表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/145

その9

「――おい、ボガード、朝だ」


 俺はレミリアたちに起こされ、淡い夢から醒めた。

 周囲を見渡すが、まだ昏い。陽は昇っていないようだ。

 俺は、深く酸素を肺へ送りこみ、そいつを咀嚼する。

 空気はまだ夜の味がする。

 払暁――傭兵たちの朝は早い。あちこちから身を起こす気配がする。

 俺は軽く柔軟をして、身体の調子を確かめた。さいわい、どこにも痛みはない。だが昨日の激戦の疲労は、完全には払拭できてはいない。

 若い頃はよかった。どんなに疲労していても、翌朝には、すっきりした気分で起床できたものだ。

 だが、失われたものは戻らないもんだ。

 割れたコップを、どんなに繋ぎ合わせても、もとの状態には戻らないように。


「どうしたボガード、宿のベッドが恋しいか?」


 ヘルメヒトが、何気なく声をかけてきた。

「そりゃそうだ」と応えるしかない。 

 いつ襲われるかも知れぬ、気を張った状態での野宿では、安眠できないのは当然だ。それに火があるとはいえ、森の夜は想像以上に冷える。

 考えてみれば、俺はこの異世界に落ちた最初の段階で町に到着し、屋根のある暮らしばかりを送ってきたのだ。こんな生活があと数日続くかと思うと、正直げんなりするぜ。

 こいつがたとえ、現代人特有の甘えといわれても。


 傭兵とは、こういう日々を平然と送れなければ駄目なのだろう。

 昨日のシャアハの言葉が頭をよぎった。


(お前の動きは、洗練されていない)

(本当の傭兵の素人だということは、見ていてわかる) 


――そのとおりだな。まあ、命があるうちに学習するしかねえ。

 

 朝食を摂る間もなく、俺たちは出立した。

 馬車の音は軽快に、街道にこだまする。俺はといえば、昨日と同じように、中央の馬車に呼ばれている。偽姫様の旅の無聊を慰めるために、さまざまな話をしている。

 俺のぶっきら棒な語り口に、彼女は満足しているのだろうか。

 正直なところ、自信はない。

 だが、彼女は無邪気に、俺の話に没頭してくれているようだ。

 

 俺はすでに、いろんな話をした、と思う。


 たとえば龍よりも速い、人間が造った空飛ぶ鉄の塊の話。

 たとえば馬車よりも疾く移動できる、鉄道の話。

 そして、会話もできれば文字も打ち込め、写真も撮れる小さな板の話。

 

 だが、いずれにしろ、テクノロジーに疎い俺の説明は要領を得ない。

 相手も上品に頷き、それなりに納得している顔をしているが、内心は寸分の一も理解できているかどうか、わからない。

 彼女はいつしか、形のよい柳眉を寄せて俺を見ている。

 訊こうか訊くまいか、躊躇している顔だ。


「……もしよろしければ、ボガードさん自身のお話を聞きたいですわ」


 と、言ってきた。


「そういわれても、簡単なクエストを受けては、宿で寝るの繰り返しですよ」


「いえ、そうじゃありません。異世界(ニホン)での暮らしぶりをお聞きしたいのです」


「――訊いて、どうするんです?」


「異世界の暮らしというものに、興味があるのです。特に――」


「特に――?」


「恋愛とか、どうされているのかな、とか――」


「そりゃあ、当然――」


 と、言いかけて俺は口を閉じた。

 俺たちの世界では、恋愛結婚は普通だ。むしろ、それしかねえとしか言いようがない。だが貴族社会は違う。生まれ落ちた瞬間から、婚約者が決定されているような世界だ。

 単純に、恋愛というものに憧れがあるのだろうか。


(いや、待てよ。この娘は本物の貴族のお嬢様ではないはずだ)


 そう考えると、少し頭が混乱してきた。

 だが、ここで余計な詮索を入れるのも野暮かもしれない。

 俺のそうした思惑をよそに、彼女はさらに問いを重ねてきた。


「ご結婚は、されているのでしょう? ボガードさんぐらいのお歳なら」


「――いや、してないですね」


「ええっ!! どうして?」

 

 偽姫様は、こっちが反応に困るぐらい劇的な驚愕っぷりをみせた。

 確かに、俺の同級生のほとんどは、結婚し、子をもうけている。だが、現代日本じゃ、男女のあり方も複雑化している。結婚していない男女も、割合的には多くなっている。俺みたいなやもめ暮らしも、そう不審なことではない。

 しかし、この人の命の軽い異世界では、ちいとばかり事情が異なるようだ。

 俺ぐらいの年齢で結婚していないのは、かなり奇異なことなのかもしれない。


「――まあ、いろいろあった、というべきでしょうか」


「とても意外です。好きな方とかはいらっしゃらないのですか?」


 いた――ことは、あった。

 学生の頃と、5年前のことだ。

 あまり振り返りたいような記憶でもない。

 学生の頃の俺は、ただの馬鹿野郎だった。

 とにかく荒れていた。親の愛を知らず、教師も信じられず。ひたすら内蔵を焦がす、煮えたぎる怒りのマグマで、沸騰しそうな日々を送っていた。

 すべてを憎んでいたし、すべてを傷つけていた。

 他人も、自分も、愛する人でさえ――。

 

