その8
「ひょうっ」
僕の口から、自然と呼気が漏れる。
馬上から僕の顔面目掛け、槍の穂先が振り下ろされる。
それを僕はギリギリでかわし、音を立てて顔の脇を通り過ぎる槍の柄をつかみとる。オープンフェイスの兜の下の顔が、驚愕に彩られる。
僕が柄を握ったまま身を旋回させると、馬上の騎士は宙を泳ぐように大地へ滑落していく。鞍を空にした馬が、僕の横を通り過ぎるとほぼ同時、二体の騎馬が斬りかかってきた。
槍術は学んだことがないが、おそらくはこうやるのだろう。僕は身体のおもむくまま、自由に穂をくりだした。
2頭の馬が僕の両脇を通り抜けていく。
馬上から鮮血をまき散らす死体を乗せたまま。
「ええい、手柄にはやるな! 歩兵、前に出ろ!」
後方から大声でわめいている男が、この集団の隊長だろう。剣を手にした歩兵たちが、じりじりと僕の許へと近寄ってくる。ここで呑気に彼らの接近を待っているほど、僕は気が長くはない。
助走をつけて槍を投擲すると、僕はそのまま前方へと疾駆した。標的に命中したか、いちいち確認する間も惜しかったのだ。
抜剣し、迎え撃とうとしたけなげな騎士の腰剣の柄頭に、僕はそっと左の掌を添えた。それ以上、剣を動かすことができず、男は身もだえしている。
「慌てずに、おやすみなさい」
僕はその言葉ののちに、右の掌底で騎士の顎先を撃ち抜いた。
全身をぴかぴかの固い鎧で覆っていても、顎先を外へ出していては話にならない。がしゃがしゃと鎧が耳障りな音を立てて僕の前に跪き、やがて土下座をするように前方に倒れた。
――その瞬間、僕は彼の前にはいない。
すでに風と同化して、次の男の前に駆けている。
「うおっ!!」
驚いたように、男は僕の振り下ろした剣を盾で受けた。
さっきの男の剣を、拝借していたのだ。
僕としては、これでいい。この一撃は、盾のガードを上げさせるためのものだったのだから。がら空きになった鉄製の胴鎧に、僕は右掌をそっと添えた。
「ふっ!」
気合とともに、打撃を奥部まで浸透させる。
「うげええっ!!」
男は両手で自らの胸を押さえつつ、よろよろと千鳥足でよろめきはじめ、やがて吐瀉物とともに地を這いずった。
頑丈な鎧で身を固めることは、正直に言って愚策だと、僕は思う。
ただ単に、動きを制限させ、身を重くするだけの枷にすぎない。
「――こ、この男、魔法を使うのか?」
「カミカクシは、魔法を使えないのではなかったか」
「魔法ではありません。技術ですよ」
僕は微笑みながら応じたが、ふと考えた。洗練された格闘技術は、魔法と同じものなのかもしれないと。少なくとも、その域に到達していない者には、そう見えることだろう。
では、僕と同じ領域にまで達したものがこの技を見たとき、どんな感想を漏らすのだろう。束の間、ボガド先輩の苦い顔が脳裏に浮かび、僕は笑みを深くした。
「どうしました? これでは、準備運動にもなりませんよ」
僕は静かな声で彼らを挑発した。
彼らの注意を、僕の方へと集める必要があった。調子に乗って、あちこちに散って略奪を始めていた兵士たちも、僕の許へと引き寄せられつつある。怒りで。
そうだ、もっと怒るがいい。
それでこそ、闘いがいがある。
「この野郎が!!」
剣光が、僕の背中へ向けて一閃した。その直前、僕は前方へ進んで目の前の男を掌で突き飛ばした。剣はむなしく大気を割り、空振りした男は勢いあまってよろめいている。
僕はその場で跳躍しつつ、蹴り足を背後に延ばした。ソバットと呼ばれる蹴り技だったように思う。
靴底に堅い感触があった。狙いあやまたず、兵士のオープンフェイスの顔面にソバットが炸裂したのだ。男は鼻血を噴出させつつ仰向けに吹っ飛んだ。
「隙ありい!!」
僕が着地する瞬間を狙って、剣を繰り出してきた男がいる。悪くない狙いだが、踏み込みが甘いようだ。反撃を恐れているので、自然とそうなってしまうのだろう。
そんなへっぴり腰では、僕は斬れない。
僕は男の剣の軌道を把握し、首をひねった。
髪の毛の末端だけを切断して、剣は通り抜けていった。男が舌打ちして第2撃を放とうとしてきたときは、僕はふたたび跳躍している。
両脚を天へ向け、両手で、男の兜を掴んでいる。
体操の前方倒立回転跳びの要領だ。
男の肩口で、倒立しているような状態である。
「な、なにが起こった!?」
自分の置かれている状況がわからず、男が叫んだ。
それが、かれの遺言となった。
