お入りください。せっかく来てくださったのです。お茶でも煎れましょう」
・・・・・・・・・・・
俺は居間に通された。それほど大きな部屋ではないが、中央に空間の大半を占める木製の簡素なテーブルが置いてあった。それを囲むように、四脚の椅子。
彼女はその椅子のうち、他の椅子より大きく、頑丈そうなやつの手前にカップを置き、お茶を注いだ。ここへ座れということなのだろう。
俺は無言のうちに腰を降ろした。これはおそらく、ヘルメヒトが愛用していた椅子にちがいない。
彼女は俺の向かいにある椅子に腰をおろし、静かに聴く体勢をととのえた。
俺はことの顛末を語りはじめた。
もちろん、守秘義務の部分は避けざるを得ない。それ以外はできるかぎり、誇張を交えることなく、簡素に語った。
すべてを語り終えたとき、彼女は、ほっそりと嘆息した。
「ありがとうございました、ボガドさん――」
「いや、俺は何もしていない。金を届けに来ただけだ」
「主人が生前、誰かをここに連れてきたことなどありませんでした」
「そうなのか?」
「ええ、傭兵って人種は油断がならないって言って。――おかしいでしょ。自分もそうなのに」
「――――」
「でも、そんな主人が、あなたを選んだ。あなたはよほど誠実なかたなのですね」
「よしてくれ、そんな大したもんじゃない。ただ、他人のゼニに手を出すほど、落ちぶれちゃいない。それだけさ――」
そう告げると、彼女は俺に向かって、笑みを浮かべてみせた。だが、それはうまくいっていなかった。痛々しいほどに。
俺には、それが何よりもつらかった。
訪問する前は、もっと激しく罵られると予想していたのだ。よくも主人を死なせたなと、食って掛かられると思っていたのだ。
その覚悟はしてきたつもりだった。
だが、そんな痛々しい笑みで見つめられると、余計につらい。
俺の視界には、彼女と俺が座っている椅子の他、ふたつの椅子が収まっている。かなり、小さいやつだ。ヘルメヒトには子供がふたりいたのだ。
彼女は、俺が去ったあと、その椅子に座るふたりの子供に、親父が戦場でくたばった話をしなければならないのだ。
――そこで3人の涙が流れ、このテーブルを濡らすのだろう。
俺はいたたまれぬ気持ちで、その家を辞した。
お墓ができたら、ぜひ会いに来てあげてくださいと、そう言われた。
俺は軽く会釈をすると、静かに背を向けた。
残念だが、その約束だけは無理だ。
・・・・・・・・・・・
――ああ、なにもかも、やりきれねえ。
俺は腕立てをきりあげ、すっくと立ち上がった。
無意識に、拳を中空へと放つ。
「きゃっ――」
誰かの悲鳴がした。メイだ。
「――なんだ、まだいたのか?」
「まっ、人に拳を当てかけておいて、なんてご挨拶!」
彼女はべーっと赤い舌を出して、憤然と部屋を出て行った。
いい匂いが、鼻孔をくすぐった。
見ると、テーブルの上には、昼食の支度がしてあった。彼女なりに、元気づけようとしてくれたのだろう。申し訳ねえな、と思ったが、追いかけて謝罪する気にはなれなかった。
俺はメイの作ってくれた食事を平らげると、久しぶりに外へ出た。
じっと部屋にこもっていても、このやるせない気持ちが払拭できるわけがないからだ。俺は気のおもむくまま、うつむいて歩きつづけた。
自然と、足は傭兵ギルドへの道とは、違う方角に向いている。
あの大仕事の報酬は、かなりのものだった。俺はギャンブルはやらないし、武器や防具を買い漁る気にもなれなかった。出費といえば、宿賃と酒代ぐらいのものだ。
ただ生きるだけなら、当分のあいだ暮らしていける。
「異世界とは、こんなにつまらねえもんなのか」
俺は思わず、口に出してつぶやいた。
これでは元の世界にいたころと、何が違うというのか。
