その7
ふたり目の男の息の根を止めたとき、俺は、正直な処、肉体的に限界だった。
すでにくたくただった。呼吸が荒い。全身が疲労感でふらつく。
アドレナリンの過剰分泌で、体力を想像以上に消耗していた。
通常、こんなことはありえねえんだ。空手の大会で、一試合ごとにこんな疲労を味わっていたんじゃ、優勝もくそもない。
ほんの、二回戦程度で敗退しちまうだろう。
つまり俺は、ど素人のような有様だったってことだ。
すかさず次の相手が襲い掛かってきていたなら、俺は闘えていたかどうか、わからない。
――だが、それは起こらなかった。
高い笛の音色が、鉄の激突する音を越え、森林に響きわたった。
すると、妙なことが起こった。
馬車を包囲していた『流星』たちが、潮が引くように、一斉に退却をはじめたのだ。
どうやらあの笛の音が、「退却」という合図だったのだろう。
襲撃側の『流星』の方が、甚大な被害を受けていたのは明白だった。
そいつは、地に横たわる死体の数で明らかだ。
こちらの傭兵の被害は、怪我人が4。死亡が1。
『流星』の怪我人の数は知る由もないが、死亡は6体。
うち2人を仕留めたのが、俺。3人はレミリアだ。
俺は初めての実戦で、ちょっとした武勲を立てたことになる。
敵の総数はわからないが、一度の戦闘で失ったにしては、かなりの損失だろう。相手側としては、衝撃だったはずだ。奇襲を仕掛けたほうが圧倒的に優位なのは、戦闘の常識だ。それに『流星』の野盗らしからぬ装備の充実ぶりは、驚くべきものがあった。
にも関わらず、作戦は成功しなかった。敵はこちらの戦力を舐めていた事を認識し、一時的に撤退して作戦の建て直しをはかったのだろう。
レミリアから、まだ油断せぬように、との号令が出る。
撤退したふりをして、再び攻撃を仕掛けてくるというパターンもあるらしい。斥候係に任命された傭兵たちが、四方へと偵察に駆ける。俺にその役が回って来たら、全力で拒否させていただくところだ。剣と盾を構えているだけで限界だったからだ。
およそ四半刻ほどの時間が経過すると、ようやく警戒を解いてもよい、との達しが出た。
俺は情けないことに、その場にへなへなと腰を降ろしてしまった。
終ったんだ――という安堵感が、すべてを上回っていた。
そこには、誇らしげな気分も、闘いの充足感もなかった。
ただなんとか命を繋いだという、安堵感のみが俺の身を満たしていた。
「――おい相棒。お互い、なんとか生き永らえたな」
ヘルメヒトが、ついさっきまで殺し合いをしていたとは思えない、牧歌的な笑顔を浮かべて俺のもとへ近よってきた。
俺はすぐに返事を返そうとして、できなかった。
咽喉が渇きすぎて、気管がぴたりと貼りついて閉じたかのようであった。
俺はあえぐように水筒の水を口中に流しこみ、どうにか声をとりもどした。
「――いつから、おまえが、相棒になった」
「ついさっきだ、ボガード。俺が最初、おまえに話しかけたのは、緊張をほぐすためだったのさ。お前ときたら、まるで石像が馬車に揺られているように、がちがちだった」
「そういうふうに、見えていたのか?」
「一緒に居た傭兵のほとんどは、それを察していただろうさ。それぐらいお前は入れ込みすぎていた。俺はいざという時、助太刀に入ろうかと思っていたぐらいだ」
「そうだったのか」
そいつは、かなり格好悪い。そんなことにならなくてよかった。
「しかしそいつは、取り越し苦労だった。ボガード、お前はすごいな」
「そうか?」
「ああ。初めての斬りあいで、ふたりも殺るだなんて、簡単なことじゃない。しかも、相手は完全武装していたんだからな」
そういいつつ、ヘルメヒトは今しがた俺が後掃腿で倒した野盗のそばへと近づき、いそいそと装備を剥ぎ取りはじめた。このツヴァイハンダーはでかすぎて、馬車には入りゃしねえな、などとつぶやきながら。
見ると、他の傭兵どもも敵の骸にわらわらと群がり、思い思いに死体の装備を剥ぎ取っている。
「これじゃ、どっちが野盗だか、わかりゃしねえ」
俺はあきれ顔でつぶやいた。
怪訝な表情でヘルメヒトがふりかえると、
「おい、ボガード、こいつらはお前の獲物だ。死体をあさる第一の権利はお前にある。お前は剥ぎ取らなくていいのか?」
