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その8

「――馬車の速度が、あがりましたね」


 偽の姫様が、窓の外の風景を見て、そうつぶやいた。


「へえ、申し訳ありません。そういう命令が下りましたんで」


 申し訳なさそうに、御者台の男が詫びる。

 行く手を塞いでいた岩がとりのぞかれ、それまでの旅の遅れをとりもどそうとするかのように、3台の馬車は速度をあげはじめた。

 俺は身構えた。当然、馬車の揺れも半端ないものになる。さらなるケツの痛みが、容赦なく俺を襲うだろう。俺はそう覚悟していた。


「あら、どうしましたの、ボガードさま?」


「いや、大丈夫。気にしないでください」


 俺は少し、腰を浮かしていた。空手の練習はきついが、我慢ができる。

 過程のひとつずつが、俺を強くしてくれるという実感があったからだ。

 だが、あのケツの痛さは我慢ならない。何の意味もない痛みだ。

 しかし、思ったほど、揺れがこない。このやけくそに豪華な装飾を施された馬車は、ひたすら目立つだけの、標的としての役割しかないと俺は思っていた。しかし、ひとつだけ取り得はあった。ケツへの痛みが、傭兵の馬車とは段違いにやさしい、ということだ。

 例のサスペンションが、この馬車には取り付けてあるのかもしれない。

 ということは、ほんのごく一部の特権階級の馬車にしか、その技術は使われていないということだろう。まあ、そういうことは、俺たちの世界でもよくあることだ。

 

「――よし、あと一刻ほどで野営としよう」

 

 騎士のひとりが、こちらの馬車の御者に、そう提案してきた。いや、これは提案というより、ほぼ決定である。この護衛任務の傭兵隊を率いるレミリアは、前方を走っている馬車のなかにいる。そして騎士たちは彼女の存在を無視して話を進めている。傭兵(おれたち)の同意を求めていないのは明白だった。

 最初の襲撃で、旅のスケジュールは遅れていた。多少の無理をしてでも、ここを出たがったレミリアの思惑は、理解できなくもない。

 

(あとでレミリアは怒るだろうが、どうすることもできねえな)


 本当に急ぐのなら、夜中の強行軍でもいいはずだが、そうしないのは、この森林地帯特有の暗さにあるのかもしれない。昼でさえ暗いのだ。夜になれば、何一つ見えない漆黒を疾ることになる。

 松明を持って疾るか? いや、敵が潜んでいると識っていて、そのような行動を採るのは無茶だ。

 ということで、結局、一刻ほど疾って、馬車は停止した。

 

――当然、まだ危険地帯である森林からは出てはいない。

 

 偽の姫様は、俺をいたくお気に召したようだ。

 

「ボガードさま、馬車の傍を離れないように、お願いします」


 と、子悪魔然とした微笑でのたまったものだ。

 本来、馬車の近くを護衛するのは、レミリアたちベテラン勢の任務だ。俺たちのような下っ端は、さらにその外側に陣取ることになる。そういうわけで俺は、ベテランたちと交代制で、姫の馬車の近くを護衛する羽目になった。

 まったくもって、居心地が悪い。

 特に、レミリアの不機嫌さが半端ない。怒りの波動が、ピリピリと空気越しに伝わってくるようである。

 その元凶である三人の騎士どもも、当然、交代制で偽姫の馬車の近くを警護している。無論だが、騎士どもと、俺たちとの距離は離れている。

 俺としても、そうしてもらった方が都合がいい。選民意識をもって見下してくる騎士連中とは、とてもじゃねえが、馬が合うなんて思えなかった。


 まずディーンとワコグルが、最初の見張り番となった。一刻半ほど経過して、俺は揺り動かされた。次は俺と、シャアハが見張りに立つ番だ。

 シャアハは頬の尖った痩せぎすで、どこか刃物を思わせる、鋭い顔つきをした男である。黙って焚き火の炎を見つめたまま、座っている。

 

 俺は彼に向かい合うような位置に、腰を降ろした。

 周囲は夜の気配、木々の香気が大気に満ちている。

 シャアハの瞳に、炎が揺らめいている。


「新入り、何も訊かないんだな――」


 おもむろに、シャアハが口を開いた。

 

「――ふむ。俺は、何を聞けばよかった」


「色々だ。お前の動きは洗練されていない。本当に傭兵の素人なんだなというのは、見ていてわかる。それならば、識らぬならば色々と訊いて、知識として蓄積しておいたほうがいい――」


