その7
結局のところ、僕は無礼な来訪者を始末することはできなかった。
おそらく、いや間違いなく、連中はヴルワーンの命を受けて、僕らを捕縛しに現れたのだ。このような森林に埋没しているような隠れ里までやってこれたのは驚いたが、裏を返せば、ほとんどの町や村にはヴルワーンの手が伸びているということだろう。
どこを探しても僕らの姿を見つけられないので、しらみつぶしに全土を探索させているのかもしれない。今後の僕らの未来は、暗澹たるものだと思わざるをえない。
「さて、厄介なことになりましたな」
「ええ、追い返してめでたしめでたし、ということにはならないでしょう」
フォルトワとアルケーが眉根を寄せて、たがいの顔を見合わせている。僕はというと、それを無視するように、小刀を駆使して木片を削っているところだ。
これでも手先は器用なほうだ。
「蒼月殿、先ほどから何をなさっておられる」
「兎を彫っています。子供のおもちゃですよ」
「呑気なことを。あの連中は間違いなく斥候です。彼らが次にこの村に訪れるときは、多数の騎馬隊を率いてやってくるに違いありませんぞ」
「慌てても仕方がありません。――グルッグズ殿」
「なんですかな、蒼月殿?」
「まだ、ヴェルダさんからの連絡はないのですか?」
「いえ、先程の騒動のすぐあと、使いの鳥が飛んでまいりました」
「鳥?」
「はい。ヴェルダ師はよく魔法で造った鳥を使役なされます。便利で簡単な魔法だそうですが、遠方まで飛来させるには膨大な魔力が必要になります」
「なるほど、その鳥にはどういう指示が?」
「鳥が持ってきた手紙にはこうありました。『今宵、天陰り月はない。闇に紛れて北東の方角へ』とのことです。いよいよ時が来たということですな」
「そうですか。これは置き土産になりますね」
僕は短刀で掘りだした兎を、とんとテーブル上に置いた。――まあまあの出来だ。小さなお嬢さんはお気に召してくれるだろうか。ふとそう思い、長居などするものではないなと、僕は苦く笑った。
常々、あまり人と関わらないように生きてきた。
僕に近寄ってきた大多数の人々は、最初こそ好意的な笑みを浮かべているが、徐々にその態度が硬化していく。不思議な事だった。
子供のころから、その原因がわからなかった。最近になって、その原因が把握できるようになったように思う。それは彼らが内包しているコンプレックスに基づくものであるようだ。
これまで僕は、苦労というものとは縁がなかった。
これは誇張でもなんでもない。世の人間が最難関だの、不可能だのと騒ぐものに、僕は手を焼かされたことが一度もない。どれもこれも、僕にとっては容易く、単純で、つまらぬものばかりだった。おもしろいわけがない。推理小説を後ろから読み進めるようなものだ。
そういう態度が、人々は気にくわないことであるらしい。僕は挫折も苦労も知らないし、ものに執着したこともない。だから皆は、僕に対してこんなことを言う。『なんの面白みもない人ね』と。
それは仕方がないことだろう。
僕自身が、この世に面白みを見出していないのだから。
その自身の厭世観が、たまらなく嫌だった。
異世界――この世界は、僕が渇望した世界であったはずだ。
だがどうだ。この世界でも、僕の無聊を慰めてくれるものは何もなかった。その退屈な世界がいま、崩壊しようとしている。とるに足らない小人物と思っていた、ヴルワーンという男のお陰で。
(この僕が、逃走ですか。なかなか面白い事態になったものです)
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月はおろか、星明りとて見えぬ曇天であった。
遠慮がちな松明の灯りのみが、唯一の村の光源であった。僕らはすでに馬車に待機して、村長の合図を待っている状態だ。
「短い間でしたが、楽しかったですよ」
「我々も、『氷の将軍』のお役に立てて、光栄です」
「もう、そのふたつ名に相応しい身分ではありませんがね」
老狼が差し出した手を、僕は固く握った。
