その2
俺はあらためて相手の立ち姿を見た。
やはり大きい。俺より20センチはでかいだろう。
そうすると、リーチ差はさらに途方もなく大きくなる。
さらに、ざっと一瞥するだけで、着ている服の内部には、鍛え抜かれた肉体が潜んでいることがわかる。それだけでも、途轍もない脅威だ。
俺はざっと両の拳を上げた。
俺の基本は、顔面を守るアップライトスタイルだ。
空手はさまざまな構えがある。双手の構え、尾鱗の構え、前羽の構えなど、多岐にわたる。だが俺は、このアップライト・スタイルが気に入っている。
顔面攻撃への対応が、迅速だからだ。
柔道と違い、空手の流派は無数にある。
そのうち大別すると、ふたつ。
まずひとつ目が伝統派――いわゆる寸止め空手だ。こちらは空手人口の大半を占めている。誰だって自分の子供を、危険な競技に参加させたがるわけがない。そういった事情から、空手は初期の、徒手空拳にて人を殺すという目的から、安全面を考慮した方向へとシフトしていく。
それに異を唱えたのが、実戦空手の巨人、大岩武神である。
彼は実際に身体に打撃を当ててぶっ倒す、フルコンタクトの空手、『武神流空手』を提唱し、空手に一大ムーブメントを巻き起こした。
これがふたつ目の、フルコンタクト派だ。
だが、武神流にも問題がなかったわけではない。
頭部への蹴りはよいが、パンチは駄目なのだ。
鍛え抜かれた空手家の拳が、顔面に入れば、即死はまぬがれないとの理由からだ。あまりに危険すぎるという理由で、顔面パンチは封印された。
今度は、それにも異を唱える人々が現れた。
大岩武神の高弟たちだ。彼らは言った。
「実際の戦闘で、顔面パンチの対処は避けられない」と。
確かにそうだ。ボクシングなどは、蹴りがない代わりに、顔面とボディへのパンチ技術に特化している。ムエタイもそうだ。それぞれの格闘技のバックボーンを持つ選手が、異種格闘技戦を行うことで交わるようになってきた昨今、顔面ありは、時代の潮流として不可避の問題になってきたといっていい。
彼らはグローブ着用での顔面ありを模索し、あるいは防具をつけての顔面ありを提唱し、それぞれ新たな流派を起こして去っていった。
俺の師匠である、天空寺猛虎も、その離脱した高弟のひとりだった。
天空寺塾では、打撃のみならず、掴みや投げの研究も盛んだった。
とはいっても、
俺は特に、こだわりをもってこの塾に入ったわけではない。
たまたま俺に武道を習わせようと思った親父が放りこんだのが、この猛練習をもってなる天空寺塾だったというわけだ。
そいつが、俺のバックボーンになっている。
だらだらと中途半端な修行をしていたら、この異世界で、とっくにお陀仏になっていただろう。習わされた当初は、こんな苦行が何の役に立つのかと、大いに疑問だったが、人生、なにが幸いするかわからないものだ。
俺は、この大男の攻略方法を考えていた。
どんなに巨体でも、確実に倒す部位はある。金的と、目玉だ。
誰だって、この部分だけは鍛えられない。
俺は最初から、そこを狙うつもりだった。だが、敵もさるものだ。
左足を前に出して半身の姿勢になり、顎をぐっと引いて、顔面への攻撃を遠いものにしている。ただでさえリーチ差があるのだ。これでは、ふたつの急所を狙うのは容易ではない。
ならば、コツコツとダメージを蓄積させて勝つしかない。
俺は攻略法を切り替えた。ローキックによる攻撃だ。
これならば、相手の間合いより遠くから蹴れるし、すばやく離脱するのも可能だ。
俺は地を蹴り、頭目の前脚に狙いを定めてローを放った。
驚くべきことが起こった。
なんと、頭目が、足を上げて、ローキックをカットしたのだ。
「どうしたい、驚いた顔をしてるじゃねえか?」
頭目が、にやりと笑みを浮かべたまま、訊いてきた。
俺の表情は、さぞかし驚愕の色に染まっていただろう。
それを振り切るように、もう一度、ローを放つ。
結果は同じだった。またも頭目は、先ほどと同じように、確実に俺のローをディフェンスしてみせたのだ。
――ありえねえ。
ロー・キックは近代兵器だ。かつてミトズンは俺に言った。この地にかつてカミカクシが訪れたのは、200年ほど昔だと。
すると琉球唐手か。それとも古式ムエタイか。
いや、どちらにもローキックはない。
無いはずの技術を、この野盗の頭目が識っている。さらに平然と防御しているという事実は、俺には受け入れがたいものがあった。
それが隙となった。頭目はすぐに攻撃に転じている。
「どりゃああああっ!!」
気合とともに、腕による打撃を放ってきた。
パンチというより、横薙ぎのラリアットというに近い。
