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その10

――退き時をしくじった。


 このとき、俺の脳に稲妻のようによぎったのは、その一言である。

 そもそも、俺の行動は傭兵として、間違えていたのではないか。

 劣勢の戦場から撤退するのは、傭兵として当然だ。

 傭兵とはしょせん、金で雇われただけの兵にすぎない。

 守るべき領土も、家名もない。

 最も護るべきなのは、自分自身の身体なのだ。


 それをわきまえていながら、こんな死地に追いやられてしまった。

 舞い上がっていたのだ、俺は。

 そうとしか思えない。

 偽とはいえ、姫様の馬車へと呼ばれて、どこか光栄なことだと舞い上がっていた。周囲を見渡しても、逃げ道はない。頼るべき仲間もない。

 むしろ、戦闘能力のない、足手まといな女が3人もいる。

 状況はほぼ、詰んでいる。もはや俺は死ぬしかない。

 いざという時のことを、常に考えておくのが、真の傭兵ではないか。


 俺はそれを怠った。それで、このザマだ。

 このときの俺は、よっぽど切羽詰った顔をしていたに違いない。

 偽姫様から、「あの、大丈夫ですか?」と心配の声をかけられたほどだ。

 大丈夫なものか、これ以上危機的状況もない。

 だが俺が言葉にしたのは、まったく別のセリフだった。


「――大丈夫、3人でひとかたまりになって、動かないで下さい」

 

 それは俺の、男としての精一杯の矜持だったのかもしれない。

 出入り口は馬車の最後尾にある扉、ひとつだけだ。

 俺はその扉を開くと同時、馬車によじ登ろうとした男の顔面を蹴った。

 ちょうど、顔が腰の高さに来ていた。おあつらえむきだ。

 面頬のない顔の、人中のあたりに前蹴りが炸裂した。

 ブーツ底での蹴りだ。うまく上足底で蹴れないだろうと判断し、爪先を意識して放った。素足だと折れてしまう可能性が高いので、普通はこういうやり方はしない。


 死んだかどうか、確認する(いとま)はない。

 馬車をとりかこむように、複数の『流星』がわらわらと湧いている。

 もう一度、前蹴りを放つが、今度はいい一撃とはならなかった。間合いが遠い。

 俺の踏みこみが足りていないのだ。 

 この数だ。下手に踏みこんで前蹴りを放っては、足をとられてしまう可能性が高い。そうなったが最後、群れのなかに引きずりこまれ、あっという間に挽肉にされちまうだろう。


 空手には、対多人数を想定した練習もある。

 対武器を想定して創られてもいる。

 だが、そういうことが実際に行われるかというと、そうじゃない。

 世界大会で優勝するような選手が、路上で武器を携帯した多人数のごろつきと闘って回るのかというと、そんなことは、ほぼありえないのだ。

 ありえないことを、ひたすら練習する馬鹿はいない。

 時間は有限であり、覚える事はあまりに多すぎる。

 それよりも、もっと突きを今より磨いたほうがましだ。

 もっともっと、蹴りを磨いたほうがましだ。

 そうしないと、他の選手に置いていかれる。

 俺が惰眠を貪っている間も、肉体を凶器に変えるべく、ひたむきに練習しているやつが、世界中にはごろごろ転がっているのだ。

 みんな試合に勝ちたいのだ。勝ちたいがために、あらゆることを犠牲にして練習に打ち込んでいるのだ。練習のし過ぎで、オーバーワークになった選手を、俺は何人も識っている。怪我をしても、なお練習をやめないような連中も識っている。

 

 俺もかつては、そうだった。練習のし過ぎで、ぶっ倒れたことがある。

 それでもなお、練習をする。あまりにも非科学的だが、理屈じゃなかった。

 血がたぎって、どうしようもなかったのだ。


 あのとき、対武器の練習を真剣にやっていれば、もっとましな動きができたかもしれない。だが、所詮はこれも、単なる繰言にすぎない。

 いまさら悔いても、何ひとつ返っちゃこねえんだ。

 

(俺はちょいと、現実逃避しかかってるな)


 すでに3人ほどを撃退したが、なおも敵の士気はさかんだ。

 俺の有利なポイントは、いくつかある。まず、敵の目的は、お嬢様を殺害することではない、という点。――つまり奴らは、あてずっぽうに馬車ごと破壊するような、無茶な攻撃は出来ないのだ。

 そして、馬車の侵入口が、俺が死守している扉のひとつしかないという点。

 

