その7
俺は、歩いていた。
とはいっても、けっこうな早足だ。
シャアハの背を追っているうち、そうなってしまったのだ。彼は飛ぶような迅速さで歩いていく。まるで競歩選手だ。
やがてシャアハの背中は、せまい建物のなかへと消えていった。
俺は暫時、足をとめ、その建物を見あげた。
文字は読めないが、どうやら薬師の店のようだった。
なぜ、それがわかったかというと、店のわきに、せまい屋内に入りきれない傭兵たちが、粗末なシートの上に転がっていたからだ。
転がっている全員が、どこかを負傷し、うめいている。
この村には、どうやら病院のような施設はないらしい。
それどころか、医者すらいなさそうだ。でなければ、このような惨状はないだろう。俺がそんなことを考えているうち、焦れたシャアハが顔を出し、手招きをしている。
俺はあわてて、建物のなかに入った。
中は暗く、せまい。10人も入れば、身動きが取れなくなってしまうぐらいの広さだ。そこに2つのベッドが備え付けられており、それぞれ1人――2人の男が横たわっていた。
そのうちの1人は、見知った顔だった。
「……よう、遅かったな、ボガード」
ベッドの上で俺を出迎えたのは、柔和な笑顔の男、ヘルメヒトだった。
だが、その笑顔は引きつっていた。無理に浮かべた笑顔だ。
顔色は青白く、額に脂汗が浮いている。
腹部に巻いた包帯から、紅い血がにじんでいる。
俺は彼の表情に浮かんだ色彩に、見覚えがあった。
――死相だ。
大好きだった爺さんが死ぬ寸前、こんな顔をしていた。
以前にも触れたが、俺の両親には問題があった。だからたびたび、平気で育児放棄をした。幼かった俺は両親の父方の親――爺さんのもとに、幾度か預けられた。
俺に愛情を注いでくれた、唯一といっていい人だ。
そんな大好きだった爺さんが亡くなったとき、肉親は俺だけしかいなかった。両親は最後まで姿を現さなかった。
俺だけが最期を看取ったのだ。
あのときと同じような、居たたまれなさが俺を襲っていた。
「どうしたんだ、その傷は――?」
かろうじて、俺は言葉をぶつけた。
「それがな、手柄を焦ってドジっちまってな。このザマさ」
「ずいぶん、深手のように見えるな――」
「ああ、もうすぐ死ぬだろうな」
そういって、ヘルメヒトは笑った。
こうなっちまったからには、仕方ねえ。
そんな、覚悟を決めている男の顔だった。
「ここには、医者はいないのか。それか、魔法使いみたいなのはいないのか」
「こんな辺鄙な村に、治療師なんていやしねえよ。それに、奴らの治療費は法外だ。一介の傭兵が支払えるような金額じゃねえさ」
「どうしようもないのか」
「そういうことだ――」
にわかに、部屋の重力が増したように感じられた。
ヘルメヒトの口からかすかに漏れる呻吟が、やけに大きく感じられた。この音が途絶える時、この男は死ぬのだろう。
「なぜ、俺を呼んだ――?」
「つれないことを言うなよ、相棒」
「相棒じゃない、この仕事で会ったばかりの仲だ」
「それでも、他の傭兵どもよりはよっぽど信頼できるさ。だから、お前に頼みがあるんだ。聞いてくれるか――?」
「とりあえず、聞こう」
「この仕事の報酬が出る。けっこうな金額だ。そいつを、俺の家族まで届けてほしいんだ」
「――いやだ」
俺は首を横に振った。本当にいやだった。
家族に金を届けるということは、同時に、ヘルメヒトの死を伝えるということに他ならない。そんな死神のような役目は、死んでも御免だった。
「なあ、頼むよボガード。ゼニをちょろまかさずに届けてくれそうな男は、お前ぐらいしか思い当たらないんだよ」
「見込み違いだ」
「そんなふうに応える時点で、お前は誠実だよ。ちょろまかすつもりなら、ふたつ返事だ」
「買いかぶるなよ、俺はそんな人間じゃねえ」
「なあ、ボガードよ、お前には妻やガキがいるか?」
「いや、いない」
「厄介なものさ。いるとうるさいし、うっとおしいし、すぐに大声で怒鳴りやがる。だがよ、不思議と、こうしていると、あいつらの顔ばかり浮かんでくるんだ。かけがえのない、宝物なんだ――」
「―――――」