当然、俺はダッキングでかわすが、そこに相手は膝を合わせてきた。
やばい。俺は奇跡的な反射で、それを腕でガードした。
すさまじい威力だ。ガードの上からでも効く。
俺はたまらず後方へと飛び下がり、距離をとった。
さいわい、ガードした腕は折れてはいない。
だが、いまも少し痺れている。この機に間合いを詰めようとした相手に対し、俺はさらに距離をとる。ダメージの回復が目的だが、心理的動揺から立ち直る時間も必要だった。
「どうしたい、さっきまでの威勢は。逃げまわってて、どうやって俺を殺ろうってんだい?」
頭目は俺を嘲笑した。背後の連中もどっと囃し立てる。
俺はその声を無視して、大男に問いかける。
「その技術は、どこで習得した――?」
「――言う義理はねえな」
「やはり、誰かに習ったわけだな。それは誰だ。この土地に住むものか。それとも、カミカクシか――?」
「言う必要はねえと、言ったはずだ――」
頭目は、ふたたび攻撃をしかけてきた。
だが俺は、今度は逃げない。再度ローキックを放った。
「――馬鹿のひとつ覚えか」
頭目は、ふたたび膝を上げてカットしようとした。
バチンと、乾いた音が響いた。
今度は頭目が後方へと下がる番であった。
「貴様――いま、何をした?」
「ローキックさ、あんたも識ってる、な」
やはりだ。この頭目は、それほど実戦慣れはしていない。
今のローキックは、フェイントを入れたのだ。俺は、これまでのようにアウトサイドからローを撃つと見せかけて、前脚の内側へ――インローを放ったのだ。
俺は再度踏みこんで、もう一度インローを放つ。
フェイントをかけて、今度はアウトローを放つ。
面白いように、ローキックが決まるようになった。
頭目の前脚の大腿部が、みるみる赤く染まっていく。
フェイントにまるでついていけないのだ。
「どうした、さっきまでの威勢は?」
俺は鸚鵡返しに、さっきと同じセリフを叩きつけてやった。
頭目は般若を思わせる表情で俺を睨んでいるが、やすやすと踏みこんではこない。ローの威力を存分に堪能したせいだろう。しかし、この男は本当にタフだ。
普通の人間なら、とうに痛みに耐えかねて、地を這っているだろう。それぐらいの分は蹴ってやったはずだ。
だが、この男は脂汗を流しつつも、まだ立っている。
今なら金的も狙えるかもしれない。だが、油断は禁物だ。こいつはローキックのカットを識っていたのだ。他にどんな技術を持っているか、識れたものじゃない。
俺は深く踏みこむ事は避け、またローを放つことにした。
しかし、心のどこかに、ちょっとした油断があったかもしれねえ。
機動力を完全に奪ってやったと、思いこみすぎていた。
なんと相手は、俺のローのタイミングに合わせ、タックルを放ってきた。
タックルといっても、レスリングを習得した連中のように、洗練された動きじゃなかった。だが、ローの体勢に入っていた俺には、膝を合わせる余裕もない。
ふたりとも不恰好に地を這い、俺は押しつぶされる形になった。
なんとか払いのけようとするが、体重も、膂力も相手の方が上だ。
頭目は俺の上に覆いかぶさる状態になった。俺は俺で、馬乗りになられまいと必死に身体を動かして防御する。やがて、下になった俺の両脚が、頭目の胴体に巻きつく形となった。俗に言うガードポジションだ。
「ガハッハッハ、俺の勝ちだ!」
相手はガードポジションから、拳を振り下ろしてきた。
この状態を素人が見れば、上を取ったほうが勝機を握ったと考えるのが妥当だろう。だが、実は下からも様々な展開が狙えるので、特にどちらが優位というわけじゃない。
油断をしたほうが負ける、それだけだ。
そして頭目は、この体勢を取ったことで、完全に油断をした。
巨大な拳が持ち上がり、俺の顔面めがけて落ちてくる。
もろに喰らえば、地獄行きだろう。だが、俺はギリギリでその拳をかわし、握り、ぐいっと内側に引っぱりこんだ。上体が突っ込んだ状態となった頭目の首を抱えこみ、さらに俺は両脚で挟みこんだ。
三角締め――さすがに頭目も、この技は識らなかったようだ。
頭目は、必死に俺の両脚を振りほどこうと、空いたもう片手で俺の顔面を殴る。俺の鼻から鮮血が流れるが、すでに威力は死んでいる。鼻の軟骨を折るほどの打撃は撃てない。
やがて、必死にもがいていた頭目は、完全にその動きを止めた。
気絶したのだ。
俺は、大男の下から這い出ると、鼻血をぐいっと指でぬぐい、
「簡単には殺れねえって、言っただろう――?」
と、言ってやった。
『傭兵というもの』その2をお届けします。
今週中にその3はお届けしたいと思っています。