 これが四方八方から襲い掛かられていたら、もう終っている。

 だが、俺がここで粘っているかぎり、彼女は攫われずにすむのだ。

 俺は基本、右利きなのだが、敢えて逆構え(サウスポー)にスイッチした。

 そして右手に、剣ではなく、バックラーを握る。

 片膝立ちになり、そこから相手の顔面に、最速で拳を放つ。

 左によるジャブではなく、先に強いストレートリードを当てるのだ。

 空手というよりも、ジークンドーの思想に近い。 

 もともと俺の通っていた天空寺塾は、他流派の技を使用することに寛容だった。勝つためなら、あらゆる格闘技の突きや蹴りを認めるような処だったので、俺も若い頃は相手の裏をかくために、様々な工夫をしたものだ。

 

 俺は無心になっていた。最速で、バックラーを振るう。

 ときには、相手の剣が降ってくる。そいつも、前面のバックラーで受け、あるいは流し、隙を見せた顔面に引き戻したバックラーを叩きつける。

 俺のバックラーの盾心には、鋭い棘のようなものが生えている。

 そいつは相手の顔面をえぐるのには、かなり具合がいい。

 

 どれくらいの時間が経過しただろうか。

 俺は愚鈍にひとつの行動をくりかえす、機械のようになっていた。

 ひたすら、前面のバックラーを放つ。ひたすら、前面のバックラーで受ける。

 全身が粘る汗で、しどとに濡れていた。

 やはり俺は、年を喰ったんだと実感する。

 すでに疲労で、右腕が鉛のように重くなっている。徐々に攻撃速度が遅くなっているのか、反撃を受ける割合が多くなっているのに気付く。

 このままでは、引き手を取られて接近を許してしまうかもしれない。

 だが、これをやめて、どうするのか。どうする手はずもない。

 剣を振ってみるか。完全武装した相手に、数打ちの剣を。

 いよいよ右手が使い物にならなくなったら、そうするしかない。


 だが、そいつは終わりの始まりだ。

 そしてその瞬間は、もう間近に迫っている。

 かつては永遠に放っていられると思っていた右の突きだったが、衰えというものは哀しいものだ。この右腕は重い。あまりに重過ぎる。

 

――ついに、野盗のひとりに、引き手を取られた。

 反射的に、俺は左手に握った剣を、そのまま真っ直ぐにぶち当てた。

 柄頭が相手の顔に突き刺さる。相手は前歯と鮮血を撒き散らして後方へぶっ飛んだ。――もう、ここまでだろう。俺は左手で剣を振るってみる。

 駄目だ。剣先の動きがにぶい。

 日ごろ練習していない左手での剣使いは、まるでものの役に立ちはしない。だが、他に取るべき手段もない。振るい続けた右手の代償は大きかった。疲労困憊。自由に動くのは利き手ではないほう。

 そして敵の戦意はまだ損なわれてはいない。 

 

 畜生、まだ救援はこないのか。

 相当な時間が経過したような気がする。だが、ひょっとしたら、まだほんの数分しか過ぎていないのかもしれない。時間の感覚が消失していた。

 俺はもう、ここでくたばるしか道はないのか。

 偽の姫様を護り通して――いや、護れもせず、くたばるのか。

 

「――ボガード、馬を疾らせろ!!」


 そのとき、よく通る高い声で、叫んだ者がいる。

 レミリアだろう。馬車をとりまく『流星』の包囲網が、不意に崩れたった。

 包囲した『流星』の背後から、傭兵たちが一気呵成に責めかかったのだ。

 今度は『流星』たちが泡を食う番であった。

 あちらこちらで耳障りな演奏がなりひびいた。剣が撃ちかわされる不規則な光と音のハーモニーが、森林を混沌の巷に変えた。


「馬を……疾らせろ……っ!!」


 俺はあえぐように、御者に叫んだ。彼はあろうことか馬車の底に隠れていたが、そのおかげで難を逃れたともいえる。


「へ、へいっ」


 御者はあわてて応えるや、御者台に駆けのぼり、二頭の馬に鞭をくれた。

 手綱さばきも鮮やかに、馬車はぶらさがった撞木を回避し、街道をひた走った。背後からはあきらめの悪い『流星』たちが、徒歩で俺たちの馬車に追いすがる。

 俺はといえば、もう疲労の極に達し、馬車の床に仰向けに倒れこんでいた。

 振動がダイレクトに背面に伝わり、不快だったが、立つ気力も無かった。

 そのとき、不意にやわらかいものが、俺の頭を支えた。

 視線を上げると、そこに心配そうな瞳があった。偽姫様が床に座って、俺の頭を膝枕で抱えてくれていたのだ。

  

「――大丈夫ですか、ボガードさん」


「名前を……」


「え?」


「本当の名前を、教えてくれよ……」


 俺はかろうじて、それだけの言葉を絞りだした。

 

『大きな仕事』その10をお届けします。

次話は今週中には出したいなと思ってます。

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