僕は中身の詰まった兜を抱えたまま、彼の背後へと座りこむように落下した。僕の肩口に、彼の後頭部が乗っている。その状態のまま落下したのだ。
ごきり、と嫌な音がした。
男の首の骨が折れた音だ。
僕はその感覚を楽しむ間もなく、すぐに立ち上がった。結構な隙があったにも関わらず、周囲からの追撃がこない。僕が不審げに彼らを見回すと、その表情には明白な怯えの色があった。
「――こ、こいつ、悪魔か?」
「見たこともない、魔術のような技を使いやがる」
「どうしたのですか? 夜はまだ始まったばかりですよ」
残りの騎士は3人、兵は5人といったところか。戦力としてはまあまあだが、怯えていてはとても使い物になるまい。第一、彼らを統率する隊長がいなくなっているのだから、仕方がないことかもしれない。
彼はもう、永遠に号令を発することができない。
僕が先ほど投じた槍で、喉首を刺し貫かれ、無念の表情で天空を睨んでいるからだ。
「戦意がないのなら、とっとと帰りなさい」
僕は失望も露わに、そう告げた。
彼らのほうも、無念さを露わにしている。それもそうだろう。これほどの人数を揃えた部隊が、たったひとりの男によって敗北を喫しようとしているのだから。
彼らが村の門へと去りつつある姿を見て、僕も少し油断してしまったのかもしれない。注意力が散漫になっていた。もし、僕がその小さな影に気付いていたら、先手を打っておいたのだが。
「みいつけたあっ!」
「こんなとこにチビたガキが隠れているぜ」
彼らは門の暗がりに潜んでいたミルミルの姿に気付き、その下卑た手を延ばした。
「おやめなさい!」
思わず動揺してしまい、声を荒げてしまった。
「おやおや、先ほどまで余裕ぶっていた将軍様が、どうなされたのです?」
「ここからでもわかるぐらい青ざめてらっしゃいますよ」
弱味を見せてしまっては、交渉にならない。
「そんな子供が、どうしたというのです」
強がってそんなセリフを吐いたが、意味のないことだったようだ。連中は薄気味の悪い笑みを浮かべたまま、ミルミルの喉首に短剣を突き付けている。
「さあ、このチビガキを見捨てて闘いますか? それとも、両手を挙げて降伏しますか?」
「俺たちはどっちでもいいんだけどよ」
「さて、蒼月様の選択はいかに?」
自らが優位と見るや、途端に態度を翻す。見ていて吐き気を催す連中だ。とても赦す気にはならない。
こんな村のことなど、どうなっても知ったことではない。
こんな赤の他人の子供の命など、僕には関係がない。
僕の全身の毛が、怒りで逆立ち始めた。
それを脅威に感じたのか、男たちが緊張し、ミルミルの喉にあてがった短剣に力がこもった。切っ先が彼女の薄い首の皮膚を傷つけたようだ。つうっと小さな血がしたたり落ちる。
「逃げて……」
ミルミルの小さな声が、僕の耳に届いた。
その瞬間、握りしめていた僕の拳がほどけた。
どうやら悪あがきはよした方がいいらしい。
「わかりました。僕が殺されてあげましょう。――だから、その娘を放しなさい」
「手向かいはしやせんね?」
「くどいですね。これでどうです?」
僕は両手を頭上に掲げ、降参の姿勢をとった。
「よし、そのままだ、動くなよ」
連中は抜剣し、ゆっくりと僕の許へと近寄ってくる。
「お待ちなさい。その前に、彼女を自由にしてあげなさい」
彼らが約束を守るとは限らない。
最低限の条件はつけておくべきだろう。そう考えたのだ。
「解放してあげますよ、あなたの死後にね」
まったく、思わぬところに伏兵ありですね。この僕が情にからめとられるとは。
舌打ちしたい気分と、まんざらでもない気持ちと、両方がせめぎ合っている。せめて彼女が、無事に生きていられればいいのだが。
そう考えたとき、剣先が僕の喉に――
「――なんだ!!?」
男たちが驚きに眼を見開いた。
僕も不審げにそいつを見つめていた。
村の門に新たに出現した不気味な影に、全員が等しく驚愕していた。
両手と両足がとびきり太い。不格好な、重装甲の戦士のようでもあり、鈍重な亀のようでもある。無論、僕にはまるで見覚えのない顔だ。
「な、なんだ貴様は――?」
『外道に名乗る名はない――と言いたいが』
黒い重装甲の戦士は、笑みを浮かべながら応えた。
『光栄に思うがいい。貴様ら、このジュラギの発明品の実験台になれるのだからな!』
どんどんアップが遅くなっていって申し訳ない限りです。
次話は木曜日を予定しております。もう少し頑張ります。