 もうひとつの愛は、5年前に破綻した。

 俺の煮え切らなさが、別れた原因のすべてだった。

 自分で、自分がどうしたいのか、わからなかったのだ。

 結婚して、子供を育て、彼女と幸せな家庭を築く。そんな未来予想図が脳裏に描けなかった。――いや、そいつも真実からは離れているような気がする。

 何かにケリをつけなければならない気がしていた。

 じゃあ、それは何かと彼女に訊かれると、答えられない。

 

 彼女――美津子とは、3年もつきあっていた。

 美津子も、すでに三十路手前まで来ていた。いい加減、焦りもあっただろう。だが俺はトラックの業務の多忙さを理由に、いつも返事を先延ばしにしていた。

 ある日、疲れて帰宅してみると、家には書置き一枚があった。

「もう、貴方を待つのに疲れた」と。

 部屋からは、彼女の衣類も、靴も、すべてが消失していた。

 

 そうだ。俺は、捨てられたのだ。

 俺は強がったものさ。なってしまったものは、仕方ないと。

 だが、どうしようもない心の穴が、ぽっかりと開いたまま、今でも閉じてはいない。

 すべては、俺の優柔不断が招いたことだ。

 どんなに身体を頑健に鍛え抜いても、心まではどうにもならない。


 俺は知らずに、胸元を探っていた。無性に煙草を吸いたい気分だった。

 はっと気がついて、偽姫様のほうを見る。

 彼女は身体の動きを止めていた。

 馬車は烈しく揺れていたが、彼女の瞳は揺るがない。

 風のない、青い湖畔のような静謐そのものの瞳で、俺を見ていた。


(まいったな……)


 俺はこんなつまらない戯言を、口に出して呟いていたのか。

 恥ずかしさで、今すぐ馬車から飛び降りたい気分だった。

 さぞかし俺を軽蔑しているだろう、と思い彼女のほうを見やる。

 意外な反応が待っていた。不意に静かな湖畔が揺れた。

 彼女の両眼から、ふたすじの涙の雫が流れ落ちていた。

 

「――――?」


 彼女の意外な反応に、俺が戸惑いを隠せないでいると、


「ご、ごめんなさい。どうしてかしら。お話を聞いているうちに――」


 そういって、また涙を零した。

 何に対する涙なのだろうか。俺にはわからなかった。

 待つのに疲れた、美津子に対する涙か。

 彼女に捨てられた、俺に対する涙か。

 多感な時期の女の子なのだ、深い意味はないのかもしれなかった。

 

 そんなくだらないやり取りをしているうちに、森の前方にほのかな光が見えてきた。どうやらこの暗い森林の出口が見えてきたらしい。


「ふう、やっとこの不愉快な森林地帯を抜けるな――」


 騎士のひとりが、そう声をはりあげた瞬間だった。

 すさまじい轟音とともに、目の前を疾っていた馬車が消失した。

 馬と、御者の悲鳴と、何かが大木に衝突する音が連鎖して起こった。

 俺たちを乗せた馬車の御者は、突発的な事態にあわてていたものの、行動は冷静だった。すぐさま回避行動をとり、俺たちの馬車を街道わきに止めた。お陰で背後を疾る馬車に追突されることもなかった。

 何が起こったのか、まったく理解できない。俺が慌てて馬車の窓から外を覗くと、信じられない光景が眼に飛び込んできた。


 撞木(しゅもく)だ。

 いや、巨大な丸太が、宙に浮かんでいたのだ。

 それで、俺はおおまかな状況を理解した。奴らだ。

『流星』が、ここに罠を張っていたのだ。

 先だっての戦闘で、彼らは学んだのだ。この部隊の最大の脅威が、最前列を走っている馬車に詰まった傭兵たちであるということを。

 そこで作戦を練ったのだ。中央のお姫様を傷つけることなく、傭兵だけを吹き飛ばす方法を。

 それがこの、巨木の枝に、ロープでぶら下げた撞木というわけだ。

 こいつで最前列の馬車を吹き飛ばし、中のベテラン傭兵たちを戦闘不能に追い込もうと考えたのだ。そしてその目論見は、まんまとうまくいったようだ。

 レミリアたちを乗せた馬車は、街道わきの大木に衝突したまま、微動だにしない。馬か御者が死んだのだろうか。

 中から、誰かが出てくる気配がない。気絶しているのかもしれない。

 

 彼らの代わりに、街道わきの森林から、躍り出てくるものがある。

 もちろん、『流星』の連中だ。

 彼らはすさまじい勢いで、目当ての馬車に殺到しはじめた。

 

 当然、偽姫と、この俺を乗せた馬車に――

『大きな仕事』その9をお届けします。

今回2話分をまとめたので難産でした。

次は来週の火曜日を予定しています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