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その6

 さて、僕らはこの奇怪なる隠れ里のような村に、少しのあいだ滞在することになった。

 ひと晩の逗留で充分だと思っていた。包囲の輪というものは時間が経てば経つほど狭まってくるものであるし、警備の眼も厳しくなってくるだろう。あの執念深いヴルワーンが、政敵であった僕を、このまま放置しておくとも思えない。


「さて、今しばし、猶予を頂きたい」


 例のグルッグズという奇怪な術を使う老人は、我々と合流したあと、魔女ヴェルダの意図を説明してくれた。彼の言によれば、まだ刻は満ちてはいない、とのことだった。僕らがこの絶望的な逃走劇を成功させるには、フランデル王国の協力が不可欠だという。


「我々は、フランデルへと亡命するわけですか」


「そうなりますな」


「はて、おかしなことです」


「おかしなこととは?」


「確かにかつてはフランデルにとって、僕は有益な存在でした。――それは僕が、反戦派の筆頭という立場にあったからです。しかしこのクーデターにより、僕の利用価値はなくなった。王国が、僕を庇護する意味があるとは思えない」

 

「ははは、蒼月殿は、随分と自己の価値を低く見積もっておられる」


 グルッグズは破顔し、僕が王国へ亡命する意味を説明してくれた。そもそもクーデターとは、万人が納得する手法ではない。軍事力という武器を振るって、非合法的に政権を奪取することを指すのだ。

 ディアグル三世は聖人とは程遠いが、広大な版図を支配するだけの度量はあった人物である。部下の欠点をあげつらうよりも、長所を誉め、よく褒美をふるまった。少なくとも彼を吝嗇(けち)であると批判する人物は皆無であっただろう。


 対してヴルワーンはどうか。

 軍部との結びつきは深いが、それだけだ。政治的手腕は未知数――というのは好意的な評価だろう。正直に言って、彼が内政面で有能だとは思えない。魅力という面でも、ディアグル三世には遠く及ばず、民の人気は無きに等しい。

 力のみに頼った支配は、力が失われれば、たちまち容易く崩落するだろう。フランデルとしては、その崩落を出来るだけ早めたい。


「そこで必要になるのが、蒼月殿の『氷の将軍』という肩書じゃよ」


「なるほど、僕を帝国との戦いの旗頭に据えるつもりですか」


 それならば、意味はわかる。

 フランデル、アナンジティ両国が鉄の同盟で固く結びついているといっても、ゼーヴァ帝国の国力とは比較にならぬ。ディアグル三世が本気で全兵力を率いて侵攻してくれば、勝つすべはなかっただろう。

 彼らが惰眠を貪っていられたのは、あくまでこちらの事情によるものである。急速に領土を拡大した帝国の支配は、まだ盤石の状態とはいいがたい。帝王は新たに得た土地の住人の信頼を勝ち得るべく、さまざま腐心していた。いってみれば、彼は慎重に足場を踏み固めたのち、次なる一歩を踏み出そうとしていたのだ。

 

「――それが、たったひとりの慌て者のお陰で、ひっくり返りそうになっているというわけですな」


 フォルトワが腕組みし、瞑想するようにつぶやいた。


「ふむ。フランデル側としては、今回のクーデターは悪い事ばかりではないということですね。侵略される恐怖はあれど、形勢をひっくり返す千載一遇の好機でもある」


「本当に、思慮の欠片もない男です」


 アルケーが、憤懣やるかたないといった様子で、盛大な溜息をついた。僕らは連日、この村長の家で顔を突き合わせては、そんな会議もどきを繰り広げている。

 なにしろ生きた情報がない。ヴルワーンが今、どのような動きを取っているか、想像するほかないのだ。


「諜報活動はワシのお家芸ですが、さて、今はあまり遠くへ行くわけにもいきますまい」


 グルッグズは無念そうだ。たしかに彼が王国との連絡役となっている現在、遠くへ行ってもらっては困る。


「ねえ、ソーゲツさん、まだお話してるの?」


「いいえ。今終わったところですよ。小さなお嬢さん」


「むー、小さなお嬢さんって言っちゃだめ」


 僕はできるだけ穏やかに笑って見せた。僕の足許で長い耳を揺らしているのは、兎族の獣人、ミルミルだ。

 何が気に入ったのか、彼女は出逢ったそのときから、やたらと僕の傍へと寄ってくる。僕はそれほど子供に好かれるタイプだとは思っていなかったのだが。

 

「今日はどういう御用でしょう?」


「うん、今日も村を案内してあげようと思って」


「それはもう、昨日もしてもらいましたよ」


「いーえ、まだまだ、紹介してない場所はいっぱいあるから」


 僕は苦笑した。村の規模はお世辞にも大きいとはいいがたい。ざっと見たところ、総人口は100人も満たぬだろう。帝国の眼を逃れて、ひっそりと暮らすにはそれが限界なのかもしれない。

 その特に見どころのない小さな村を、やたらとこのミルミルは案内してくれようとする。その親切心を無下にすることもできず、僕は彼女に誘われるまま、村をふらふらと歩きまわる羽目になっている。

 

「お、将軍さま、今日も散歩ですか」


「よければうちの野菜、持って行ってくださいよ」


 人懐っこい人々だ。人間族にはあまりいい思いなどないだろうに、彼らは気さくに僕に話しかけてくる。あるいは村長から、僕の話を聞かされているのかもしれない。

 僕の手を引いて、明るく笑うミルミル。笑顔とは伝染するものかもしれない。その笑みにつられるように、人々の顔も明るくなる。その笑顔を見るたび、いいようのない焦燥感に駆られてしまう。こういう善良な人々を巻き添えにしたくはない。


「さあ、今度はこっち!」


 少女が僕の手を引いて、駆けだしたときである。

 門の外がなにやら騒がしい。僕は嫌な予感がして、足を止めた。大きな瞳が不審げに僕を見つめ返したときである。粗野な声がひびきわたった。


「――ここに人間と、エルフとドワーフの一団が入ってきてはいないか! 隠し立てするとためにならぬぞ!!」


「そのような連中に心当たりはない」


 門番の狼族の男が、素っ気なく応じる。


「ならば内部を改めさせてもらう」


「残念ながら、ここは人族が出入りしてよい場所ではない。お引き取り願おう」


「なにい、獣人の分際で、口答えするか!」


「お引き取り願おう」


 再度、狼族の男は、冷然と答えた。


「――うぬ、貴様!」


 剣呑な雰囲気になってきた。

 僕は静かに門の方へと歩き出した。もともと、コソコソと隠れるのは苦手なタイプなのだ。どうやってこのような場所までたどり着いたかは知らぬが、この男たちは自分の不運を呪うべきだろう。

 

(呻き声を発する間もなく、仕留めてあげますよ)


 ふと、足元に重さを感じて目線を下げた。ミルミルが僕のズボンのサイドシーム辺りを握りしめたまま、じっと僕の顔を見上げている。


「いっちゃだめだよ」


「僕が行かなければ、みんなに迷惑がかかるのですよ」


 僕は諭すようにそう告げた。

 それでもモミジのように小さな手は、僕のズボンを握る手を緩めようとはしなかった。困ったな。僕はその手を振りほどくことができず、木偶の坊のようにその場に佇立することしかできなかった。

 

『動乱』その6をお届けします。

次話は土曜日を予定しております。

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