「いや、俺はいい――」
俺は正直なところ、げんなりしていた。
傭兵と、野盗の差とはなんだろうか。という部分に思いを馳せていた。
単にギルドに所属しているか、いないかの差にすぎないのではないか。
どちらも腐肉に群がる、単なるハイエナに過ぎないのではないか。
そんなことを考えていると、レミリアの毅然とした声がひびいた。
「――いいか、『流星』の装備は漆黒で統一されている。したがって、その装備をしている者は、たとえ敵と間違えられても文句を言うなよ。味方に討たれるリスクを背負うんだぞ」
考えてみれば、そりゃ当然のことだ。特にこんな暗い森林では尚更だ。
傭兵たちはその言葉を聞いて、あきらかに鼻白んだ。
なかには胸甲に塗られた漆黒を剥ぎ取ろうと、剣の柄でこすっている奴もいる。まあ、塗られているのはまさかペンキではないだろうが、そう簡単にとれるものとも思えない。
馬車の前方を見やる。ちょうど、どかりと行く手を塞いでいる巨大な岩を、傭兵4人がかりで移動させようと頑張っているところであった。幸いなことに、手頃な大きさの棒はあちこちに落ちている。梃子の原理を使って動かせば、なんとかできないこともない。
俺はといえば、レミリアとともに、中央の馬車に呼ばれている。
今回の襲撃を防いだお礼を言いたいと、姫様が申されている、とのことだった。
「――此度のこと、本当にありがとうございます。あなた方の活躍、わたくしは決して忘れませんわ」
ふたりの侍女が馬車の扉をひらき、うやうやしく姫の左右にかしずいている。
姫は馬車のなかから降り、俺とレミリアにお礼の言葉をかけた。
白い清楚な服を着た、かわいらしい少女が、こちらを見下ろしている。
俺とレミリアは馬車の前で片膝をついている。頭を下げ、礼の姿勢を取った。
なんて茶番だ、と俺は思った。
姫様といっても、ここにいるのは本物のメアリー・マルローヌ嬢ではない。
作戦のために仕立てられた、偽のお姫様にすぎない。
だが、体面上、戦闘の功労者を称えるということをしないと、怪しまれる、ということなのだろう。傭兵の全員が、事実を識っている、というわけではないらしいし、また、全員が秘密を共有してしまうと、事実というものは、思わぬところから漏れちまうものだ。
三人の騎士たちが、苦々しい表情でこちらを見ている。
あまりぐずぐずもしていられない。もたもたしていたら、この後、やってくる本物と距離が近くなってしまう。猶予はあまりないはずだった。
「あなた、ボガードさん、と言いましたね」
「はい」
「あなた、カミカクシというのでしょう」
「――は、はい」
どこの誰が軽々しく、こんな事を漏らしやがったんだ。
ふと隣のレミリアを横目で見たが、彼女は無言で首を振った。
私ではない、ということだろう。
「よろしければ、道中のつれづれに、あちらの世界の話をしてくださらないかしら?」
「はい――ええっ、そいつは……」
「ひ、姫様、それはまずうございます」
慌てて、ふたりの侍女が制止する。当然のことだ。
ふとしたきっかけで、どんなぼろが出るかわからない。それにいくら偽とはいえ、姫様とごろつきの傭兵が一緒の馬車に乗るというのは、どうにもまずい。
しかし姫は、「決まりね」と、勝手にひとり決めしてしまうと、俺を馬車へと手招きした。俺は慌ててレミリアのほうを見やると、彼女はもう一度首を振った。
「私にできる事は、何もない」
と、いうことであった。
こうして俺は奇妙なことに、偽の姫様の話し相手として、一緒の馬車に揺られることとなった。向こうの世界の話といっても、俺は雄弁なほうじゃないし、聞かれても楽しい話ができるとは思えねえ。
「へえ、カラテっていうの、そんなに楽しいの?」
「トラック――? それは馬車より速いの? すごい!」
しかし、そいつは取り越し苦労というものだった。
俺の世界の話は、本物の姫様でなくとも、こちらの世界の住人にゃ、奇異に思えることばかりだ。気がつくと、侍女のふたりも、御者台に腰を降ろした男も、耳をそばだてて俺の話に聞き入ってるようだった。
まったく、勝手にしやがれ。
「大きな仕事」その7をお届けします。
次話は来週の月曜を予定しています。