「訊いて、素直に教えてもらえるとは、思えなかった」


「それでもだ。訊くことは、恥ではない。無知のまま、死ぬことが恥だ」


「――確かに、そのとおりだ」


 せっかくのベテランの傭兵と、行動をともにしているのだ。俺はもう少し貪欲になるべきだったかもしれねえ。だが実際は、この森林に入ってからの展開が、あまりに怒涛すぎた。

 慣れぬ戦場の、はりつめた緊張感。

 そして肉の内部に蓄積した疲労感で、そこまで気が回らなかったともいえる。

 ああ、しかし。こいつも単なる言い訳に過ぎなかったかもしれねえ。

 

「シャアハ、教えてくれ。戦場ではどうふるまうのが正しいのか」


「いいだろう、まず――」


 シャアハの瞳の炎が、不意に揺れたと思った瞬間だった――

 

 大気を斬り裂き、得体のしれぬ黒い塊がこちらめがけて飛来してきた。

 暗闇のなか、剣光が、きらめいた。

 二度。

 悲鳴とも、呪詛ともつかぬ叫び声を漏らして、何かが地表を滑っていった。

 俺はといえば、完全に度肝を抜かれていた。まさか頭上から攻撃が来るとは、予想だにしていなかったのだ。


「息の根を止めろ」


 静かな声が、俺の呪縛を解いた。

 慌てて俺は剣を抜き、地上でのたうつ黒い塊に接近した。

 そいつは人間ではなかった。巨大な蝙蝠(コウモリ)だった。

 日本に生息しているのは殆どアブラコウモリで、それほどでかくねえ。 

 だが、フィリピンに生息するオオコウモリは、人間ほどの大きさに成長することがあるそうだ。大きさとしては、世界最大らしいが、草食動物である。

 

 だが目の前のこいつは、そんな可愛らしい代物じゃねえ。鋭い牙が上下から伸び、露出している。こいつの正体がドラキュラだというなら、俺は容易に信じたろうさ。

 

「こいつは何なんだ?」


 俺は容赦なく、剣尖を喉首あたりに埋めこんで、確実にこの怪物の息の根を止めると、背後を振りかえった。ちょうどシャアハが同じように、怪物の首を切断したところだった。

 シャアハの手に握られているのは、シミターと呼ばれる湾刀だ。

 切り裂くことに特化した刀で、硬い鎧などを相手にするのには、あまり向かねえ武器だとされている。

 そいつを敢えて、メイン武器にしているのだ。シャアハには、決して折られない、という自負があるのだろう。

 

「こいつは森林蝙蝠(キロプテラ)という。肉食で、人間でも平然と襲う」


「なるほど」


「いいか、森林地帯の脅威は『流星』だけじゃない。こうした化け物が跋扈する、恐るべき世界でもある。よく注意する必要があるんだ」


「――そういや、初めて森に入ったときも、恐ろしい怪物に襲われたな」


 そうだ。俺はなぜ、この瞬間まで平然と忘れていられたのだろう。

 あの時抱いた、全身の皮膚が粟立つような、圧倒的な恐怖を。


「初めて入った森……もしかして、モルグルの森か」


「ああ。受付嬢はそういっていた。モルグルの森の怪物だけは気をつけろ、と」


「モルグルの怪物……もしかしてお前、人喰虎(ティンパーワット)に遭ったのか」


「あれは人喰虎(ティンパーワット)というのか」


「狡猾で素早く、人語も解するという知性ある化け物だ。誰も仕留めた者はいない。出遭ったら間違いなく殺されると言われている。よく、命があったものだ」


「生贄を捧げてね、見逃してもらったんだ」


「なに――?」


「冗談だ。忘れてくれ」


「――まあいい。よく憶えておけ、ボガード。火の番をするときほど、危険な瞬間もない。真っ先に狙われるのは、間違いなくそいつらからだ」


「目立つからか」


「目立つし、そいつらさえ殺してしまえば、他の者が目覚めるまで、部隊が完全に無防備になる。せいぜい気を最大限に張っておくんだ。そうすれば、もう少し長生きができる」


「なるほど。とても、参考になった」


 俺はそれから油断無く、周囲の気配を探りつつ、火の番をした。

 結局、その日――夜襲はこなかった。

 俺は次の当番である、レミリアとメルトを起こした。

 そして横になった。

 少しだけ夢を見たようだ。それは、あの人喰虎(ティンパーワット)が、ひそやかに近くへと忍び寄ってきて、俺を嘲笑する夢だった。



『大きい仕事』その8をお届けします。

次話は今週中に仕上げる予定です。

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