何も変わらない。人間も、社会の仕組みも、残酷なままだ。
「――おい、おっさん。あんた、なんて言った」
「――なんだ?」
不意に声をかけられ、俺はふりむいた。
冒険者――いや、傭兵らしき男のふたり連れが、俺を睨んでいた。
ひとりはひょろりと背が高く、もうひとりは俺よりは背が低い。
そのかわり俺よりは体重がありそうだ。肥満体といっても過言ではない。
「あんた、この町はつまらない――そう言ったのかい?」
厳密には違うのだが、俺はこの勘違いに乗ることにした。
「ああ、こんなシケた町は見たことがない。そう言ったんだ」
男たちの眼の光の剣呑さが増した。一触即発の空気というやつだ。
「――おっさん、人気のない場所へ行こうか?」
「ああ、暇だったんだ。かまわないさ――」
ちょうどいい。理想的な展開に、俺は内心で嗤っていた。
こいつらには気の毒だが、うさ晴らしにつきあってもらおう。
俺たちは町外れへ向かって歩いた。さすがに天下の往来のど真ん中で、殴りあいはできない。途中で仲間を呼ぶかもしれねえな。そういう疑心がよぎったが、それでも構いはしない。ぶちのめす相手が増えるだけのことだ。
町の中心部から外れると、人通りは徐々に少なくなっていく。
家屋も隙間だらけになり、空き地も増える。
やがて俺たちは家屋のない、荒れた砂地にたどりついた。
「ここいらが、ちょうどいいんじゃねえか」
ひょろ長い男のほうが、そう声をあげた。もう片割れのふとっちょも、周囲を見回してから、同意するように頷いた。
「――ほう、仲間を呼ばなくて、いいのか?」
「おっさんを痛めつけるだけだ。ふたりでも多いくらいだぜ」
「そうか。まあ、怪我人は少ないほうが、俺も気が楽だ」
「口の減らねえおっさんだ。そのでかい口を、拳でふさいでやるよ」
「じゃあ俺も、半殺し程度でやめておいてやろう」
「ぬかしやがれ――」
ふたりの男が、大股でこちらへ近寄ってくる。
俺は自身の制空圏に入るタイミングに合わせ、拳をゆっくりと持ち上げた。
その瞬間だった――
「やめておくんだな――」
ひとりの男が、すうっとこの荒地に足を踏みいれてきた。
男はかなりの巨漢だった。そして、その顔には見覚えがあった。
「ダラムルス――? あんたが、なぜここに?」
『白い狼』の団長であるダラムルスが腕組みをして、そこに立っていた。
「――げえっ! ダ、ダラムルスって、あの伝説の傭兵か?」
「俺はギルドで見たことがある。間違いなく、本物だ!」
突然の闖入者に、ふたりのチンピラは恐れをなしたようだ。
完全に戦意を喪失してしまっている。それも、仕方ないことかもしれねえ。ダラムルスには初対面の人間を屈服させてしまうほどの、独特の風格がある。威圧感がある。
この男には、豪傑という表現がもっとも似つかわしいだろう。
その豪傑が、じろりと大きな眼をむいて、俺を見つめた。
「がっかりしたな、ボガードよ」
「――なに?」
「お前には、がっかりしたと言ったんだ」
「言ってくれるじゃないか。どういうことだ?」
「こんな三下相手に、喧嘩を吹っかけてうさ晴らしか? 随分とつまらないことをするじゃないか」
「放っておいてもらおうか。あんたの指図は受けない」
「そこだよ」
「――なにがだ?」
「お前がむかついているのは、そこのふたりじゃないってことさ」
「――――?」
「お前がむかついているのは、俺に対してじゃないのか?」
「そうだと言ったら、どうするんだ」
「やろうじゃないか」
「――なに?」
「俺と闘ろうじゃないか。そう言ったんだ――」
俺とダラムルスの双眸が、虚空で電流のようにからみあった。
『傭兵というもの』その9をお届けします。
かなりの長文となってしまい、申し訳ありません。
次話は月曜か火曜になる予定です。