「あいつらのためになら、なんでもしてやれる。そんなものなんだ。家族ってよ」
俺には、なんと応えたらよいか、わからなかった。
なぜなら、俺には家族と呼べるものはなかったからだ。
やさしくしてくれた爺さんはいた。
だが、物心ついたころには、あの人はいなくなってしまった。俺は天涯孤独といってもいい境遇に立たされちまったのだ。
それが理由だろうか。おれが所帯を持ちたがらないのは。
美津子とうまくいかなかったのは、すべては俺の、愛すべきものを背負う覚悟のなさのせいだったのだろうか。今となっては、わからない。
ヘルメヒトは、俺をじっと見つめていた。
瞳には、懇願するような光が宿っている。
やめてくれ。そんな切羽詰ったような眼で、俺を見るのは。
しばしの沈黙のあと、俺は応えた。
「……わかった。受けよう」
「――ありがたい。ボガード、本当にありがとう」
ヘルメヒトは、ベッドに横たわったまま、ぐっと俺の手を握った。
ほとんど力の感じられない、弱々しい握手だった。
ああ、本当にこの男は死ぬのだという、実感だけが伝わった。
それからヘルメヒトは、さまざま物語った。
妻と出会ったなれそめから、ガキが産まれたときの様子を。
傭兵としてそれなりに名前が売れて、ダラムルスから『白い狼』にスカウトされた誇らしい気分を。それから今日までの闘いの記憶を、おそらくいくらかの誇張を含めて、語りつづけた。
俺はただ、静かに相槌を打って、聞いていた。
それはおそらく、自分の墓碑に文字を刻むような行為だったのかもしれない。彼はひたすら、その作業に没頭しつづけた。
それが終ったと識ったのは、彼の口が動かなくなったときだった。
「――神の元へ、旅立たれました」
薬師が、静かに告げた。
こうしてヘルメヒトは、死んだ。
・・・・・・・・・・・
どうにもやりきれない気分で、俺はちっぽけな建物を後にした。
心がざわついて、どうにも収まらない気分だった。
外に出ると、セシリアが立っていた。
どれくらいの時間、そうして待っていたのだろう。
「大丈夫ですか――?」
開口一番、彼女はそう声をかけてきた。
俺はよほど、ひどい顔色をしていたに違いない。
「ああ、大丈夫だ。なにも問題ない――」
「そうは見えません」
セシリアは、本当に心根のやさしい娘なのだろう。
俺の身を案じてくれているのが、ひしひしと感じられる。
だが、今はそのやさしさに甘えていたくはなかった。
「本当に大丈夫だ。……すこし、1人にさせてくれ」
「わかりました。でも、その――」
セシリアは言いにくそうに口ごもった。
おそらく、さっきのことだ。告白の返事が欲しいのだろう。
こういう事態に直面したいま、訊くのはどうか――。
それでも、返事が欲しい。その葛藤が表情にあらわれていた。
「セシリア。さきほどの話だが――」
「――はい」
「しばらく、保留とさせてくれ」
「――わかりました」
彼女は俺を案ずるように、少しの間こちらを見つめていたが、やがて優雅に一礼し、去った。
俺は独り、残された。
本当は、はっきりと振ってしまうのがよかったかもしれねえ。
でもいまは、彼女の悲しむ顔は見たくなかった。
押し殺しきれぬ、沸騰した感情が湧いていた。
俺は、あふれでる気持ちを堪え、唇を噛んで歩くほかなかった。
ここがドヤ街だったらよかった。あるいは、道場であったらよかった。
ドヤ街であれば、ガラの悪そうな輩相手に喧嘩を売ることができる。道場であれば、ぶっ倒れるまでスパーリングができる。
しかし、ここはのどかな寒村にすぎない。
善良そうな村民に喧嘩は売れない。傭兵相手にもそうだ。
結果、俺はうつむいて、体力を消耗しきるまで歩くしかない。
「しょせん、俺たちなんぞ、乾電池に過ぎないのさ――」
それでもあふれる感情がつい、言葉になってほとばしった。
傭兵の命なんぞ、単なる消耗品にすぎない――。
ヘルメヒトの哀れな死に様が、俺にそう言わせたのだ。
お待たせしました。『傭兵というもの』その7をお届けします。
かなり間が開いてすいません。次話は翌火曜を予定しています。