頃はいいようだ。付近を見張っていた狼族の男が、手を振ってゴーサインを出す。御者台に座ったフォルトワが一鞭くれると、馬車はゆっくりと村を離れていく。
最後にミルミルとゆっくり話せなかったのが、心残りだ。
彼女のために彫った木造りの兎の表面を撫でる。今日、この村を出ていくことを告げると、ミルミルは泣きながら部屋を飛び出していった。
多少、心が痛まないでもないが、子供の心は柔軟だ。僕のことなど、すぐに忘れることだろう。そう思い、木彫りのおもちゃを懐にしまい込む。
ふと、僕は息をひそめた。何かが聞こえたような気がしたのだ。僕は傍らに腰を降ろしているアルケーに尋ねた。
「なにか、物音がしたようですね」
「そうですか、私には何も聞こえませんが」
「そんなはずはないのですが」
「蒼月様の気のせいですわ」
彼女の返事はにべもない。不審だった。僕の聴覚は、普通の人間より優れている自負がある。だが、彼女はエルフなのだ。その耳の良さは、人間などの比ではない。
「なにか、隠しているのではないですか?」
「…………」
「答えられぬ、ということですか」
沈黙が雄弁な答えであろう。僕は次にフォルトワに声をかけた。
「あなたにも、聞こえているのでしょう?」
「申し訳ありません、蒼月様」
「どういうことです?」
「グルッグズ殿から言われているのです。何があっても、馬車の速度を緩めるなと」
僕はハッとして窓から外の様子を見た。背後に小さく消え去ろうとしつつある村が、闇に明るく浮き上がっているのがわかる。誰がどう見ても、異変があったのだ。
おそらくは、ヴルワーンの手の者であろう。
「助けねばなりません。馬を返しなさい」
「駄目です。それでは計画に乱れが生じます」
「……もしかすると、最初からこういうことだったのですか」
フォルトワは応えない。
「僕を逃がすために、村を犠牲にする魂胆だったのですか」
「村の住民も承知です」
「すべては恩義ある『氷の将軍』のためと、彼らは快く応じたのです」
「――馬鹿な」
「彼らの犠牲を無駄にしないためにも、戻ることはできません」
今度は、僕が沈黙で応じる番であった。揺れる馬車から身を起こすと、僕は馬車の背後にある扉を開いた。黒々とした闇のなかで、ちいさく、仄かな灯りが揺れている。おそらくは、何者かが村に火を放ったのだろう。
「落ちては危のうございます。扉を閉めてください」
「いえ、そういうわけにはいきません」
「――蒼月様、まさか?」
「大したことではありません、野暮用ですよ」
「なにを――」
「あの村に、忘れ物があるのです」
僕はその言葉を残して、疾走する馬車から闇へと身を躍らせた。背後から聞こえた悲鳴を無視し、僕は身をひねって下草に降りたった。
馬車から逆走し、村へと駆ける。
見えてきたのは驚くべき光景だった。騎馬の群れが門を破り、次々と村内に殺到している。このような小さな村に派遣する数ではない。
僕がここにいる確証があったのだろうか。それはないだろう。おそらくは、身の程知らずにも人間に歯向かった、生意気な獣人の村を滅ぼすつもりなのだろう。
僕はさらに足の速度を増すや、跳躍した。
馬上で槍を振るい、人々を追いかけまわしている男の背面に、跳び蹴りを見舞う。男は鞍上から転がり落ち、無様に大地と抱擁をかわす。
彼が手から落とした槍を拾い上げ、投擲した。
穂先は近くを駆けている馬の側面に、まっすぐ突き刺さった。馬は棹立ちになり、その上に載っていた男は、固い地面に真っ逆さまに落ちていく。
「――いたぞ、蒼月だ!!」
「馬鹿め、まんまと姿を現しおったぞ!」
「やつの首をあげれば、手柄は思いのままだ!」
「やってみてごらんなさい、出来るものならね」
騎馬の群れが、僕の許へと殺到してくる。
それをゆったりと眺めながら、僕は泰然と待っている。
ここで僕は命を落とすことになるのかもしれない。
「ひとつ、運試しといきますか」
自然と口許に浮かんでくる笑みを、僕は堪えることができなかった。
『動乱』その7をお届けします。
次話は翌火曜日を予定しております。